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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:09

「……驚きましたね」 「少しの間、留守にするだけなのですが」  エウク国の王太子だと名乗る男と馬首を並べ、神殿の門から出たウルは、隣から聞こえた呟きに答えた。  リーオと名乗った男は、偽者にしても身のこなしや、食事のマナーなどには問題がなく、神経質そうなところはあるものの明確な偽者とは言い切れなかった。王と話した通り、エデュカに同行するというこちらの提案も、あっさりと了承してきたのだが、それにしても一国の王太子が供をつけずに海を越えて遊学に来るなどと、どうしても信じられない話だ。しかし、彼を知る者から見ると、顔はそのものだというから悩ましい。  リーオの呟きにウルが返すと、呟いた当人は「そこではなく」と真剣な表情で返してきた。ちらりと神殿を振り返っている。 「今、花を降らせたのは――神子のお力でしょう。リコス神は、生と死を司る古の神だが、花神ではないはず。森の神でもあるアルラ神の神子ならともかく、主神が持たない力を持つ神子というのは、聞いたことがありません。……彼は、本当にリコス神の神子なのでしょうか」  そう言ってきたリーオの言葉を近くで聞いていたオーヴァが、一度大きく咳ばらいをしてから「恐れながら……」と声をかけてきた。 「確かに、我らの神子はこちらに来てすぐに神子の徴が顕現したわけではありませんが、今は確かにあります。リコス神がわざわざ現れて常に傍にある程に、寵愛も受けている。……何せ、殿下とよく取り合いをされているくらいですからね」 「オーヴァ。最後のところは不要だ」  失礼しました、と笑みを含んだ表情をしたまま、護衛騎士のオーヴァが頭を下げて少し離れる。苦虫を噛み潰したような顔になりかけたウルはかろうじて堪えると、それをごまかしながらも口を開く。 「余計なことを申しましたが、この者の言う通りです。リコス神が神子に与えた徴を、我が国では確認している。その経緯すら、私は見ている。リコス神の神子はそれこそ遥か昔に初代がいたのみで、本当に久しぶりの降臨です。リコス神は生を司る――生命に作用するものも範疇かと我々は考えています。……リコス神本人に聞いても、答えてくれるか分かりませんがね。先ほどのも、神子ではなく、リコス神でしょう」 「……なるほど。確かに、リコス神は、神として持つ力は強大でしょう。しかも、お話を聞くと……リコス神と神子は、随分と仲が宜しいのですね。土地の神は、神子のことなど……己の人形くらいにしか思っていないと思っていましたが」  リーオはそこまで話し終えると、「変なことを言ってしまいましたね」と笑んで見せる。 「リーオ殿。人形にしか思わない、というのはどういう……」 「あはは、どうか気になさらないでください。どうせ神子は、王として即位するのに必要なだけのアイテム。今は伴侶といえど、無事即位できれば無用となるじゃないですか。特に、貴国の神子は男子。ウル殿の子を生み、世継ぎを作ることもできない。愛の神から認めてもらう方法が唯一あるが、彼の神の試練を乗り越えるよりも、ちゃんとした王妃を迎え入れる方が余程簡単……効率が良い」  ね、とリーオがウルに同意を求めてきた。相手の言葉がもたらした不愉快さに、ウルは相手に気取られないようにそっと蒼の瞳を細める。一人の時ならため息の一つか二つ、つきたくなる場面ではあるが、ウルは敢えて口元に笑みを浮かべて相手を見やった。 「私は、神子が――私の伴侶が現れなければ、いつまでもアルラ国の中で、自分の運命から隠れ続けていたでしょう。私をウル・リコスに戻したのは、私の伴侶だ。例え彼が真実神子ではなくても良い。生まれ変わっても夫婦となる契りを結んだ伴侶を、効率などと言って切り捨てることなどあり得ません。長いリコスの歴史上、王族に連なる血脈はいくらでもいる。子を成せずとも――直接の血のつながりはなくとも、次の王たる者に継げば良いと考えています」 「……へえ。ウル殿がそこまで奥方に熱を上げられているとは、外見からでは想像もつかなかったな。それ程魅力的な方なのであれば……今度、じっくりとお話したいものだ」  ぎりぎりまで馬を寄せてきたリーオは、ウルの騎士たちに聞こえないようにそう耳打ちをして来た。それから「変な話をしてしまってすみません」と微笑み、ウルから視線を逸らす。 「殿下。エウクのお方が、何か……?」 「……いや、大したことじゃない」  二人の接近を心配したオーヴァもウルに馬首を近づけてきた。大したことじゃない、と言いながらも、ウルは相手の言葉の真意を測りかねていた。 「リーオ殿にも、神子がいるはずだが――今、その方は?」  ウルが話しかけると、リーオは微笑んだまま肩を竦めて見せ、答えることはなかった。

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