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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:12

 ウルとジンジャーを見送った後の日のこと。  蓮はいつもどおり、神子の間にあるキャニスの幼木の世話をしていた。最初出会った時は元気のなかったキャニスの木だが、今は少しずつ元気を取り戻している気がする。  今後もウルが留守の際は寝泊まりができるようにと、神子の間に蓮の使う寝台や机やらを入れてもらったら、それだけで手狭になってしまったが、その狭さが存外嫌いではない。キャニスの木だけだった神子の間はすっかり蓮の秘密要塞と化した。神官長たちも蓮が許可しなければこの部屋には入って来られないので、殴り書きの絵を描いて置きっぱなしにすることもできる気安さに、たまに神子の間に泊まるのも悪くないかな、と思ったのが初日。  マリナやユノーたちも時折様子を見に通ってくれるとはいっても、話し相手だった面々が常には不在の中、自然とキャニスの木に話しかけることが増えていく。蓮はそれほど気にしていないつもりだったが、マリナが神殿を訪れた際も、キャニスの木に話しかけている話をしたら、本気で心配されてしまった。 「神子殿がそこまで気鬱になられていたとは……」  「聞けば、奥様のお食事の量も減っているとか。これは異常事態です、なによりもお食事を愛される! 奥様が!!」  憤然と神官長を呼びつけに行ったマリナが、神子の間の近くまで神官長を連れてきた。可愛らしい猫耳の侍女が、鬼瓦の神官長に物申している。ちょうどキャニスの木に水をやる時間だったので、キャニスの幼木の前に座りこみながら、「俺、そこまで食いしん坊じゃないよ……」と扉の近くにいる二人に向かって言ってみたつもりだが、誰一人として蓮の話を聞いてはいない。 「旦那様がお戻りになられるのは、まだ数日は先でしょう。それなのに、このご様子では……なんとか外出の時間を頂けないでしょうか。いつになく落ち込まれているお姿を見るのが辛いのです」 「……そうですな、分かりました。一歩も外に出すなという殿下からのご指示ですが、腕利きの神官たちに警護させれば、なんとか。外出用の衣装は既に準備をしておりますゆえ」  衣装。ユノーが蓮の侍女になるまで、神官たちが用意した、なんとも言えないセンスの服を思い出して、蓮は後退った。マリナに視線で助けを求めると、優秀な猫の侍女はこくりと己の主に頷き返してくる。 「神官長殿。いかにも神子、というお姿では危険もございます。いっそ、見習い用の神官服あたりはいかがでしょうか」 「なるほど、それは良い案です」  マッチョな神官長が、鬼瓦フェイスで微笑み、猫亜人のマリナも笑っているものの、目が笑っていない。 (なんか、こう……鬼瓦と猫娘の戦い? 妖怪大合戦、みたいな……?)  それと比べて、植物は平和だ。言葉を話すことはできないけれど、たまに葉っぱを動かしたりしてゆっくりと生きていることを教えてくれる。お腹がすけば、少し傾くことで教えてくれる。 「奥様、参りますよ!」 「マリナ。俺は別に、外出しなくてもいいよ。絵を描いたりキャニスの木を見ているだけで、一日過ぎていくというか……」  蓮がそう返すと、マリナだけでなく神官長も目を丸くするのが分かった。 「神子殿。やはり、外の空気を吸いましょう。リコス神にもお会いになられておりませんし……。そういえば、神子殿はまだ『リコス神のほとり』にはお出かけになられたことはないのでは?」  初めて聞く言葉に、蓮もさすがに興味を引かれて視線を向けた。神官長は鬼瓦フェイスに優しげな微笑を浮かべると、頷く。 「王都を流れる川を、少し上流に行ったところにあります。どんな場所かは、行ってみてからのお楽しみということで……名物はマルウオのパイです。さくさくとした食感が素晴らしいと人気なのですが、そこでしか味わえないので、わざわざそのパイのために『リコス神のほとり』に行く者もいると聞きます」 「えっ、いいですね……美味しそう」  とうとう釣り上げられた神子に、猫の侍女は優しく笑んで、「出発のご準備を」と口添えた。 *** 「馬車まで出してもらってしまって……すみません」 「何をおっしゃっているのです。いくら神官服を着ているとは言え、位の高い貴族の中には神子殿のお顔を知っている者もいます。この国でリコス神の次に貴い御身なのですから、馬車で移動するのは当たり前ですよ」  神官長はさすがに同行できなかったものの、蓮も面識のある神官がついてきてくれた。マリナも一緒なら賑やかになっただろうなと思うのだが、ウルなら許してくれるのに神子と同じ馬車への同乗はだめだと言われてしまった。蓮がお願いしても、理解すらしてもらえない。獣亜人だからだめということではないようだが、神子の立場というのは王よりも上として扱われる立場なのだから、自覚を持てと逆に言われてしまった。  未成年の神官見習いが着る服は、むっきむきの神官たちが着ているような、腹筋・胸筋を大胆に見せつけるとんでもなデザインではなく、ごくふつうの服だった。白に銀や青色が使われているのは変わらないが、しっかりお腹まで布で覆われているので安心感がすごい。見習い用の服は、昔の神官服の名残があるのだと神官長が説明してくれたが、いつから神官たちがこんなゴリラみたいな集団になってしまったのか、そちらも気になった。 「神子殿はご自身の立場に疎いように思います。謙虚なのは素晴らしいことですが、それが過ぎると卑屈に思えてしまいます」 「卑屈って言われてもなあ。偉いのは、俺じゃなくてリコス神であるジンジャーと王太子のウルだし」  馬の軽快な歩みと共に、人々の声が混じるようになってきた。街の中へと入ったらしい。たった数日神殿に引きこもっていただけなのに、神殿の中は常に静かだからか、とても賑やかに聞こえる。  そんな中、「神子様が現れたぞー!」という大きな声がして、蓮と同じ馬車に乗っていた神官が一気に緊張した。しかし、蓮はといえば、偽神子騒ぎを思い出して苦笑いを浮かべる。ここにいる神官たちも、本物よりも本物っぽい偽者がいるなんて知ったらどういう反応をするのだろう、と考えているうちに、馬車の周囲にいる神官たちがざわつき始めた。 「神子殿、失礼します。……補佐官殿、前方の広場に人々が集合しております。いかがいたしますか」 「広場に?」  蓮と一緒に馬車に乗っていた神官――補佐官という役職だったらしい――は綺麗なゴリラ顔を軽く歪ませると、馬車の扉を少し開いた雄々しいゴリラ顔に問いかけている。いや、みんな鼻も高いし、格好いいのだけれど、ついゴリラに置き換えてしまいたくなる。 「その……申し上げにくいのですが、『神子が現れた』と次から次へと人々が集まってくる次第で」  馬車についている小窓から覗くと、木々の間から広間が見える。確かに、人が集まっているのは蓮からも見えた。 「神子を名乗る者が現れた、ということか……なるほど、神官長より聞いていたのはこのことだったか。我が国では、リコス神や神子を騙る者は重罪だ。即、捕らえよ!」 「はっ!」  畏まりました、と神官が馬車から離れていく。蓮は、あの広場に現れた美少年タイプの偽神子とオオカミのことを思い出し、慌てた。神官といえど、日々鍛えている彼らが怒りのままに突撃すれば、広場で血の雨が降ることになってしまう。 (い、一応そういうのは阻止しておかないと……)  荒ぶるゴリラ神官ズ──ではなく、神官たちを追うことに決めた蓮は、考えた。少ししてからこっそりとほくそ笑むと、補佐官の肩を軽く叩いて自分に注意を向けた。

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