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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:07
「ところで、レン。偽者の神子、というのは――」
「ああ、そうそう。今日、マリナたちと街に出かけたんだ。それで、神子とオオカミが現れたって街の人たちが言ってて――俺なんかより、よっぽど集客力あるっていうのかな、綺麗な子だったよ。……あ、でも俺の意味がないとか言ったら、ジンジャーに失礼かなあ」
真剣な表情になったウルの顔が、蓮の話が進むごとに苦虫を噛み潰したような、あの表情へと変化していく。それから盛大にため息をつくと、蓮の額をぴんと指で弾いてきた。
「レン。自分では分からないのかもしれないが、レンの容姿は美しいよ。真剣に神子の勤めを行っている時などは、普段のレンを見ている私でも驚くほどだ。そうやって、無意識に己を卑下するところは、レンの悪い癖だな」
「……えっ、あの……えっ?」
意外と弾かれたのが痛くて額を抑えた蓮だったが、恥ずかしげもなくさらっと言ってきたウルの言葉に動揺してしまう。
「う、ウルってば、もしかして視力下がっちゃった? 俺、どう見たって平凡な日本男子にしか見えないよ。鼻もウルみたいに筋がすっきりとおって高いわけじゃないし……」
「整っていて、好ましい顔と思う。私とて、好みはある」
最初に出会った時、なんといっても常に不機嫌だったし、神の定めなら獣でも抱けると言っていた気がする。ウルが少しむっとしながら返してきたのが意外で、蓮はむくりと起き上がると寝台の縁に腰かけているウルの隣に、同じように座り込んだ。
「なんか、ウルの傍にいたら、自分のことがよく思えそうで怖いなあ。調子に乗っちゃいそう」
「自分のことを正しく理解し、憐れむことができるのは、結局のところ己のみだ。自分を大切にし愛することと、自惚れることは違う」
穏やかに返してきたウルの言葉を、蓮はぐるぐると考えていた。時折、ウルはそういった話を蓮にしてくるのだが、ナルシストとの違いがいまだに良く分からない。
「まあ、食べ物を猫に取られたり、窓から落ちそうになったり……レンは迂闊なところを先にどうにかせねばな」
「うっ、やっぱり来ると思った……。いや、待って! おさかな盗られたのは、俺のせいじゃ……! しかも、なんで知っているの……」
今朝のことどころか、マリナたちと外出していた時の不運をさらっと持ち出されて、蓮は慌てた。まさか、今日の不運一覧をリスト化して報告、なんてことはされていないだろうか。
「しかし、猫に負けるとはな」
「うう……ジンジャーが、がっかりしちゃってたよ。自分が幸運の神さまなら良かったのにって」
リコス神が? とウルが驚きながら聞いてきて、蓮が頷く。ウルが堪えられず笑い声を漏らしたのを隣で見ながら、蓮は己の膝の上で頬杖をついた。
「前にも言ったかもしれないけど、昔からこうなんだよねえ。ちょっとした不運が続く体質っていうか。ほんものの神さまを嘆かせちゃうレベルってすごいよね? 最近、夢も変なのばっかりだしさあ」
「――夢?」
楽しそうに笑っていたウルが、ようやく笑うのを止めた。思いがけない真面目な反応に、蓮はびっくりしたが、マリナから『夢の話でも虫の話でも、ウルは聞いてくれるはず』という言葉を思い出して、頷き返した。
「大した夢じゃないんだけどね。俺が、いぬか何かになる夢。最初は楽しくてルンルンしているんだけど、火事で仲間からはぐれて……一人ぼっちになるんだ。それから、誰かと出会ってまたルンルンし始めるんだけど……なんか、あまり覚えてはいないんだよ。ただ、怖い終わり方をするんだ」
「……レンのことだから、うっかり罠にでもかかっていそうだな……」
夢のことじゃないか、と笑い飛ばされることも考えていたのに、ウルは何とも言えない表情で蓮を見てきた。それから少し考える素振をして、寝台から立ち上がった。部屋に備え付けの棚から紙一枚と短剣を取り出し、細かく切り始めた。紙片のひとひらを手に取り、蓮のところに戻ってその紙片をぺたっと蓮の額に押し付ける。
「悪夢祓いのまじないだ。悪夢を見た後、こうやって紙に悪夢を移して封じ込め、火で焼く」
「こっちの世界でも、おまじないとかあるんだ?」
ほけっと笑った蓮の額から紙片を取り去り、テーブルの上に置かれた燭台の火に近づけると一瞬で灰に変わっていく。こういう何気ない時でも、背筋を正してすっと立つ男の格好良さに、思わずどきっとしてしまった自分を、蓮は不思議に思った。
「ありがとう、ウル。気持ちが楽になった気がする」
「夢を覚えているほどなら、あまり眠れていないのだろう。今晩は一緒に寝ようか」
ウルの朝は早いので、睡眠の邪魔をしないように次の日が休みの時だけ一緒に寝る、ということがいつの間にか定着していた。思いがけぬ誘いに、蓮が顔を赤くしながらも頷くと、その動作と一緒に「ぎゅう」とお腹も返事をした。
