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雨-2

「……やっぱり、俺の家は見えないんだね」 「まぁ、次元が違うからしょうがないね」  そう。アディ────二十九の軍団を率いる魔界の公爵アムドゥスキアスの別邸は、魔道界にある。玄関のドアだけ湊斗の隣の家に繋ぎ、ドアを開ければそこは魔道界だ。  魔界の公爵なのに、なんで魔界に住んでいないのかと訊いたら、魔界は瘴気が強すぎて、結界を張っても人間の湊斗が立ち入るのには負担が強いからだよ、と説明された。  ここ、魔道界は、魔道士達が住む場所で、清浄すぎる天界と、瘴気の強い魔界の緩衝地帯になっているのだそうだ。  魔道士というのは主に人間界生まれた魔力の高い人間の事をいう。彼らは人間界に『間違えて』生まれてしまった異なる人種と考えて良いのだそうで、魔法が使えることはもちろん、強い魔力とそれに見合った長い寿命を持ち、その分繁殖能力は弱くなるのだそうだ。  そうは言っても魔道界は、人間界で生まれ育った彼らが自由に生活できる次元なのだから、ただの人間である湊斗が外に出ても全くなんともないし、かえって空気が綺麗で元気になるくらいだ。 『湊斗を見つけたときに、すぐに魔道界にこの家を建てたんだよ。いつでも湊斗が遊びに来れるようにと思ってね』  そう言って、一本角を持つ悪魔は、美しい顔で笑った。 「……俺の為にこの家を建てたんなら、もっとこぢんまりとした家で良かった気がするんだけどな。二十五坪くらいの」  二十五坪と言ったら五十畳だから、湊斗の家の敷地は、全てこの居間の中に収まってしまう。この巨大な城を『湊斗のために建てた家』だと言うアディの感覚ってどうなってるんだろう。まぁ、あれだよね。悪魔だから。公爵だっていうし。公爵っていうのがどのくらい偉いのかよく分からないけど。 「湊斗、勉強の分からないところはない?今日は宿題は出てるの?」 「ドリルと音読が出てる。音読するから、保護者欄にサインしてくれる?」 「もちろんだよ」  湊斗はランドセルを開けると、先生お手製の音読の本を取り出した。色画用紙に「音読」と書かれた表紙の付いた、プリントをまとめた物だ。  良かった、濡れてない。ひょっとしたら、さっき服と一緒に乾かしてくれたのだろうか。心の中でそっとアディに感謝する。  猫足のソファに座って、荘厳な音楽が奏でられる空間で、湊斗がプリントを音読をする。今日の音読は「泣いた赤鬼」で、アディはこの話を何度聞いても泣きそうな顔をする。 「湊斗は朗読が上手だなぁ」  心の底からそう言って、アディは湊斗の母親そっくりの筆跡で保護者欄に「橘」と書き、その字を囲むように花丸を書いた。 「……五年生になったんだから、花丸は恥ずかしいよ」 「そう?だって、とっても上手だもの。さ、オヤツを食べながらドリルをやってしまおうか」 「は~い」  この城の中で、アディ以外の人……悪魔?を見たことはない。それでも、アディがぽんと手を叩くと、すっとドアが開いて、今日はほかほかに揚がりたてのドーナッツと暖かいミルクティーの載ったワゴンが部屋の中に入ってきた。  これを不思議だと思う感覚が、湊斗にはもう薄れていた。それはそうだろう。湊斗は子供の頃から当たり前のようにこうした不思議を見続けているのだ。ひょっとしたら友達の家でもこういう事が起こっているのかと思っていた時期もあったが、どうやらそうではないらしい。  だって、アディは悪魔だ。悪魔は普通、友達の家にはいない。  オヤツを食べながらドリルを終える。途中で分からない事があれば、先生よりも分かりやすくアディが教えてくれる。  ドリルが終わったら、二人は庭に出て遊んだ。今日は曇っていて、庭に咲いている白い花がぼんやりと見えた。  