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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:17

「王太子殿下。ご無事の到着、お慶び申し上げます」  一度だけ訪れたことのあるエデュカは、王太子が領主を兼ねる王太子領だ。しかし、普段は王都の王太子宮で寝起きをする王太子が、エデュカの政務を事細かく行うのは無理な話である。そこで代々エデュカには王太子に代わって日々の執務を行う執行官が赴任している。ウルが継いでからもそれは変わっていない。白髪が入り交じる年齢になったものの、ウルにとっては数少ない信頼できる忠臣に迎えられ、ウルもようやく安堵の表情を浮かべた。 「もっと早く、駆け付けられれば良かったのだが。今までも混乱なく治めてくれていることに感謝する。……それで。報告にあった、『流れの神』の件だが」 「はい。目撃情報があって以来、ずっと捜索を続けてはおりますが、今のところ見つかってはおりません。野生の獣と見間違えた可能性も捨てきれませんが……怪しいものは、何とかエデュカにて防止し、王都に流れないようにしなければと思い、お呼び立てしてしまいました」  ウルがエデュカに向かうことを決めたのは、執行官からもたらされた『流れの神』についての報告だった。 「目撃情報は誰からもたらされた?」 「はい。それが、第三騎士団の騎士からなのです。目撃情報が出た前後に、第三騎士団がエデュカの街近くの『号哭の森』で演習を行っておりまして、その際に目撃したと」  騎士が子供だましの嘘をつくとはさすがに思えない。第三騎士団がわざわざエデュカ近辺までやって来ていたのはウルも知らなかったが、執行官は知っていたことから規律違反の行動といったわけでもなさそうだ。 「『流れの神』は土地を守護する神を襲うこともあるというし、人を襲わないとも限らない……油断できないな。そんな時に申し訳ないが、エウク国の王太子とやらが同行してきた。エウク王のものらしい御璽の旅券を持ってはいるが、陛下からは真偽の確認はできていないが、相応のもてなしをせよと命じられている。協力してくれ」 「さようでございますか。てっきり、ようやっと殿下の大事な伴侶殿……おっと、神子殿をご紹介いただけるのかと思っていたのですが。大層仲睦まじいご様子だと、エデュカまで噂が流れ放題ですよ、殿下」  ウルがエデュカの執行官に自ら任じたルモネは、王の従弟にあたる人物だ。王――父方の親戚たちの中ではめずらしく、政治よりも文学といった学者肌の人間である。ウルも幼い頃はルモネから多くを学んだ記憶があり、だからこそ己の片腕にできたことは喜びも大きいが、頭も若干上がらない。  思わず苦虫を噛みつぶしたような顔になると、「はいはい、恥ずかしがらなくて結構ですよ」とルモネがしたり顔で微笑んだ。 「私としては、陛下よりも先に、ルモネにレンを会わせたかったくらいなのだが……『流れの神』の真偽がはっきりする前に、神子であるレンを連れてくるわけにはいかなかった。この件が落ち着いたら、必ず連れてくる」 「ほほう。真実、大切になされているご様子……喜ばしいことです。しかし、リコス神の神子が伴侶とは、殿下もようやりなさる。どうやってお会いになられたのです?」  ニコニコとしながらかつての己の師に問われて、ウルは目を瞬かせた。 「会った……というよりも、あちらが降ってきた。私の上に」 「……なかなか衝撃的な出会いだったようですな」  ルモネもさすがにそんな答えが返ってくるとは思っていなかったのだろう。何とかそう言い返してきたところで、扉をノックする音が聞こえた。返事をすると、オーヴァが申し訳なさそうに扉から顔を覗かせている。 「殿下。お話し中恐れ入ります。神子――レン様の遣いだという騎士が、殿下にお目通りしたいと……」  いま、レンは神殿で厳重に守られているはずであり、そもそもレンには専従の騎士はいない。必要な時に、ウルの配下から出すことがあるくらいだ。しかし、伝言と共に意味ありげに見てくるオーヴァに頷き返すと、ウルはその騎士が待っているという客間の一つへと向かった。エデュカ城は砦だった名残があり、それ程大きくない城だが気を付けて歩かないと迷いそうになる。 (――レンだったら、即迷ってしまうだろうな)  アルラ城で迷いに迷い、オーヴァに連れられてきた時には借りてきた猫のようになっていたレンを思い出し、ウルはうっすらと微笑しながら扉を開いて――そのまま閉じかけた。 *** 「オーヴァ。あれは、どういうことだ」 「……それが、自分にも事情はさっぱり。