75 / 96

リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:14

「ぎゃふうっ!!」  マリナやユノー、ジンジャーに突撃され慣れている蓮ではあったが、狭い馬車の中で自分にぶつかってきた白い塊によって、あっけなく下敷きになった。 「み――レン様!!」  まずい。このままでは、間違いなくこのオオカミと美少年は秒殺されてしまう。蓮は自分の上に圧し掛かっているオオカミのたてがみを無理やり抱きしめると、ジンジャーにするみたいによしよしと撫でた。 「うーん、俺はやっぱり、ジンジャーの毛並みの方が好きだなあ。もっと、ふわふわっとしているもん」  オオカミと戯れているのを演出したかったのだが、段々と本気のなでなでになってしまった。体温を宿したその体に触れているうちに、数日前に送り出したジンジャーの温もりを思い出し、蓮は寂しく思った。ジンジャーも、蓮の危機を察すると誰よりも早く駆け付けてくれる。アルラ国で山賊や修、アルラ神に襲われた時も、自分の身を顧みることなく蓮を救おうとしてくれた。 「……お前も、そうなんだね。友達が危ないと思って、自分が殺されるかもしれないのを分かっていても、駆け付けてきたんだ」  よしよし、と蓮はふつうサイズのオオカミを撫でまわす。オオカミの表情も、最初は牙を剥き出しだったのに、段々と鼻のしわが取れていき、やがて耳を後ろに倒した。「そうなの」と言いたげにくう、と返してくる。 「あのー、レン様? 大丈夫でしょうか……?」 「えーっと、まだ事情聴取中です。この子とは和解できたので、俺に預からせてください」  猛然と暴れていたオオカミの落ち着きように、神官たちは一様に顔を見合わせた。扉を開いておくこと、神官たちを傍につけておくことを条件に、オオカミの同席も許された。オオカミは心配そうに美少年の頬を舐めている。美少年はと言えば、先ほどよりも幾分、蓮を見やる視線が和らいできた。 「……アレスが初対面のやつに懐くの、初めて見た」  ようやく、美少年が口を開いた。 「俺にもオオカミの友達がいるからかなあ? アレスって言うんだね、その子。俺の友達はジンジャーって言うんだけど、今遠いところに行っててさ。いつも一緒だったから、なんか心にぽっかりと穴が……」  笑顔で返した蓮だったが、言い終える前に美少年の顔色が段々と青くなっていく。具合悪いのかと心配した途端、「もしかして、そのオオカミは死んじまったのか?」と問われた。 「ええっ、死んでないよ? 留守にしているだけ。もう少ししたら、会える」 「な、なんだ、紛らわしい言い方をするなよな。……それにしても。あんたみたいな、庶民ぽい神官もいるんだな」  隠しきれない庶民オーラ。蓮は照れ笑いした。 「まあね。神殿の中の木とか、世話をしたりしているよ」 「まさか、キャニスの木か?!」  ただでさえ大きな美少年の目が、カッと更に大きくなった。「良く知っているね」と蓮が返すと、美少年は扉の外でこちらに背を向けて立っている神官たちを睨んでから、声を潜めた。 「知っているも何も。オレの兄さんは、神殿でずっとキャニスの木を見ていた樹医だったんだ。ある日突然、どんどんキャニスの木が枯れて行ってしまって……酷く叱責され、責任を感じた兄さんは、心を病んでしまった」  キャニスの木が突然立ち枯れてしまったのは、蓮も聞かされている。今、蓮が育てているのが唯一残ったキャニスだ。しかし、キャニスの木が枯れていったことで、心を病んでしまった人がいるなんて、知らなかった。 「それと、神子を名乗ったのってどういう関係が……」 「兄さんを追い込んだ、神殿への嫌がらせが半分だ。親のいないオレたちを、血の繋がりもないのに兄さんが育ててくれたんだ。オレの下に、三人弟妹がいる。生きていくには、金が必要だから……」  リコスでも、こういった境遇の子どもたちがいることに蓮は驚いたが、いろんな人がいて生活を営んでいる以上、ありえることなのかもしれない。唇を尖らせた美少年の前に座り込むと、蓮はめずらしく真面目な表情を見せた。 