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番外リコス国編:07

「う、ウルのお父さまとお母さまが」 「はい、神子殿が神殿にいらっしゃるのならと、お見えになっています」  神官たちが用意してくれた、未成年向けの前も後ろもしっかりと覆われているタイプの神官服を用意してもらい着替え終えたところで、平然とした口調で神官長に言われて蓮は固まった。先ほどまで湯殿でウルといたしてしまったことも後ろめたいのに、そこにご両親登場とはお腹が痛くなりそうだ。 「明日行くと言っていたのに」 「うううう、ウル!! ふ、不出来な嫁ですみません!!」  もう一度湯船に入った蓮の身体を拭いた後、自分も汗を流してきたウルが涼しい顔で現れると、蓮は半泣きでウルに縋りついた。 「不出来じゃないだろう」  と、ウルが呆れたように返してくる。  ウルの両親が待っているという神殿の来賓室へと連れていかれる途中も蓮は緊張でぶつぶつと何かしら唱えていたが、重厚な扉を前にしてウルがぴたりと足を止めた。 「レン。先に言っておきたいのだが……私の両親に会っても、あまり驚かないでほしい」 「えっ、そんなに怖いの? ウルのご両親……」       いや……、とウルは否定したもののそれ以上は語ってはくれず、蓮は絶望に満ちた表情のまま固まり――目の前で扉が開いた。  神殿の来賓室はちょっとした会食もできる広さのテーブルが置かれている。日没近くなり、元々薄暗いのがすっかりと暗くなった神殿では至る所に松明が灯され、来賓室の中も煌々と灯されていた。 「ウル?」  ウルに似た面立ちで背が高く、ぴしっと長衣を着こなしている人物がウルの名前を呼んだ。こちらがウルのお父さんかな、と蓮が見当をつける。その人物がつかつかと近づいてきて、思いっきり抱きしめたのは蓮だった。 「貴方がリコス神の神子か! なんと可愛らしい。……貴方のおかげで家族がそろいました。どれだけ感謝しても感謝しきれません」 「え? えっ、あの……あ、蓮って言います、自分……あれ?」  ぎゅう、と抱きしめてきたウルの父――そう思った相手と密着した部分が想像以上に柔らかくて、蓮は思いっきり動揺した。 「……母上、レンが潰れてしまいますので」  母上、とウルから呼ばれた、蓮を固く抱擁していた背の高い人物は「ええ?」と小さく不満を漏らして蓮から離れる。そして彼らの後ろからふわふわとした服を纏った小柄な人物が現れた。 「その方がウルの伴侶でリコス神の神子か」  穏やかな口調でゆっくりと話すその人物の頭には――ウルが王城に行く時などに着ける、王太子冠よりも一回りは大きいだろう王冠が松明の光で煌めいている。よく見れば、ウルから母上と呼ばれた人物は額冠をしていた。この世界では妻側にあたる方は額に飾りをつけるものらしい。 「レン。紹介が遅くなったが、こちらが父――リコスの王で」 「私はウルの母です、レン殿」  ウルに似ているきりっとした面立ちをしたウルの母は、にこりと満面の笑みを浮かべると自ら名乗った。そして蓮は動揺したまま二人の前で両膝を突くとがばりと頭を下げる――ザ・土下座の体勢に入った。 「と、突然こんな格好で申し訳ありません! ふつつか者ですが、息子さんは大事にしますのでっ!!」   蓮の頭の中にあるのは、令嬢の親に結婚を申し込む昔のドラマのワンシーンだ。あまりにも動揺しすぎて色々と間違えているのだが、本人は気づいていない。深く頭を下げた蓮の身体を起こしたのは、男前なウルの母だった。 「レン殿。この国でリコス神の次に尊い御身が我々に頭を下げるなどと、してはなりません。第一、レン殿は自分の家族がいきなり目の前で土下座をしてきたらびっくりしません?」 「確かにびっくりしますよね……家族? えっ?」  力強い腕に支えられて立ち上がると、リコス王もニコニコとしながらその成り行きを見守っている。