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第22話
「蓮。これはどういう意味だ」
神子様…修がちゃんと身なりを整えて帰って来た時の、王様を始めとした城の者たちの反応を思い出して蓮は思い出し笑いをしそうになり、修に問われたことに一歩反応が遅れてしまった。
「はい、えーっと…文字はまだ俺もちゃんと分かっていなくて。修さん、覚えるの早いですよね」
修用の服も侍従たちがあれこれと揃えてくれたので、下着も含めて修が与えられた部屋にあるクローゼットの中は布ではなく普通の服でいっぱいになった。神子なだけあって生地も上等で、それらはすべて怒りのマダムの店に頼んだというのだからマダムは今ごろ笑いが止まらない頃だろう。
「……蓮はこちらの世界で不自由はないのか? あの不機嫌そうな騎士の屋敷に住んでいると聞いたが。あいつ、蓮を虐めたりしていないか? もしそうなら……」
「いやいやいや! 大丈夫ですよ!! むしろ俺が押しかけちゃったくらいなので、迷惑かかっているのは向こうの方ですし。屋敷のみんなにもへましたら怒られたりすることもあるけど、すごく良くしてもらってます」
じ、と修の焦茶色の瞳が蓮を注視してから不意に逸らされる。服を買った次の日から、突然修が「言葉を話せるようになりたい」と言いだし、城の中はちょっとした騒ぎになった。家庭教師が何人か派遣されてきたが年配の教師は修と相性が悪いようで、結局修の侍従たちが持ち回りで教えるのを蓮がサポートすることになった。蓮自身は別段こちらの世界の言葉を話している意識はないので、言葉自体を教えることはできないのだ。
「そういえば、服の他に困っていることとかないですか? ここって基本的に親切な人が多いし、悪くないんだけど変なところで常識が違ったりするから」
「……まともなものを……食べたい」
少し間をおいて、ばつが悪そうに修が申し出たことに蓮は目を丸くした。
「あれ? ご飯は割と味覚は合っている気がするんだけどな」
「蓮たちが食べているのはそうだろうな。神子だからという理由で、おれの食卓に並ぶのはとにかく木の実ばっかりなんだ」
木の実、と言われてどんぐりしか思いつかなかった蓮は、またしても修に同情してしまった。
「え、あの魚とかは? ウルのお屋敷では肉っていったら魚しか出ないんだけど、でも木の実ばっかりってことはないし」
「魚? そんなもの、この世界に来てから一度も食べたことがない!! おれを珍獣かなにかだと思っているんだ、この世界の連中は!!」
イライラし始めた修は雰囲気が一気に怖くなる。蓮は落ち着くように修に言い聞かせると、自分が侍従たちに掛け合うことを約束した。服のことと言い、数百年ぶりに迎えた神子様のために城の者たちが頑張っていることがことごとく裏目に出ているのかもしれなかった。
「そういえば、修さんって料理得意だったりします?」
「……一人暮らしだったから適当なものなら作れるが」
よし、と蓮は内心でガッツポーズをしてから侍従を呼んだ。
マリナの話によれば、主人が厨房などに興味を持つと使用人たちからの評価が上がるということだった。まさしく神子が元いた世界の料理を作って振舞ったりなんかすれば、少しくらいは打ち解けたりしないだろうか。
「蓮は料理ができるのか?」
苛立ちが収まってきたようで、穏やかに修が問いかけてくる。
「あ、俺ですか? それがですねー、瞳の色変わったり髭が伸びなくなったりとかしたんで、もしかして特別なスキルに目覚めたのかなって思ったんですけど。ウルの屋敷で包丁握って、自分の指を切っちゃいました」
ふっ、と小さく低いけれど確かに笑い声が聞こえて、蓮は目を瞬かせる。
「なんか簡単に想像つくな。笑ってしまってすまない」
神子に笑いを提供できたのは良かったが、何となく複雑で蓮は笑い飛ばすのもうまくできず曖昧に微笑んでいると、不意に修の眼差しが真面目なものへと変わった。
「ところで、今瞳の色が変わったとか言ったか? 髭が伸びないとか、冗談だろう?」
「それが、顔の形とかは変わっていないんですけどね。俺の目の色、前は修さんと似た焦げ茶色だったはずなんですけど。髭が伸びないのは純粋に楽です」
修は考え込むような姿勢を取りながら蓮の話を聞いていた。何か気に障ってしまったのだろうか、と様子を伺っていると、「それはあのウル・エイデスも、もう知っているのか?」と問われた。
「いや、ウルと会った時にはもうこんな感じだったので」
「じゃあ黙っておくべきだ。ここの連中に知られたら、何をされるか分からない」
確かに、下着も許されないキリスト風な布衣装と木の実ばっかりの食事は辛い。真剣な面差しで頷いた蓮を、修はまた複雑そうな表情で見やった。
「……蓮みたいな人間は、おれの周囲にはいなかった」
「やだなあ、そんな珍獣みたいな言い方。でも、一人くらいいても悪くはないでしょう?」
特段珍しいタイプの人間ではないと思うが、楽しいことは好きなので友人たちともよくはしゃいだりもしたし、真面目そうな修の身の回りにこんな適当な人間はいなかったのかもしれない。厨房を使わせてもらう段取りをしようと立ち上がりながら修に笑いかけると、修も同じように立ち上がって蓮に近づいた。
「厨房を少し使わせてもらえないか聞きに行ってきます。一緒に侍従さんたちのところに行きますか? きっと大喜びしますよ……修さん? 痛いって」
強く手首を掴まれたものの、修の方から近付いてきたのは無理やり連れ去られた時以来だったので驚きで身動きができなくなった。
すぐに「悪い」と小さな応えがあり、蓮の腕は自由になる。
「大丈夫ですよ、ほら、普通の異世界ものって大概一人ぼっちですけど、言葉の通じる俺もいるし王様や侍従さんたちは優しそうだし、割とイージーモードじゃないですか? 不安になったらすぐ言ってくださいね。……あれ? それって腕時計ですか?」
修の不安が強くなってしまったのかと思い声をかけた蓮だったが、不意に修の左手首に光る物を見つけた。ぱっとそれを隠そうとした修だったが、相手が蓮なのを思い出したのかそれからも手を離す。
「この世界に来た時にこれだけを身に着けていたんだ。おれを育ててくれた祖母が最後にくれた腕時計で、もう時間が止まっているのにどうしても捨てられずに飾っておいたのに、腕にはまっていて」
「へえー。俺なんて、泉の中から真っ裸で登場ですよ。なーんにもなし! 怒りのマダムが色々貸してくれたから助かったけど……でも、俺にはそこまで大切なものなんてなかったってことかなあ」
思い返してみるが、どうしてもこちらに持ってきたかったものなんてないのかもしれない、と蓮は思った。「この世界にもあったらいいのに」と思うような物はたくさんあるけれど、修のように例えば誰かの形見として持っていて、どうしても手放せないものなんて蓮には今までなかったように思う。
(あ、でもウルにもらった首飾りは大事かも)
簡単に外したりしてはいけない、と言われているのもあるが。
「じゃあ行ってみましょうか」
明るく蓮が言うと、修も同意するように小さく頷いたのだった。
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