「……だから、」
「お腹も俺の一部だから、ウルのことが好きなのは仕方ないよね」
腹の音で返事をするな、と言いかけたウルの先手を打って口を開くと、また声を出してウルに笑われてしまった。
***
「エウク国の王太子、ですか」
エデュカへの出立を報告しに、父でもあるリコス王の許を訪れたウルはそこで、予想だにしていないことを聞かされた。リコス王も「不思議だよねえ」と首を傾げた。
「エウクなんて、国交もないし名前を知っているくらいだからさあ。あちこちを遊学しているって言われてもね。エウク王の玉璽付きの旅券チラ見せられても、さすがに信じられないじゃないか。でも、顔は似ているって話でね」
親子だからこその気軽さで声をかけてきた王に同じノリで応えることなく、ウルは眉根を寄せて考え込む。
エウク国は別名竜の国とも呼ばれ、稀少な竜族が住まう国だ。竜神が守護しているといわれる神の島でもある。大陸からは離れているためにどの国ともほとんど交流はなく、リコス国でも王の代替わりをお互いに報せる程度だ。数年前にエウク国にも神子が現れたとエイデス家にやって来た商人から噂を聞いたことがあったが、その神子に選ばれたのであろう王太子が、突然リコスの王都に現れるというのはさすがにおかしい。
「陛下。それで、エウクの王太子はどちらに?」
「ん? ああ、とりあえずは神殿に押し付けたよ。神官たちは下手な騎士よりよっぽど腕力が強いからねえ。エウクに確認を出すにも、行って帰ってくるというだけでも海を渡るから、無事帰って来られる保証もないし。とりあえず向こうも正々堂々って感じでもないから、程々に持て成してさっさとアルラあたりに行ってもらえばいいかなあ、なんて」
のほほんと笑った王に眉根を寄せかけたのを我慢しながら、ウルはもうひと思案する。そして分からないように嘆息した。とぼけた振りをしてはいるが、王はウルがどう返すのかを見ている。――次の王に、相応しいかどうかを。
王は優柔不断に思える態度が多く、流されやすそうな外見をしているが、こう見えて中々計算高い狸なのである。
「アルラにさっさと行ってもらうというのは良い案です。しかし、神殿には明日より神子が入ります。己の神子がいるはずなのに同伴することもなく現れた王太子――我らの神子に何かがあっては遅い。こちらにはオーヴァもおりますので、エウクの王太子殿とやらには、エデュカに同行して頂くことにしましょう」
「ふうん。ウルのエデュカ行きは二度目だったっけ。なるほど、『エウクの王太子』相手にエデュカの臣下たちがどう振る舞うか、見定めるのにもいい機会ってことだ」
おお怖い、と王は笑いながらも、「まあいいんじゃない。やってみなさい」と朗らかに返してきた。
「そうそう、神子と言えばレン殿は元気かい? ウルが外に出したがらないから、なかなか会わせてもらえないって王妃がぼやいていたよ」
「なかなか? ……先日もお茶会だと言って呼び出されたはずですが」
声を潜めてきた王に、ウルはますます眉根を寄せる。冷静にそう返すと、「それがさあ」と王は頭をかいた。
「ほら、王妃はああ見えて寂しがりだから。レン殿のことがとても可愛いみたいでね。まあ、ウルより感情表現がずっと豊かだし、見ていて面白いしねえ。神子なんだから、本当の住まいは神殿が妥当だろうっていうのは置いておいて、なんなら住むのはここでもいいんじゃないかな。王太子宮よりも安全だよ? 三食昼寝、王様付き」
えへへ、と年甲斐もなく笑いかけてきた王に、ウルは思わず舌打ちをしかけたが咳ばらいをしてごまかした。
「寂しがりなどと、そんな軽々しい言い方は王妃殿下に失礼でしょう。どうしてそうなるに至ったか、陛下が一番ご存知であるはずなのに。レンが可愛いのは事実ですが、それこそ陛下がもっと王妃殿下の許を訪えば良い話では? 王妃殿下の伴侶は貴方だけなのですから。レンがこちらに移るのは、私が王位を継ぐ時です」
「うーん、昔はもっと無口な子だった気がするのに、言うようになったねえ。王妃はずっと許してくれてないからなあ。何が正解なのか、最初から知っていれば間違えないんだけどね」
陛下、と近くに控えていた侍従が声をかけてきた。元々出立の挨拶に訪れただけなので、謁見の時間は短く決められていたのだ。
一礼してから謁見の間から出ると、扉近くに控えていたオーヴァたちウルの護衛がすぐにウルの側へと近寄る。
「……殿下。もしかしてまた、厄介ごとでしょうか」
勘の良い部下の一人が、ウルの無表情を的確に読み取ってくる。
「そんなところだ。出番だぞ、オーヴァ」
「はい?」
目を丸くした己の騎士を一瞥すると、ウルは王宮を後にするのだった。
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