30 / 96

第30話

「シュウ様、何か温かいものをお持ちしましょう」  夜になり、侍従たちは一人を置いて全員食事をとりに行ったが、神子は相変わらず蹲ったまま動かない。先ほどのウル・エイデスの迫力は凄まじいものがあったが、剣の腕はこの国で右に並ぶ者はいないとすら言われているウルが手をあげなかっただけ良かったと思えた。 「……蓮の調子は、そんなに悪いのか」 「先ほどエイデス家に見舞いを置いてきた者の話によりますと、熱が高いそうです。帰られたウル様がずっと付き添っていらっしゃると」  そうか、と掠れた小さな答えが返ってきた。 「ウル様はさっきどうのこうのと仰っていましたが、レン様が元気になられたらちゃんと謝りに行きましょう、シュウ様」  ぼんやりと神子が顔を上げてくる。  特徴的な緑色の瞳でそれを見返すと、一人だけ残った侍従は真面目な顔で頷き返した。 「レン様は、あなた様はまだこの世界にとても不安なのだと仰ってました。だからすべて壊そうとしたり、傷つけようとしたりすると。でも、本来のあなた様は賢くて冷静な方のはずだと。シュウ様、スープは飲めますか。きっと、さっきよりも気分が落ち着きますから」 「……飲む」  はい、と侍従はほっとしたように微笑を浮かべると、急いで部屋を後にする。きっと神子の食事の用意をしながらも、どうなっているのか厨房の者たちも気が気ではないだろうから。 「はっ、神子に堂々と媚びていやらしいことだ」  長い廊下の途中で王の甥であるアルクタとすれ違い、侍従はさっと避けたがはっきりと聞こえるように呟かれた悪口は聞こえないように、ただ真っすぐと前を向いて通り過ぎたが――どうして城の中でも神子の部屋から遠い部屋を与えられているアルクタが何故ここにいるのか、侍従は不安に感じて歩調を早めるのだった。 ***   扉がノックする音が聞こえて、修は侍従の誰かが戻ってきたのだろうかと思い返事をしなかった。  金髪の小柄な侍従がもしかしたら何かを言い忘れて戻ってきたのかもしれない。まだ成人していないくらいの年齢なのだろうが、しっかりとした話し方をする侍従――バルと名乗っていた――はとにかくいつでも修の味方でいるつもりのようだった。  ようやくこちらの世界の言葉が耳に馴染むようになってきたが、城の中や自分につけられたらしい数人の侍従たちの中でも特に彼は修でも分かりやすい言葉を選び、過ごしやすいようにと心を砕いてくれる。  もう一度扉が打ち鳴らされてくぐもった声で返事をすると、入ってきたのが自分の思っていた姿と違って修は警戒するように目を細めた。 「神子殿、夜の来訪恐れ入ります。先ほど野蛮なウル・エイデスが押しかけてきたと聞いて、慰めに参りました!」 「……誰だ?」  部屋を照らす明かりに浮かび上がったのは白い顔に金髪の男らしき人物だったが、その顔は濃い目の化粧が施されているようで一見幽霊のようにも見え、修は更に警戒を強める。 「僕を忘れてしまったのですか! 陛下の甥であるアルクタですよ」  にこにこと笑いながら近づいてきたアルクタに、修は思わず「近づくな!」と怒声を上げていた。驚いたように立ち止まったアルクタだったが、その場でにやりとした笑みを浮かべて見せる。  「嫌だなあ、せっかく神子殿の望みをかなえて差し上げようかと思ってきたのに。神子殿はレンとかいう、エイデス家にいる庶民のことが大層お気に入りだとか」 「何のことだ」  睨みながらも、思わず動揺した修を見逃さず、アルクタは大仰に悲しんで見せた。 「僕こそがあなたの本当の臣であると証明をしに参ったのです。あなたの侍従であるバルなんかは絶対に教えてくれない、レンとかいう庶民をウルの手から取り戻す方法を。あの者はエイデス家でいたぶられていることを、この国の者たちはみーんな隠しているのですよ。何故なら、彼はこの国では王族の次に財を持っていると言われるエイデス家の若きご当主様だ。爵位は当代の騎士しかないとはいえ、生活が苦しい身分だけはご立派な連中などは常にエイデス家にこびへつらっているのです」  食い入るように目を見開いた神子に、アルクタは少しずつ毒を注ぎ込んでいく。 「あの者はウル・エイデスと出会ったその日に無理やり夫婦の契りを結ばされたのです。それからは庭の草むしりだのなんだのと、それこそ獣人どもにでもやらせておけば良いような肉体労働三昧な上に帰ってくると言葉なり暴力なりを振るって、あの屋敷の者たちで寄ってたかっていじめ抜いているのです……だが、そんな酷い環境から助け出すことが、そしてあの者をウルから解放する方法があります」 「馬鹿な……レンは、そんな状態で笑っていたのか……?」  頭を抱えた神子に一歩、また一歩とアルクタが近づく、そして背後にまわりそっと両肩に手を添えると、びくりと震える感触を楽しむ。 「レンという男は、恐らくウル・エイデスから紋章の入った首飾りを渡されて身に着けているはず。それを壊せばよいのです。壊すことは離縁、つまり二人は伴侶ではなくなるということ。壊した後にあなたがすぐにレンと体を繋げば、レンはあなたの伴侶となるのですよ。うまくいったら、僕のことを認めてくださいね。あなたが認めてくれれば、僕は……次の王になれる」  アルクタの言葉を最後まで聞き取ることができないまま、修の頭の中で首飾りを破壊する、という言葉だけは入ってきた。それがあの男とレンとを結びつけているのだと。

ともだちにシェアしよう!