いつものようにお話をしてくださらなくて」  困り顔の己の騎士を見やりながら、ウルは素早く周囲を確認した。近くには誰もいない。己を落ち着かせるために深く息を吐き出すと、もう一度扉を開く。そこには、白銀の髪を持つ精悍な顔立ちの騎士がいた。その騎士にはオオカミ然とした大きな耳と、尾がついている。蒼い瞳を面白くなさそうに細めながら腕を組んで立っているその男。ウルにはすぐに正体がわかった。もう一度周囲を見回してから、オーヴァを見張りに立てて、客間へと入る。 「遅い」  苛立った、男の声――それはリコス神のものだ。子どもの姿をしている時の、リコス神の声そのもの。そのギャップの大きさに、ウルは笑うよりも苦虫を噛み潰したような顔になった。 「リコス神。なぜ、貴方がここに? レンの傍を離れないのではなかったのですか」  レンの傍にいる時のリコス神は、子どもの姿を取り、無邪気に振舞っている。だが、本来のリコス神は生と死を司る、無慈悲な神だ。簡単に言えば、レンだけが特別。レンが傍にいる時は周囲にも鷹揚な振りをして接しているけれど、ここにレンはいない。ウルが注意しながら口を開くと、いにしえから存在する神は不服げに嘆息した。 「わたしとて、離れるつもりはなかった。だが、レンがお前の貞操を心配している。どうしてもと懇願されたら……お前なら、断れるか?」 「は……貞操?」  リコス神が大層己の神子に甘いことは分かっていたものの、それにしても良く分からない理由に、さすがのウルも目を丸くした。二十数年生きてきて、そういう心配をされたのは初めてだ。 「私の身は生涯、貴殿とレンに捧げると誓っています。今さら、他に見向きなど」 「冗談だし、お前の身を捧げられても要らぬわ。いちいち、生真面目に返すな」  煩わし気に返すと、リコス神は手近にあった椅子へと座った。声はともかくとして、青年の姿はやはりまだ見慣れない。目だけでウルにも座るよう指示すると、リコス神は足を組んだ。長く太いオオカミの尾が、神のご機嫌ななめを現すようにパッタンパッタンと揺れている。 「それで。この時期に王都を離れたのは、この地で何かあったのであろう。お前が余計な男を同行させるから、わたしの可愛いレンが余計な心配をすることになったではないか」 「余計な男――リーオ殿のことですか。同行させたのは、あの男が王都にいる方が危険と判じたからです」  ふうん、とつまらなそうにリコス神が返してくる。このあからさまな態度の違いをレンに見せてやりたいが、見せたところでレンのリコス神への態度は変わらないのだろうな、という気もする。      「それから、エデュカに来たのは、流れの神が現れたという報告を受けたからです。流れの神がこの国に影響がないか、見定める必要がある。流れの神は土地の神を襲うとも聞きますので、神子であるレンを王都に残しました」 「……流れの神? わたしの土地に寄るような、好きものはいないはずだが」  不愉快そうに眉根を寄せると、リコス神は窓の外へと視線を向けた。 「エウク――竜神の島国か。あの男こそが流れの神なんじゃないか? 厄介者め。何の考えがあってわたしの地に留まっているのか知らんが、早く追い出せ。竜の国の男とやらも、流れの神とやらも。わたしはとっとと、レンのところに帰りたい」 「……それは、私も一緒なのですが」  ちら、とリコス神がウルに視線を戻した。こうやって相対していると、確かにオオカミの耳も尾もあるのだが、顔つきは、神殿に飾られているリコス神の像に似ている気がする。 「……レンが、お前を守ってくれとわたしに願い、求めてきた。わたしからすれば、この地を保てればどの血脈でも問題はないが、レンにとって伴侶はお前ひとり。ゆめゆめ、それを忘れぬことだ」  話は終わりだと言いたげに、またリコス神が視線を逸らした。ようやく、声との違和感には慣れてきたところで、控えめに扉がノックされる。応えると、エウクの王太子がウルに会うと言っている、という伝言だった。一旦扉を閉めてからリコス神――ジンジャーを振り返ると、既に立ち上がっている。ウルよりも背が高い男は、鋭い視線をどこかに向けていたが、やがてウルへと戻し、口を開いた。 「わたしは、お前とオーヴァ以外の人の前では、口を開かない。わたしはあまり気が長い方ではないことだけは、言っておく。レンに万が一のことがあれば、すべてを捨ててわたしはレンの許に行くからな」  承知したとウルは返し、白銀の騎士を伴って客間を出た。

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