「お金は必要だ。それはとてつもなく、良く分かる。けど、美少年が捕まって処刑でもされたら、残された弟や妹たちはどうするんだ? いつかお兄さんが家に帰って来た時、君がいないのを知ったら?」 「死んだ後のことは知らない。……オレだって、死にたくない。けど……兄さんがどこかへいなくなってしまったし、後ろ盾がなきゃ、みんなを養えるような職業にだってありつけない。オレには親がいないから学だってないし……」  美少年の言葉が、詰まり始める。また泣きそうになるのを必死に我慢しているのだ。あまり人に泣かれた経験のない蓮は、それだけで動揺する。オオカミのアレスの方が余程落ち着いていて、美少年の顔に自分の頬をぐいぐいと押し当てている。美少年は十代半ばといったくらいだ。まだ未成年なのに、罪と分かっていることに手を出さないと生きていけない、というのはどうなのだろうか。 (一人だけ助けたって、意味はないかもしれないけど……)  ここは、蓮が住んでいた世界とは違う。社会保障も医療制度も、何もかも違う。しかし、美少年の場合は神殿に兄が勤めていたというのだから、せめて何かがあっても良いのでは、と考えた。蓮一人では判断できないことだが、自身が付けていた神官見習いの帽子と見習い用の外套を、美少年に被せてやる。 「事情は何となく分かったけど、街の人を騙すのはやっぱりダメだ。というわけで、神殿での無料奉仕を当分命じる……っていうのはどうですか、補佐官さん」 「……レン様。それは随分とお優しい罰ですね」  こちらを振り返って苦笑している補佐官に、蓮は真面目な表情を向けた。 「優しくはないと思います。さっき神殿に送り込んだ供物を、この美少年と同じ境遇の子たちに配るのを手伝ってもらわなきゃいけないし、キャニスの木を増やす手伝いもしてもらわないと。……残っているキャニスの木をお兄さんに見てもらえたら、助かるんだけどな。俺も草木のお世話をするのは好きだけど、まだまだ素人だからさ。どこまでできるか分からないけど、お兄さんの行方も探そう」 「え……あ……の」  何が起こっているのか分からない、という顔をしている美少年にも、蓮は笑いかけた。 「ついでに、働く合間に勉強も必要だね。君、俺よりも断然頭良いと思うし。弟さんや妹さんも、神殿に連れてきたらどうかな。君までいなくなったら、心細いだろうから。そして、君と似た境遇の子たちのことも教えて欲しい。あ、あの……補佐官さん」 「その者の兄は、腕の良い樹医で知られていたニストでしょう。我々も彼のことは心配していましたから、その家族であれば迎え入れる準備をします。……酷い叱責を受けた、という点も気になりますね。我々神官の中では、ニストに責任を負わせようとした動きはなかったと認識しておりますので」   お願いします、と蓮が補佐官に頭を下げると、美少年が訝しむ目つきで蓮を見てきた。補佐官は近くにいた神官に、蓮の意向を伝えるために、こちらから意識は逸れている。 「……なあ。あんた、本当は何者なんだ? 今話していたのは、神官でも偉いやつだろう。そいつが様付けしているなんて、おかしい」 「えっ、俺? あー、えっと、ボランティア……みたいなものかな。キャニスの木を育てる、ボランティア。主人と友人が偉いから、様付けされている感じ?」  ふうん、とまだ目を細めていた少年だったが、ふいっと視線を逸らすと、「お人好しなんだな」と呟いた。 「本当のお人好しなら、すべてをまるっとさらっと許してくれると思うけどね。俺も、俺なりに計算しているつもり」 「……くそっ、負けた……!」  蓮がまた笑い返すと、美少年は悔しそうに顔を赤くした。そんな少年の傍で、オオカミのアレスが耳を後ろに伏せたままゆっくりと尻尾を振っている。ありがとう、と言われている気がしてアレスの顎の下あたりを蓮が撫でていると、ガタン、と馬車が突然動き出した。予想していなかった動きに蓮は美少年の方にこけかけたが、アレスが咄嗟に入り込んでくれて何とか美少年とぶつかるのを免れた。

ともだちにシェアしよう!