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雨ー3
湊斗が目を醒ますと、そこは自分の家の、自分の部屋だった。
五畳ほどの部屋に、勉強机とベッドがくっついて置いてある。ベッドは二段ベッドのようにハシゴで登るタイプで、ベッドの下はタンスと本棚になっている。アディの家の寝室から見るとびっくりするくらいささやかだが、一般的な日本人から見れば、至って普通の子供部屋だろう。
いつ、どうやって自分がこの部屋に帰ってきているのか湊斗は知らない。だが、夜に家にいないことを一度も親に叱られたことがないのだから、きっと両親が帰ってくるよりも早くにアディが運んでくれているのだろう。
きちんと服を着替えてから一階に降りると、父親はもう出かけた後だった。母親はせわしなく出かける支度をしていて、ダイニングの隅にはスーツケースが出してあった。湊斗は「おはようございます」と挨拶をしてから席に着く。四人掛けのテーブルの上には菓子パンがふたつ置いてあった。
「ああ、湊斗、おはよう。お母さん今日から一週間出張なの。お父さんはいつも通り帰ってくるから大丈夫よ。その間の食費はここに入れておくわね。お菓子ばっかり買わないで、ちゃんとした物を食べるのよ?良いわね?」
「……うん。分かった。行ってらっしゃい」
「行ってくるわ。じゃあね、湊斗。ちゃんと良い子にしてるのよ」
母親が出て行くのを背中で聞きながら、湊斗は菓子パンをもそもそと食べた。母親が時計代わりにつけていたテレビが七時三十分を指したら出かける準備をする。机の上のパンくずを拭いて、歯を磨いて、時間割を揃える。連絡帳には今日の持ち物に習字セットと書いてあったから、それもちゃんと揃えなければ。
七時四十五分になったらテレビと電気を消して、玄関に鍵をかけて学校に行く。親がいないからといって、ダラダラと遅刻するような真似はしない。湊斗は「パパとママの自慢の息子」なのだから。
時間通りに玄関から出ると、隣の家のドアが開いて、アディがスーツ姿で顔を出した。
「おはよう、湊斗。学校まで一緒に行こうか」
「うん。でも、学校までだと少し恥ずかしいから、手前までで良い?」
「もちろん」
いつものように、アディと並んで歩く。途中で友達に会うが、みんなアディのことをチラリと見て「おはようございます」などと声をかけてから湊斗を追い抜いていく。こんな時間に学校に向かってスーツ姿の男が我が子でもない湊斗と一緒に歩いているというのに、みんなあまり気にした様子はなかった。
「湊斗、宿題はちゃんと入れた?忘れ物はない?」
「だいじょう……あ!習字で使う新聞入れるの忘れた……!」
思い出して、湊斗は急に慌てた。でもまぁ、大丈夫だろう。いつも必ず何人か忘れてくるから、先生はそういう生徒のために、多めに新聞紙を持ってきてくれるのだ。
「湊斗、大丈夫?」
「うん……多分、大丈夫」
辺りに子供達の姿が段々増えてきた。
「おはよう、湊斗!」
「おはよう!」
数人の友達に声をかけられると、アディは「じゃあ、私はそろそろここで」と立ち止まった。
「行ってらっしゃい、湊斗。楽しんでおいて」
「うん、アディ。行ってきます」
アディが離れると、途端に数人の友達が湊斗を囲んだ。
「おはよ!」
「おはよう!」
「昨日のテレビ見た?」
友達と歩きながら後ろを振り返る。
アディは道路の端に立って、湊斗の姿が見えなくなるまで見送ってくれていた。
*** ***
学校に着いて、ランドセルの中身を机に移動させようと蓋を開ける。
そこには、きちんと畳まれた新聞紙が入っていた。
「え?」
湊斗は目を何度もしばたいた。見間違いじゃない。何度見返しても、やっぱり新聞紙が入っている。
「……アディ?」
きっと、アディが悪魔の力を使って新聞を入れてくれたのだろう。
「ダメだよ、こういうことしちゃ」
小声でそっと囁く。すると、頭の中に『今度だけだよ』と声が響いた。
なんとなく。
なんとなくだけど、今迄不思議なことはたくさんあっても、アディは隣に住む優しいお兄さんとしか思っていなかった。
でも……
「やっぱり、アディって悪魔だったんだ……」
その事実に、今更ながら湊斗は茫然となった。
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