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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:10

(……やっぱり、ウルが心配だな……)  高いところから、王太子たちの出立をずっと見送っていた蓮は、急接近したウルとエウク国の王太子の様子を見て、そわそわとしていた。先ほどのやり取りだけでも、エイク国の王太子がウルに何かしらの感情を抱いているのは、いくら蓮がそういう感情に疎くても分かる。そのくらい、あからさまだった。 「神子殿。先ほどは素晴らしい出立の儀でしたよ」  笑顔で声をかけてきた神官長の太い腕を掴むと、蓮は周囲を見回してから神官長を神子の間へと連れて行った。リコス神の間から続くこの小さな、青で彩られた美しい部屋は神子と、神子が許した者しか入れない。ウルが帰還するまで、当面はこの部屋に寝泊まりすることになったので、これから寝台なども運ばれてくる予定だが、既に椅子や小さなテーブルなどが配置されていた。そのうちの一つに神官長を座らせ、自分も座ると真剣な表情で見やった。 「神官長さん。あの二人……ウルとリーオ王子って、どういう関係なんですか」 「……はい?」  鬼瓦に似た神官長の目が丸くなった。蓮もがっついてしまった自分に気づき、慌てて神官長の腕から自分の手を外す。思いがけず、変な聞き方になってしまったが、蓮と同じ光景を見ていた神官長は蓮の聞きたいことに気づいてくれた。 「どういう関係も何も、初対面のはずですよ。そもそも、エイク国と我が国は国交がないのに突然現れたので、陛下をはじめ我々も困っていたところなのです。まあ、学ぶのが目的だと仰っていますし、幼い頃から優秀と知られていた王太子殿下の側であれば学びたいこともたくさん見つかるでしょう」 「……ウルって、そんなに頭良かったんだ……」  確かに、知らないことはいつでも分かりやすく教えてくれるし、アルラ国で騎士団長をしていた時も仕事ぶりがかなり評価されていたのは聞いている。剣だって相当の腕前なのに、頭脳明晰が同居するというのはあり得るのだろうか。愛想は必要最低限というかあまり良くないかもしれないが、精悍で男らしく整った顔立ちをしている。ウルの完璧さ加減に、蓮は自分が伴侶で良かったのかな、と今さらながら心配になった。 「兄上方のこともあり、お隠れになった時はリコスの至宝がまた一つ失われてしまったと泣いたものですが……王太子殿下が神子殿と一緒に、ご帰還された日を思い出すと……涙が……っ!」  神官長は特殊部隊もびっくりなほどに、鍛え上げた体を小さくして泣き始めた。慌てる蓮の「ななな、泣かないでください!!」という間抜けな声が、神子の間に反響する。 「ええと……あ、そうだ。竜の国って聞きましたけど、もしかしてこの世界には竜がいるのですか? 火を吐いたりとか……?」 「おりますが、火を吐いたりするとは聞いたことがないですね。エウク国以外での彼らは、人に紛れて暮らしていますから。もしかしたら、リコスで生活している竜族もいるかもしれませんよ」  竜、というキーワードに目が輝いた蓮だったが、どうやら実際にあの姿をした竜に会うことは難しいらしい。とりあえず、ウルとリーオが昔からの幼馴染で特別な関係だった、ということはなさそうだ。それに安心した蓮は、神官長からこの世界の幻獣たちについて教えてもらい、一緒に神子の間から出た。 「ところで神子殿。王太子殿下より、御身を詐称する者が現れたと伺いましたが」 「えっ? ええと、どうなんでしょうね。結局、なんだったのか俺も良く分からなくて――」  雰囲気が突然変わった神官長に、蓮がおたおたとした時だった。 「おおっ、もしや貴方様が神子殿か?!」  出てすぐに大きな声で話しかけられ、蓮は飛び上がりかけた。体躯の良い神官長の影に隠れていたので相手からはそれほどは見えなかっただろうが、心臓に悪い。胸を押さえていると、神官長が相手へと向き直った。 「アシュリ卿。ここは神聖な神子の間前です。このような場で、不躾な真似はおよしなさい」  神官長の低い声音は中々の迫力がある。蓮が緊張しながら隠れていると、「それは申し訳ない!」と笑い声が返ってきた。どこか粘ついている感じがする笑い方に、勝手に鳥肌が立って蓮は動揺した。 「だが、こちらは第三騎士団である。今まで散々お預けを喰らっていたのだ。……失礼!」  神官長の影に隠れていた蓮の前に、突然小太り肥満体型の男が現れた。今度こそ蓮が飛び上がるのと、神官長が男を強く押さえつけるのは同時だった。「ただの挨拶ではないか!」と小太りの男が抗議をするが、神官長は無言で相手の身体を蓮から遠ざけると、床に向かって放った。 「神子殿はこの国において、王よりも貴い御立場にあられる。挨拶をしたいのであれば、正装し、許されるまで何度でも訪うべきでしょう」 「あの、神官長さん。俺は大丈夫なので……」  緊迫した空気に耐えかねた蓮がそう申し出ると、「神子殿はお心が広い!」と大きな声がした。男はよいしょ、とかけ声をしながら立ち上がると、神官長を押しのけて蓮の手を握ってくる。そのねっとりとした手のぬくもりに蓮が戸惑っていると、男はニタリと笑んで見せた。 「我が名は神子と神殿を守る主命を戴く、第三騎士団団長のジェルタ・ヴィレン・アシュリと申します。神子殿、ぜひ自分のことはジェルタとお呼び捨て下さい。どうぞ、お見知りおきを」  男――ジェルタは、固まったままの蓮の手のひらを撫でまわすと、神官長に睨まれていることに気づいてそそくさと立ち去っていった。あまりの衝撃に、「神子殿」と神官長の心配げな声に気づくまで、蓮は呆然としていた。 (なんか……似ている……?)  この、無遠慮も良いところなスキンシップ。  粘つくような、人を試しながら笑いかけてくる――あの笑い方。何より、目上の人間だと分かった途端に変わった、目の輝き。そしてすぐに大きな声を出そうとするところ。  まさかこの世界にも、蓮の元上司にそっくりな男がいたとは。上司までこの世界に転生してきたというパターンはないと信じたい。 「神子殿、とりあえずお食事の前に沐浴をされてはいかがでしょうか。……第三騎士団は確かに有事の際、神殿や神子を守る立場にありますが、今回神子殿の警護については王太子殿下より、我々があたることと命じられております。こういった儀礼の際でなければ、神殿の奥まで入らせたりしませんから、ご安心を」  蓮は神官長の言葉にうなずき返すのだった。

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