ウルには年の離れた兄たちがいたと言っていた。ウルの両親もそう考えるとそれなりの年齢のはずだ。しかし厳しさも秘めたような表情をしているウルの母親はともかく、どこまでもふわふわとしているウルの父親はまったく年齢の見当がつかない。   「ウルが、アルラから奥さんを連れ帰ってきたというから。どんな子なのかと二人で会うのをずっと楽しみにしていたんだ。押しかけちゃってごめんね。それにしてもリコス様の恩恵がありありと分かる、素晴らしく綺麗な色の瞳だねえ。私たちは君のことを、リコス神の神子としてはもちろんだが、新しい家族として大歓迎するよ。うちの息子を見捨てないでくれて、ありがとう」 「み、見捨てるだなんて。俺はウルに拾われたので」  謙遜のあまりまた腰が低くなってきた蓮を、今度はウルが抱き上げてしまった。その様子を見て、ウルの母が息子に似た顔で苦笑する。 「すごいのは俺じゃなくて、リコス神のジンジャーとウルなんです。俺はずっと二人に助けられてばっかりで。料理もしようとしたら怒られてしまうし……」   「国としては長生きなだけに、我が国にも問題は多岐に渡ってある。だが、リコス神の神子であるレン殿がウルを選んでくれたこと――それは、私の息子にとって、この国で最強の後ろ盾を得たことを意味するんだ。何しろ、人々からの篤い支持がある神官たちもまとめて味方につけられるしね。自信を持って、レン殿」  てっきり嫁・姑バトルでも始まってしまうのかと勝手な妄想でいっぱいだった自分が恥ずかしくなるくらい、ウルの母の言葉は強く蓮を励ましてくれた。 「ウル。レン殿がお前を選んだ以上、次代の王は貴方。――だからと言って貴方の自由がなくなった訳じゃない。父も母も、お前はもうリコスに戻らないものだと思って今まで生きて来ました。まずは貴方自身と、レン殿のことを第一に考えるようにね。国は滅びてもまた新しい国が建つけれど、貴方やレン殿の命は今生でたった一度きりなのだから」  元の世界で一度目の人生があっけなく終了してしまった蓮は、ウルの母の言葉に「確かに」と深く頷いた。もっとギスギスした挨拶を想像していたのに――こんなにも親の言葉というものは、温かいものなのだろうか。 「ううっ、ありがとうございます!! お義父さん、お義母さん! 息子さんは大事にします!!」 「どうしてレンが泣くんだ……」  最後のウル母の言葉に、元の世界で見た幼馴染たちの結婚式も頭の中に蘇ってしまって一気に感情が溢れ、滂沱と涙が出てきた。ウルがそれに呆れたような口調で声をかけつつも、優しい手つきで涙を拭ってくれる。 「二人には予め言っておきますが、私は父上のように無駄な後宮を持つつもりはありませんので。伴侶一人にしか気が向かないのに、いくら政治のためとはいえ金喰い虫どもを飼うつもりは毛頭ない。先ほども随分な言動をしている貴族の子女を見かけましたしね」 「金喰い虫って、中々痛いこと言うねえ。でもまあ、意外とこう、癒されたりとか、ね?」  あはは、とウルの父――リコス王が脳天気に笑ったところで凶悪な視線を蓮は感じ取った。ぎろりとウルの母がリコス王を睨んでいる。ウルたち兄弟は後宮の諍いに巻き込まれてウル自身も危ないところだったと聞いたことがある。ウル母の反応を見る限り、後宮とは思った以上に根が深い問題なのかもしれない。 「あ、でも後宮というか、ウルに子どもがいないってなったら、どうなるんだろう」 「それは、愛の力でどうにかなるんじゃないかなあ?」  ウルの母に厳しい眼差しで睨まれ、笑顔のまま震えているリコス王がそう蓮に答えたところで扉が打ち鳴らされ、少し早い夕餉が運び入れられる。リコス王が言いかけたことが非常に気になった蓮ではあったが、てっきり精進料理が並ぶものと思っていた神殿の夕餉が思った以上に豪華で、ついそちらへと気を取られてしまったのだった。

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