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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:02
朝食を済ませた蓮を待ち構えていたのは、怒りのマドモアゼル・ユノーだった。衣装に関することには人格が野生のイノシシの如く凶暴化するユノーだが、今日は不穏なことに、穏やかなままだ。何回か違和感は覚えつつも順調に着替えが済んだところで、蓮は姿見に映った自分を見て目を丸くした。
「ユノー、服を間違えてないかな。これって、女性用……」
「……奥様、そういうことは着替えているうちに気づくものですけれど。下着も女性用ですし」
えええ、と後退りしながら驚いている蓮を後目に、あっさりと蓮は捕獲されて椅子に据えられる。えええ、とまだ言っている主を無視した怒りのマドモアゼルによって、蓮は完璧な『奥様』に仕上げられてしまった。蓮の髪の色にあわせた付け毛まで足された上に、ふんわりとしたメイクが恐ろしいほど似合っている。
「さすが怒りのマドモアゼル。今日も見事な出来栄えですわ!」
「お褒め頂き、光栄の至りです」
傍で見ていたマリナが感嘆の声を上げる中、蓮は呆然としていた。この世界に来てから度々女装やそれに近い格好はさせられているが、女性用の下着というのはさすがに経験がない。
「あの……、女性用の下着なんて穿いていたら、捕まらない? むしろ引くよ? 俺は今、自分に引いてるよ? 止めてほしいというか……」
「旦那様しか見ないのですから、なんら問題ないですよ?」
きゅるんとした可愛らしい表情でユノーが返し、マリナがうんうんと頷いている。そういう問題ではない、むしろウルだって引くだろう、と言い返したかった蓮だが、マリナがすっとまた目を細めた。
「このマリナ、リコスに来てからずっと思っていたのですが……奥様は神子であられるのと同時に、旦那様の奥様であられます! むしろ、そっちのが先です! しかぁーしッ!! 奥様ったら、お庭いじりだとかジンジャー様のお世話だとか神殿のお仕事ばかりで……もっと、優雅に奥様をされるべきですわ! つまり何を言いたいかと申しますと、働き過ぎなのです、奥様は!!」
マリナが拳を握りしめながらカッと目を見開いた。蓮としては驚くほどのスローライフを送っているのに、今の生活が働き過ぎとは。
「でも、ウルなんてずっと働いているのに、それに比べたら俺は何もしてないよ。俺だって前は、睡眠時間ゼロで働いていた時もあったけど……」
「お、奥様……」
額に手をやったマリナが、くらあっと倒れるような動作をした。
「とにかく。今日の午後は旦那様も、お仕事がお休みという情報を我らは得ております。つまり、ご夫婦でゆっくりお寛ぎ頂きたく」
普段はほんわかとしているユノーが突如怒りのマドモアゼルモードとなり、きりっとした表情でそう締めくくろうとした、その時――。
「レーンー!」
扉から、ぱっと顔を覗かせた子ども姿のジンジャーに、蓮も笑顔になった。そのまま駆け寄ってきたジンジャーだが、着飾った己の神子を見てぱたっと動きを止める。
「ああっ、ほらあ! ジンジャーまでドン引いてる!!」
ジンジャーはこのリコス国の守護神、リコス神そのものだ。何の基準で蓮を神子に選んだのかはさっぱり分からないし、当人に聞いても教えてくれないのだが、この広大な国の守護神は人の姿に変じることができる。ふっくらとした健康そうなほっぺたが、蓮のお気に入りポイントである。そのほっぺたが消えていき――オオカミ姿のジンジャーへと変じた。マリナやユノーにはもはや日常的な光景になってきたので、誰も突っ込まないのが、やっぱりファンタジーだな、と蓮は思う。
オオカミ姿に戻ったジンジャーは蓮に近づくと、椅子に腰かけている蓮の膝元に顎を置くようにして座り込んだ。オオカミにしても大きな体躯をしているので、ずしっとした感じがある。しかし、触り心地の良いたてがみはついつい撫で続けてしまいたくなる魔力がある。
『レン、しんぱいなくらいキレイ』
「そりゃ、ユノーが用意してくれたのは綺麗な服だけどね。俺みたいな平凡な男が、こんなに着飾っても笑われちゃうよ……」
情けない蓮の一声に、「そんなことありません!」とマリナとユノーが返してくる。
「というわけで、優雅な奥様はっぴーつあーの始まりは、優雅にお買い物から! ですわ。今日は特別に王太子専属の護衛騎士から、人員も手配済みです。……あ、ジンジャー様も警護へのご協力、よろしくお願いしますね」
「それって、もしかして……」
こういうことに駆り出されそうな人物は一人しか思い浮かばず、蓮はジンジャーと視線を交わすのだった。
***
「この辺りは来たことがないなあ」
「神殿へ通う道からは、離れておりますものね」
蓮よりもウキウキとした様子のマリナが、馬車の中で意気揚々と街のガイドを買って出た。川辺に沿って、大きな市場が広がっている。その表側というべきか、城側は一転して貴族向けの店が並んでおり、瀟洒な街並みと雑然とした市場とが近場にあるという不思議な空間が広がっていた。
やがて馬車は大きな広場の近くで止まった。マリナがリサーチしたという、宝飾品を扱う店を覗きに行くためだ。馬車から降りると、思ったよりも行き交う人が多くて、蓮は自分の格好がさすがに恥ずかしくなった。
「……別に、街の中を歩くくらいならさ、わざわざ女装しなくてもいいじゃないか。どう考えても、変だよ」
「リコス神の神子は男、ですからね。まさかこんな街中を優雅に歩く、美しい女性が神子だなんて誰も思いません。我ながら見事な考えです。大丈夫です、誰も男だって気づきませんわ、奥様!」
力説したマリナに『きにしない~』とのんびりとした口調でジンジャーが同意してきた。だからといってここまで派手に女装をする必要はないだろうと、文句を続けようとした蓮だが、街の中は思っていたよりも人の行き交いが激しい。
道を知っているというマリナに続いて、蓮に合わせておめかしをした子ども姿のジンジャーが蓮と手を繋ぐ。その二人を後ろから守るように歩く騎士という一行は、地方から遊びに来た貴族の子どもたちといった風で、確かにこの辺りでは意外と目立たずに行動できている、気がする。
「……すみません、オーヴァさん。今日お休みだったんじゃ……」
「いえ。今日はちゃんと、仕事として来ておりますのでご安心を。それに、剣の腕に長けるウル殿下よりも、レン様の方が護衛のしがいがありますよ」
蓮の予想通り、護衛はウルの長年の忠臣であるオーヴァだった。こんなどうでも良いような外出に、ウルの部下を連れ出すなんてと渋った蓮だったが、オーヴァは「楽しませて頂いてますから」と笑顔で付け加えてくる。
そんな会話をしていた彼らの近くで、一気に人々の歓声が沸き起こった。びくりとした蓮を、さっとオーヴァが守るように動いたが、人々の歓声が広場から聞こえてくることに気づく。人が集まるところは避けた方が良いとオーヴァが進言してきたものの、「神子様が現れたぞ!!」という言葉が、蓮たちの耳に飛び込んできた。
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