20 / 26
ランチタイムー2
「はい、もしもし。……どうしました?」
それは、父からの電話だった。母から電話がかかってくることはたまにあるが、父からの電話は珍しい。
『ああ、湊斗か。実はな。仕事を引退することにしたんだよ』
いきなり何の前置きもなくそんな話をしだす父に、湊は小さくため息をついた。
せめて、『今電話しても大丈夫か』くらい聞けないのだろか。いや、この人に、そんな配慮を期待しても無駄なのだ。
「……聞いています。長い間お疲れ様でした」
父はずっと一部上場企業で要職に就いてきた。定年を迎えた後も相談役として週に1、2度出社していたようだが、社長の代が替わり、先代を支えた人間が煙たがられるようになって、まぁ、要するにちょっとしたお家騒動があり、何人かの役員や管理職が退陣する……というのは、ちょっとしたニュースになっていた。その名前の中には、父親も入っている。
「それで、どうしたんですか?」
そんな事で電話してきたのかと、言外に漏れてしまっているかもしれない。だが、構うことはない。散々自分に戒めてきたことを、仕事を辞めるなりやってのけるような人間に、文句を言われる筋合いなど無いだろう。
『お前、まだ一人なんだろう?』
「ええ、お陰様で」
「そうか……」
父親は、重々しく溜息をついた。湊斗の耳には、それは何かを印象づける為にされた、わざとらしい物にしか聞こえなかった。
『お前には、今迄ずっと親らしいことをしてやれなくて、寂しい思いをさせた。お前も一人なんだし、これからは家で一緒に暮らさないか?もう一人暮らしは良いだろう。戻ってきなさい。』
「は?」
湊斗は自分の耳を疑った。
何を言っているのだろうか。本気で意味が分からない。
「あの、お父さん?俺をいくつだと思ってるんですか?寂しいって……そういうものは小学校の低学年の時に卒業しましたが……」
『いや、だから、お前がそういう風に思うようになったのは』
「お父さん。さすがにこの年で初めての人と一緒に暮らすのは無理です。ああ、定年されて色々心配なこともおありでしょうが、育てていただいた恩はちゃんとお返ししますので、必要な分は請求して下さい」
『おい、何だその言い方は!失敬な!』
「……仕事の邪魔をするな、というのがあなたが教えて下さった唯一のことです。もう休憩時間が終わりますので、これで失礼します」
父親が絶句している間に、湊斗は通話を切った。
切った後も、湊斗は携帯の画面を睨みつけていた。まるでそこに、父親がいるかのように。
お前には寂しい思いをさせた?そんな事、思ったこともないくせに。もしも少しでもそう思ったことがあるのなら、俺に何か言葉をかけてくれたことがあっても良いはずだ。
でも、湊斗は父親の姿すら、見たこともなかった。
それは夏休みでも正月でも同じ事で、父親は家にいても書斎から出てくることはなく、湊斗がいても挨拶を返したことすらないのだ。
リタイアしてやることがなくなったから、俺の仕事について根掘り葉掘り聞いて、仕事をしている気にでもなりたいのだろうか。部外者に内部情報を漏らすような真似をする筈がないのに、『父親なのだから』だの『お前の仕事にアドバイスしてやっているんだ』などと、あの男なら言いそうだ。
いや、ひょっとしたら老後の介護を俺にやらせるつもりか?介護が必要なら、プロを雇えば良いだろう。その金が必要なら俺が用意することはやぶさかではないのだ。
子供の頃にしてくれた事を返そうと思ったら、その辺りが妥当だろう。金銭的には面倒を見て貰っていたが、マンパワーという点では、何一つ彼らは自分に関わらなかったのだから、それを俺に求めるのは間違っている。
携帯を握る手に力がこもる。そうしてふと何かに気づいて、湊斗はそっと顔を上げた。
ともだちにシェアしよう!