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第79話
今日休みだった。天気がとてもよくて、布団を干す。部屋の掃除をして昼間の時間を潰し、夕方前に部屋に布団を取り込むと、爽やかな柔軟剤の香りに、ほんのり大好きな匂いが混じっていた。思わずシーツに顔を埋める。
買い物に行って今日の夕飯の材料を買う。最近できるようになった親子丼は、得意料理には程遠いけど味はブレない。市販の味って料理不得意者には本当有難い。
帰ってきて夕飯を作る。慣れた手つきで包丁で玉ねぎを切った。包丁を使い始めた頃は辿々しくしか持てず、不格好な切り方しか出来なかったらけど、今はリズミカルに薄くスライスすることが出来るようになった。
今度は鶏肉。鶏肉はすでに細切れしているのを買ってきているのでパックのフィルムを剥がせば準備OKだ。小さめのフライパンに水と麺つゆを入れて火にかけ、沸騰したら玉ねぎを入れて、クタッてなるように蓋をする。
そして蓋を開けて鶏肉を入れて、また蓋をして火が通るまでに卵を4個溶いておく。そして溶き卵を2個分入れてまた蓋をして完成だ。蓋を開けると父さんが作ってくれる親子丼とそっくりなものができた。見た目はなな食堂のような卵がキラキラ輝いている親子丼を目指しているのに、切ることしか上達していない俺にはなかなか難しい。
あとは豆腐とお揚げ、ネギを一口大に切って、水を沸騰させ、だしの素と味噌を入れてお味噌汁を作る。
買ってきたたくあんも切る。七瀬さんは分厚めが好きなので厚めに切る。
夕飯を準備し終えた後は、お風呂を入ったりと色々準備して七瀬さんの帰宅を待つ。ドキドキしてきてしまい、テレビを見て気を紛らわした。バラエティで面白いはずなのに内容が入ってこなくて、とりあえず笑った声が聞こえたら一人で笑って時間を過ごす。
21時ちょっと前。ガチャガチャと玄関の鍵が開く音が聞こえる。バッと立ち上がり、早足に玄関に向かうと愛しの人の姿が見えた。
「七瀬さんっ。おかえりなさい。」
「ただいま。出迎えてくれたんだ。ありがとう。」
七瀬さんはにこりと俺に笑いかけてくれた。クーラーで適温に調節された室内に外からむしむしとした熱気が少し入り込む。
七瀬さんの肌には汗の玉が出来ていた。食堂から遠くなったこの部屋では移動だけで汗をかいたんだろう。夜になっても今の季節は暑い。
「汗かいたから先にシャワー浴びていい?」
「あっ、はい。外暑かったですね。」
七瀬さんが着替えを持ってお風呂場に向かった。シャワーの音が聞こえると更にドキドキしてきた。食事の準備をしなくちゃいけないのに、気が焦って何も手につかない。
そうこうしていると七瀬さんがお風呂場から出てきた。Tシャツに半パン。ラフな格好も格好いい。七瀬さんは冷蔵庫に向かい冷えたペットボトルを出して、喉を鳴らして飲む。その姿さえも格好よくて、俺は思わずジッと見つめた。
「ん?どうしたの?」
俺が見ていたことに気づいたみたいで目線がぱちっと合った。俺は朝から何度も言うタイミングを脳内でシミュレーションしていたはずなのにドキドキし過ぎて口からポロリと感情が出てくる。
「七瀬さんエッチしたいです。」
「ごほっ」
七瀬さんが盛大にむせた。水を吐き出しはしなかったけれど、鼻に入ったのか鼻を押さえて何度か咳を繰り返す。
どうしよう。言うタイミングを間違った。ご飯食べ終わって、ゆっくりして、『明日火曜日でなな食堂定休日ですね。俺とエッチして下さい』って言おうと思ってたのに。帰ってきて早々に言うつもりはなかったのに。
「ご、ごめんなさいっ。七瀬さん、大丈夫ですか?」
「……っは、う、うん」
呼吸が落ち着くまで七瀬さんの背中をさする。七瀬さんは涙目で困ったように眉を八の字にして俺を見てきた。
「風間君いきなりどうしたの?」
「あっ、えっと」
緊張してしまってうまく言葉が出てこない。でも言っちゃったからにはちゃんと伝えなくちゃ。今更ご飯終わってもう一回言うのは緊張しすぎて無理だ。伝えたいことは明確なんだから、ちゃんとそれを言えばいい。
「俺もう大丈夫です。七瀬さんとエッチしたいです!」
「か、風間君っ。声大きいよ。ここ壁薄いから隣に聞こえる」
「あっ!ごめんなさい!」
俺は口を押さえて大きな声を出さないように意識する。気持ちが声に乗って大きくなってしまった。七瀬さんはまだ困った顔で俺を見ている。
「風間君……俺は待てるよ?無理しなくていいから」
優しい声で七瀬さんが言ってくれる。その何度も聞く言葉に胸が痛んだ。
「……っ無理してません。俺がエッチしたいんです。もう七瀬さんに触れられても怖くないし、夢も見なくなりました。なな食堂で働くのも怖くなくなったし、外も一人で歩けます。七瀬さんとエッチしたい。……七瀬さんと繋がりたいです。」
俺がこんなに積極的にエッチを誘っていること、七瀬さんが無理をしなくていいと答えてくれるきっかけは、あの事件からだ。
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