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第18話
「びっくりしたあ! 仕事に戻らなくて大丈夫なのか?」
「己の伴侶が襲われて気を失い、やっと目覚めたばかりなのに離れられる訳がないだろうが。しばらく屋敷で執務することにした」
たとえインフルエンザだろうがなんだろうが、気を失わない限りは会社に出ろと言われてきた蓮は無遅刻無欠勤だったので、自分自身ならともかく身内――といってもいいのか悩むところだ――が何かあったところで身内を選ぶというのが新鮮で、大事にされているようでくすぐったくなる。
「ウルってこの子たちの言葉が分かるんだって? すごいよね、ますます異世界ファンタジーって感じだ」
「……そのことだが。前に、私がレンに聞きたいことがあると言っていたのを覚えているか?」
不機嫌顔は真面目顔になった。
琥珀色の瞳が少し泳いだのを見て、ウルは「まあ、覚えていなくても問題はない」と軽く頷く。
「レンを連れ去ったあの男がこのアルラ国の祭神であるアルラ神が選んだという神子、シュウだ。間近で接して気づいたことはないか?」
「えーと、言葉のことかな」
その通り、とウルがすかさず返す。
「あの日――お前が私に降ってきた時、レンが使っていた言葉と神子が使う言葉が似ていたのではとふと思い出したのだ。思い出すのも嫌かもしれないが、神子と話して気づいたことはないか? 王はアルラ神の神子が遣わされたと大層お喜びだが、いまだに神子は我らに心を開いてくれる様子は一切ない。このままでは……よくないように思えるのだ」
確かに、あの様子はかなり病んでいるように思えた。疲れ切った中年のサラリーマンといった風貌の神子はシュウという名前らしい。
「俺にもまったく事情は分からないけどね。神子様って人は俺と同じ日本人……あー、えっと同じ民族だと思う。で、神子様が神子として召喚されるのに俺が巻き込まれたんだとか言ってた」
「召喚に巻き込まれた?」
ウルもさすがに衝撃を受けたような顔になった。しかし、巻き込まれたのだとして、そこでも蓮の微妙な運のなさが発揮されてしまったのかと思うと苦い気持ちになる。
――だが、巻き込まれていなければ、目の前にいるウルやマリナ、怒りのマダムたちとも出会わなかったのかもしれないのだ。
爽やかな風はしかし、強く吹き渡ってここ最近蓮が精を出して整え始めた庭の草花を揺らして通り抜けていった。浴室のある植物園と比べたらまだまだ野性味が強いが、広い庭なのでちゃんと整えることができたら美しい庭になるに違いない。
「神子が言葉を使えないのは、多分だけど……その、こっちの世界の人と身体の関係がないとダメ、なのかも。ほら、俺もそうだったし」
具体的な言葉を言うのは憚れて、なんとか曖昧なニュアンスで伝えようとするが増々ウルの顔は曇っていく。
「……レンにも、本当のあるべき場所があるということだったのか。帰りたくなった場合に、どうすれば戻してやれる?」
どうやらウルの表情が曇っていったのは蓮が神子の召喚に巻き込まれた、という点であったらしい。前から思っていたが、やはりウルは生真面目すぎるほど真面目な男だった。まさか蓮を元の世界に戻してやろうと真剣に考えているとは――蓮本人が夢の世界だと信じて疑っていなかったのに。
「そんなに暗くならなくても大丈夫だって。もう両親もいないし、兄弟とかもいないしね。唯一の心残りっていえば幼馴染たちの結婚式が見られるかどうかくらいで。……なんでかな、こっちに来てからまだそんなに経っていないし、怖いこともあったけど…嫌いじゃないんだよ。役立たずだけど、それでも存在してもいいんだってくらい助けてもらっちゃって。こっちの世界の方が好きだなって思うことも多いし」
驚いた、という顔になったウルを見て思わず蓮は吹き出した。不機嫌そうな顔がスタンダードだが、思っていたよりもウルは気持ちが顔に現れやすいらしい。
「ところでさ、この子飼っちゃダメかなあ? どう見たってこんなに人懐っこいし、俺いっぱい触っちゃったし、野生じゃ生きていけないんじゃないかなあ」
「それはダメだ」
もふもふとした柔らかなお腹の部分を撫でながらお願いしてみたが、それについてはあっさりと却下されて蓮は唇を尖らせた。
「じゃあさ、この子に聞いてみてくれたっていいじゃないか。話していること分かるんでしょ?」
「だから問題なんだ。こいつはお前のことが好きだとハッキリ言っている。そうじゃなければガーディアン・ビーストとはいえ、見たこともない人間をわざわざ野の獣が助けに来ると思うか? 好意がある上にこいつは雄だ。問題あるだろう」
どこが、と蓮はつっこもうとしてやめた。大きくは変わらないように思えても、ちょいちょいとこの世界はファンタジックで構成されている。ちょっと想像したくない想像をしてしまった蓮はへらっとした笑顔を浮かべて、この会話を終わらせることにした。
「どうせ、レンになにかあればすぐ駆け付けてくる。その首飾りがなくてもお前をエイデス家の人間だと認めているのだから」
今まで寝ていたオオカミがふん、と軽く鼻を鳴らして立ち上がった。やはり蓮が知るどの犬よりも体躯は大きい。そっと鼻面を口元に押し当ててきたオオカミのたてがみを撫でてやると、ゆっくりとした足取りでオオカミは姿を消し――やがて、そんな遠くない場所から遠吠えが聞こえてきた。
(あれってジンジャーかな?)
太いその遠吠えの方を見やった蓮だったが、隣に立っていたウルがわなわなと怒り始めたのを感じて思わず後退る。
「あの肥満オオカミめ、私のことを馬鹿だと?!」
オオカミの遠吠えはどこか物悲し気に感じていた蓮は、思わぬ答えに腹を抱えて笑ってしまったのだった。
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