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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:11

(そうだ。しばらく神殿で寝泊まりするとなると、ジンジャーに会う時間が少なくなっちゃうかな)  沐浴し、何とか食事を摂ると落ち着くことができた。それからジンジャーのことが気になり、蓮はそわそわとし出す。  蓮を己の神子として選んだリコス神――ジンジャーは、なぜか神殿の中に来るのを嫌がる。蓮は密かに、リコス神の間に飾られている『リコス神の肖像』が恥ずかしいのかな、と考えている。偶然神子の間の奥に発見した抜け道を通ってこっそりと神殿の外に出ると、ジンジャーを探し始めた。しかし、運悪くも近くで人の声がして、近づいてくる複数の足音が聞こえてきた。蓮は周囲を確認したが、絶望的なくらい身を隠すところがない。困り果ててとりあえず壁際に蹲ってみた。見つかるのも時間の問題かと思ったが、さっと大きな影――ジンジャーが現れて、蓮を隠した。 「いやあー、美しい出立の儀でしたね。神子様がいると雰囲気がとても和らいで……」 「まったくだ。素晴らしかったなあ。王太子様が戻られるまでは、神子様は我ら神殿でお預かりすることとなる。誠心誠意、お仕えしよう。神子様が居心地よいように……」  蓮が困った時は必ず現れてくれるジンジャーの大きな――ぽよんとしたお腹の影に隠れながら、蓮は神官たちの話を聞いていた。神官たちに見つかるのは時間の問題かと思われたが、神官たちは今日の出立の様子を語ることに夢中になっている。蓮はおろか、もふっとした毛並みで蓮を覆い隠している巨躯のオオカミにすら気づいていない。 「ところで。王太子様は大丈夫なのだろうか。ここだけの話だが、竜の国におわすはずの竜神の神子が、現在行方不明なのではという噂話を聞いたことがある。神子に選ばれた王太子が、神子も行方不明なのに突然ここに現れるというのも、おかしい話ではないだろうか。まあ、どれが真実の話かは分からんが……。我らの神子様の様子を見ていると、王太子様と少しの間離れるのもお辛い様子なのに。エデュカは王太子様の歴代の直轄地とはいえ、しばらく野放しであったしな。エデュカの神官たちにも、神子様の伴侶であられる王太子様を必ずお守りするよう伝達は出ているというが……」 「神子様が行方知らずだなんて……我が国だったらとんでもない騒ぎになりそうですけども。もしそれが真実であれば、王太子は異国の地で悠々と遊学とは……一体、何をお考えなのか」  うっかり、情けない神子代表といっていい蓮への愚痴大会でも始まるかと思ったが、存外印象は悪くなかったらしい。見つからないか緊張していた蓮だが、それよりも竜の国の噂に、鼓動が一気に速まった。神官たちはそれからも少し世間話をして、見回り中だったのか別の場所へと移動していく。彼らの話し声が聞こえなくなってから、蓮はようやく白い岩のようにじっと動かないジンジャーの影から顔を出して、周囲を見回した。 「ありがとう、ジンジャー。助かったよ」 「どういたしまして。それより、ひとりでそとにでたらあぶないでしょ」  ふんふん、と鼻を鳴らしながら蓮の頭に顎を乗せてくる。ずしっとくるジンジャーから何とか逃げ出すと、蓮はジンジャーの真正面に座りなおした。地面に直接座り込んでいるので服が汚れてしまう、と一瞬怒れるユノーの顔がよぎったが、今はそれどころではない。いつになく真剣な表情の蓮を見て、ふいっとジンジャーが視線を逸らそうとしたが、蓮はふわふわとしているジンジャーの頬のあたりを両側から手のひらで押さえた。 「ジンジャーも、さっきの神官さんたちの話、聞いていたよね。ウルが、危ない気がする。竜の国の神子が行方不明って言ってた……それって、リコスなら俺が行方不明なのと一緒だろう? それに奥さまの勘って言ったらおかしいけど、あのリーオって人、ウルを狙っていると思うんだ」 「それはないとおもうけどねー。でも、りゅうのみこがいないっていうのは……へんだね」  やっぱり、と蓮は考え込んだ。一国の神子がいなくなったかもしれないのに、ふつうの顔をして、他国の王太子を誘惑しようとしているとしたら事件なのではないか。まだむにゅ、とほっぺたを押されながらも、ジンジャーがちらちらと見てくるのを感じる。意を決して蓮が口を開くのと同時に、ジンジャーは「だめ」と突き放した。 「……俺、まだ何も言ってないけど」 「レンのかんがえはおみとーし。じぶんもおいかける、ってはなしならきけない。ウルともやくそくしてたでしょ、おるすばんするって」  ぱたん、ぱたんとジンジャーの太く長い尾が地面を叩く柔らかな音が聞こえる。蓮は一度口を噤んだが、ちらっと見てきたジンジャーの額に己の額をぐいぐいと押し付ける。 「お願いだ、俺の神さま。最初は嫉妬なのかなって思ったし、たぶん嫉妬しているからだと思うんだけど……胸騒ぎがするんだ。ウルを、守りたい」  頑張って視線を逸らそうとしていたジンジャーはしかし、俺の神さま、と言われてとうとう心が動いたらしい。蒼の瞳を伏せると、小さく嘆息をした。そういうところはウルに繋がるものがある。 「……もう! どうせ、わたしがだめって言ったら、一人で行くつもりなんだろう! でも、レンが行くのは、絶対にだめだ。エデュカは、わたしの力が届きにくいから。ウルとの約束どおり、レンはここで待っていること」 「分かった。でも、ジンジャーの力が届きにくいって、ジンジャーは大丈夫なのか? 俺、ジンジャーが危ないのも嫌なんだ。我儘言ってて、ごめん……」  口調を変えてきたジンジャーの頭から顔を離し、蓮は肩を落とした。だが、そんな蓮を抱きしめてくる小さな手のひらに気づく。 「これでも、レンの神さまだからね、大丈夫。心配してくれて、ありがとう。レンは美味しいものを食べて、暖かいところで待っていること。『この世界』では、辛いことにあわせたくない。何かあったらわたしの名を呼んで。何があっても、駆け付けるから」  可愛らしい声でそう告げると、額に口づけてくる気配がした。 「……ジンジャー、おれ……!」  やっぱり一緒に行こうと言おう。視線を上げた蓮にはもう、ジンジャーの姿を見つけることはできなかった。

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