花で彩られ、白い彫像の並ぶ美しい庭園の中には、不釣り合いなシーソーやジャングルジム、サッカーやバスケットのゴールがあちこちに置かれている。二人はバスケットのシュート対決をしてから、敷地を流れる川で水遊びをした。 「不思議だな。あっちはすごい雨だったのに」 「次元が違うんだからしょうがないよ。湊斗の家はまだ雨が降ってるみたいだよ。あと二時間くらい経ったら小降りになると思う」 「そんなの分かるの?」 「まぁね。私は悪魔だから」  そう言って、アディは美しく笑った。  たっぷり遊んだら、次は風呂の時間だ。風呂場はホテルの大浴場のように広く、硫黄の匂いがする温泉を引いているらしい。 「ほら、湊斗、肩まで浸かってよく暖まって」  美しい悪魔は、湊斗の肩が湯から出ないようにいつも見張っている。そうしてたっぷり暖まり、洗い場に上がると、アディは必ず湊斗の体をじっくりと検分した。 「どこにもケガはない?傷は?」 「ないよ。俺、誰にもいじめられてないし、父さんや母さんも俺をぶったりしないよ?」 「いいから、ちゃんと見せて」  不思議なことに、自分の家や学校で服を脱いでもつるりとした傷一つない体をしているのに、ここで服を脱ぐと、いつも胸の上に赤い傷ができている。くるくると渦を巻いた、ミミズ腫れのような細い傷だ。 「ああ、やっぱり、また傷ができている」  アディはその傷に唇を寄せた。暖かなぬくもりが胸に触れる。じっくりと胸に唇で触れ、それからちゅっと吸い上げる。それはムズムズとした感触を湊斗に与え、いつも湊斗は居心地の悪い気持ちにさせられるのだ。 「……ふっ。くすぐったいよ、アディ。それ、やめて」 「じっとして」  アディは執拗に湊斗の胸の後に唇をつける。そうしていると、胸の傷は段々消えていくのだ。  その傷が消えると、いつも湊斗は胸の中が少しだけすっきりするような気がした。だが困ったことに、その分お腹やお尻がムズムズしてしまうのだ。 「ね、アディ。もうやだ……」 「可愛いね、湊斗」  そう言って、最後にアディは胸の先端の小さなピンク色を、ちゅっと吸い上げた。 「あっ!」  湊斗は恥ずかしさに身悶えた。湊斗の小さな分身が、そっと勃ち上がったのだ。  これは、こないだ学校で習ったから知っている。でも、そんな、アディに対して……。 「やめろよ、アディ!今までそんなことしなかったじゃないか!」 「ごめん。あんまり湊斗が可愛いから」  アディは美しく微笑むと、「さ、体を洗ってしまおう」と、湊斗の体をたっぷりの泡で包んだ。 *** ***     風呂を終えると、今度は夕食だ。リビングに戻ると、すでにテーブルの上には夕食が並んでいた。今日の夕食は和食だった。鮭のホイル焼きと、豚の冷しゃぶサラダと、ほうれん草とエノキのおひたしと、豆腐と長ネギの味噌汁。  ヨーロッパの城のような家の中で、誰がこんな和食を作っているのだろうと少しだけ不思議に思うが、食事中はいつもアディが学校で起こったことを聞いてくるから、すぐにそちらに気持ちが移ってしまう。  毎日、こうして湊斗はアディと二人で食事をする。湊斗の学校での話は、みんなアディが聞いてくれる。だから、寂しいと思ったことはない。  食事が終わるとアディの家の寝室のベッドでアディと二人で眠りにつく。  天蓋付のこのベッドはずいぶんと大きく、多分このベッドだけで湊斗の部屋くらいの大きさはあるから、大人のアディと二人で眠っても全く問題はなかった。 「おやすみ、湊斗」 「おやすみ、アディ」  たくさん遊んだ湊斗は、すぐに眠りに落ちていった。  湊斗の唇から穏やかな寝息がこぼれてくると、アディはそっと体を起こし、湊斗の額にキスをした。 「早く大きくおなり」  その声はとても優しくて、愛しさに充ちていた。

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