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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:15

「レン様!!」 「あれ、補佐官さーーーん?!」  扉が開いたまま、どんどんと馬車はスピードを上げていく。馬が暴走したのだろうか。蓮が慌てていると、頭上からも物音が聞こえてきた。 「もしかして暴走かも。飛び降りられるかな」 「馬鹿言うなよ、オレはお前たちにぐるぐる巻きにされているんだぞ!」  そうだった、と蓮は急いで少年の手足を確認したが、思ったよりもきつく縛られている。 「どうしよう、うまく外れない! 美少年!」 「おっ、オレの名前はハルノアだ……!」 美少年――ハルノアが連れていたオオカミが何とか少年を束縛していた縄を噛み切った。 「なんとか、お友達を助けるんだよ、アレス!」  おい、と騒いでいるハルノアを無理やりアレスの背に乗せてしまうと、馬車が少し速度を落とした隙を狙って、ハルノアを背に乗せたままアレスが馬車から飛び降りた。勢い余って一人と一匹は転がってしまったが、すぐに神官たちが追いついて助け出してくれるだろう。よし自分も、とタイミングを計ろうとした蓮は扉から身を乗り出して――生首とご対面した。 「うっぴょああああああああ?!!!」 「おあ? おおい、若い神官しか乗っていないぞお!」  生首が喋った。生首の本体は馬車の屋根の上にあるらしい。生首は御者台の方を向いて大声を出したが、返ってくる声は聞こえない。まさか人が上から現れるとは思っていなかった蓮はその場で腰を抜かしたが、男は遠慮なく屋根の上から器用に馬車の中へと入りこんだ。そうして品定めをするように、じっくりと蓮の頭から順に見下ろしていく。 「神子と一緒に乗っていたはずなんだが……逃がしてしまったみたいだな。……よしよし。琥珀色の瞳っていうのはいいな。顔も、俺好みだ」  何となく覚えのあるパターンに、蓮は顔が引きつった。どうも、琥珀色の瞳というのはオオカミの瞳ともいわれていて珍しいらしい。以前、目玉だけでもと襲われたのは中々のトラウマになっている。腰を抜かしたまま狭い馬車の中で後退った蓮に、男はにやりと笑んで見せた。 「まあ、良い。お前だけでも高く売れそうだ」  男がじりじりと蓮に近づいてくる。すっかりと脱出する機会を失ってしまった蓮に、男が覆いかぶさってきた。もがく蓮の目の前に、醜悪な笑みが広がっていく。 「大丈夫だ。俺たちは、丸ごと売り払う主義でね。ちゃんと、綺麗な体のまま届けてやる。……ん? これは、高価そうな首飾りを着けているな。しかも、胸のそれは刻印か? 刻印はあまり好まれないからな……消さなきゃいけねえ。腰は細いな……これなら、去勢しちまえばよその国の王宮にも売りつけられそうだ」 「やめろッ!!」  丸ごとの、定義とはいったい何なのだろう。そんな男としての大事な部分を失くしてしまったら、蓮としてはまったく丸ごとじゃないし無事ではない。蓮が精一杯の抵抗をしても、男は楽し気に笑うばかりだ。 「売る前にはちょっと手入れが必要だな。出荷される頃には、あんたはお姫様だ」  大事なところをなくしてもお姫さまにはなれないんじゃ、と突っ込みそうになった自分を悲しく思う。蓮はウルから贈られた首飾りだけはどうしても渡したくなくて、無理やり外すと自分の手の中に、しっかりと隠す。男は舌打ちをしたが、首飾りに固執はしていないのか、それとも意識を失えば簡単に取り戻せると思っているのか、もう手を出してくることはなかった。怪しい小瓶を取り出すと、じりじりと迫ってくる。 「そういう怪しい薬って、どこから手に入れるんですか?!」  涙交じりに何とか出てきた言葉がそれで、蓮はますます自分にがっかりとしたが、相手は目を丸くすると自分が持っている小瓶へと視線をやった。 「こういうのを専門につくる連中がいるのさ。いろんなものがあるぜ? クセになるものもあるし、とんでもない、いわくつきのものが売られていることもある」  小瓶の蓋を取り、男がニヤケた顔をしたところで――外から男の悲鳴と、馬の大きな嘶きが聞こえてきた。またしても馬車は激しく揺れてめちゃくちゃな動きをし始める。 「……なんだ? 」  蓮に小瓶を向けようとしていた男は、激しい揺れに小瓶を取り落とすと慌てて外を見に行く。そこで男もまた情けない悲鳴を上げて、暴走する馬車から飛び降りていった。 「え」  更にスピードが上がった馬車の中で必死に椅子に縋りついていた蓮は、嫌な予感がしたものの、恐る恐る開きっぱなしの扉へと這いながら近づいた。御す者も消えてしまったのだろう馬車から、飛び降りる勇気。 (多少骨折してでも、行くしかない……)  馬車がどのあたりを走っているかは分からないが、広場から暴走した馬車が通れる道なら、そのうち人も通るだろう。意を決して扉に近づいたその時。一段と激しく馬車が揺れ、大きく傾く馬車から、扉のすぐ傍にいた蓮の身体が放り出される。 「うぇえええおおおあああああっっっ!!!」  人が高い悲鳴を出せるのは、余裕のある時だけだ、と蓮は思った。生命の危機を覚えた時は、誰だってきっと、腹の底から低い声が出る。 「おおおおっ、落ちるーーーー!!!」  扉から投げ出された蓮を待っていたのは、優しい大地ではなかった。川辺を通過していた馬車は、道の端ぎりぎりを走行していたのだろう。時折崖の斜面に身体を打ちながら蓮の身体は川に向かってまっしぐらだ。 (間が悪い、なんてもんじゃないからーーー!!)  いくら不運体質でも、これはあんまりだ。

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