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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:08

「す、すごい……ちょっとしたお祭りくらいの規模になっている……」 「こういうのは無駄だとも思うが、これでも控えめだと文句を言われた。エデュカなど馬を飛ばせば日帰りもできる距離なのだが……」  神殿へと続く、長い階段の下にはリコスの騎士や神官たちが列を成しており、ウルと並び立ちながら蓮は目を丸くした。奥様はっぴーつあーの数日後。今日は神子として、ウルの出立を見送るために神殿に来ている。本日の主役はウルなので、蓮は薄布で口元を覆い、全体的に露出は控えめだ。  昨日城でリコス王に出立の挨拶をしたウルは、先ほど、神官長から旅の安全祈願を受けた。温暖な風が吹く、旅立ちにはうってつけな朝だ。 「見送りはここからでいい。また、階段から落ちかけたらたまったものじゃないしな」 「そんな。いくら俺でも毎回階段を踏み外したりしないってば」  くく、と笑っているウルに蓮が抗議すると、ぽん、と軽く頭にウルの大きな手のひらが置かれた。旅装のウルを見るのは初めてではないのだが、自分だけが置いて行かれる感覚が思ったよりも辛く感じる。ウルが留守の間は神殿で寝起きをするように言われたのも、寂しさを覚える一因かもしれない。ウルが帰ってくるまでは王太子宮にも戻れないので、マリナやユノーたちといつものように話しをして気を紛らわせることもできない。 「そちらがリコス神の神子か」  そろそろ出立を、と護衛のオーヴァが声をかけた時。神官長と現れた背の高い青年に、蓮は視線を向けた。ザ・王子様といった雰囲気で顔は整っているが、その眼差しはどこか冷たい。口元は笑っているのに、目が笑っていない。目許だけ笑んでいることがあるウルの、逆パターンだ。  「神子殿。こちらは、竜の国とも呼ばれるエウク国の王太子、リーオ殿です。今、リコスには遊学のために滞在されていて、今回のエデュカ巡行にも同行されます」 「お初にお目にかかります、リコス神の神子」  丁寧な口調でザ・王子様が蓮に頭を下げた。「はじめまして」と蓮も返すと、頭を上げたリーオがまじまじと見てくる。何か顔についているかな、と蓮がどきどきとしていると、相手は笑んだまま首を傾げた。その間に、神官長が他の神官に呼ばれて蓮たちのところから離れていく。 「神子は、噂通り男性なのですね。秀麗なウル殿の伴侶になられるのだ、てっきり絶世の美姫がお相手かと……それとも、その布を取り払ったら美しいかんばせが?」 「リーオ殿。神子は畏れ多くも、既に私の伴侶だ。今の言葉は、侮辱しているように聞こえるが」  ウルが、蓮以外の人間の前でめずらしく感情的になる気配を感じて、蓮は慌てて二人の間に割って入った。リーオがウルに懸想しているのでは、と思わせる雰囲気に、普段はのんびりとしている蓮もさすがに慌てた。例えるなら、妻をやらしい目で見られている夫の気持ち、というか。 「俺は自慢できる顔じゃないですし、ウルは格好いいので、他の美しい方に懸想されないか心配ですが……ウルは、神が選んだ俺の伴侶ですので。奪おうとする者は、神に逆らうことになるでしょう」  ウルに最初出会った頃に言われたことを適当に流用してリーオに言い返すと、相手は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。意地悪い男なのかと、頑張って応戦したのに。思わぬ反応に蓮は戸惑い、それから急激に自分が言ったことが恥ずかしくなった。こんなことを他国の王太子の前で言われて、もしかしたらウルはあの苦虫を噛み潰したような表情をしているかもしれない。恐る恐る、隣に立っている己の伴侶を見上げると――ウルは口元を押さえてはいるものの、嬉しそうな表情になっている。 (ど……どのあたりが嬉しかったんだろう……わ、分からない)   「神子殿はこちらで、殿下をお見送りしましょう。神子殿も、殿下に旅の無事をお声がけください。祝福を」  雰囲気を察したのか、別な神官に呼ばれて少し離れたところにいた神官長が声をかけてくれた。その救いの声にほっとした蓮は、赤い顔のまま神官長に頷いて見せる。それからウルに向き直ると、以前贈った腕輪をつけたままの、自分の伴侶である男の手を取った。 「……ウル・ヴァント・リコス。あなたの、旅の行く先の平穏と無事を、心より祈ります」  神官長に教えられた通り、ウルの手の甲に口づけをする。ちらっとリーオを見やった蓮は、ウルの手を掴んでそのまま少し人々の集まりから離れると、こそこそと耳打ちをした。 「あのっ、あのリーオって人、ウルのこと狙ってないかな。エデュカにもついていくんでしょ?」 「……レンでも、嫉妬してくれることがあるのだな」  まだウルは心なしか嬉しそうだ。「嫉妬?」と返しながらも、ようやく自分の心の中に発生した感情が、リーオに対しての嫉妬なのだと知り、蓮は驚いて目を丸くした。その様子を見ていたウルは声を出さずに笑い零すと、リーオからは見えない位置で蓮の口許を覆っていた布を取り去る。 「あの男は、そもそもエウクの王太子本人であるかすら分からない。こちらに置いて行くわけにはいかないからな。……それよりも、私が留守の間に食べ過ぎて腹を壊したりしないように」 「えっ、それって大丈夫なのか? ますます心配……。ところでさ。俺、食べるのは大好きだけど、そんな無謀な食べ方したりしないってば。でも、お土産は食べられるものがいいなあ」  蓮が真面目な顔でウルに返してくる。我慢できずに声を出して笑ったウルに口づけられて、蓮は人目があるのに、とじたばたする。 「ううう、ウルこそ! 神さまのお告げだとか言って、変なものに手を出さないようにね」 「神子が伴侶なのに、そんなことするか。土産のことはちゃんと考えておく。少しの間だが、元気でいるように」  笑いを堪えきれないまま、ウルが蓮から身体を離すと、蓮の額に口づけを残してから踵を返した。    ウルたちが長い階段を下り終えると、神殿――神子に向かって、全員が頭を下げた。 「神子殿。出立する者たちに一言はございますか?」 「え、ええと……ひとこと?」   てっきりウルに声をかけるところで、役目は終わったとばかり思っていた蓮は、神官長に突然振られて動揺した。神子が、たくさんいる人々の前で言葉を発する機会は、実はほとんどない。神子はそもそも、神の言葉を代弁するための存在なので、普通の挨拶程度なら、神官長や王、王太子であるウルが神子の言葉として代弁することが多いからだ。気の利いた一言が咄嗟に思い浮かばず、蓮は両手を合わせると、階下の者たちに向かってゆっくりと頭を下げた。ただ手を合わせているだけだが、他に思いつくポーズが何もない。 「――花が……?」  隣にいる神官長が、茫然とそう呟いたのが聞こえて、ちらっと蓮は薄目を開けた。 「あれ、本当だ」  花びらが、ひらひらと雪のように蓮の手に落ちてくる。あわせていた手を開くと、無数の花びらが風に煽られて、今出立するウルたちを祝福するように舞い込んでくる。 「おおおお、すごい! 綺麗だ」  奇跡の光景に人々の歓声が沸き起こる中、にこにことしている神子に見送られた一団が王都を後にする。 「こんな演出が用意されていたんですね。びっくりしたあ。ウルー、みなさーん! いってらっしゃーい!!」  大歓声の中、蓮が声を出すと、ウルだけが気付き、手を振り返してきた。

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