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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:18

「まったく、神官どもも情けない限りですなあ! 神子が乗る馬車を、あっさりと賊に奪われるとは」    神殿に戻った蓮を待っていたのは、心配顔のマリナや神官長たちと――それから、第三騎士団長のジェルタだった。神殿に続く長い外階段の周囲から既に騎士たちに囲まれて物々しい雰囲気にはなっていたが、まさかまたこの男に会う羽目になるとは。蓮が思わず笑いたくもないのにへらっと笑っていると、マリナが「奥様」と駆け寄ってきた。 「お怪我はされていませんか?! こんな泥だらけになられて……私が外出になんてお誘いしなければ……!」 「大丈夫、怪我っていってもかすり傷程度だから。心配かけてごめんね」  てへへ、と頭をかく己の主を見てマリナが更に涙ぐむ。 「とにかく、今は神子殿にお休みいただくのが先決です。アシュリ卿、護衛の件については後程――」 「後程? ほう、さすが神子の命を軽んじていらっしゃるだけありますな。聞けば、神子は『流れの神』にも会われたとか。命の危機だったのですぞ! それも、あなた方の手落ちで! 我ら第三騎士団が警護していれば、決してそんなことにはなりませんでしたぞ」  丁重に断ろうとしている神官長の言葉に被せて、更に強い口調でジェルタが続ける。居心地の悪さに蓮がそわそわとしていると、渡り廊下の遠くの方から人々が騒ぐ声が聞こえてきた。 「団長。こちらが、広場で神子を詐称し人々を騙していた男です」 「あああっ?! ハルノア!!」  離せこの野郎、と騒ぎながら連れてこられた美少年を見て、蓮は素っ頓狂な声を出した。 「大方、この者が賊と結託して神子を拐そうとしたのだろう。この国では神子を騙ることだけでも重罪。まずはこのジェルタ自ら、尋問しなければ――まあ、泣くくらいではすませられないかもしれんなあ」  男は愉しげにそう呟くと、縄を打たれて騎士たちにしっかりと拘束されているハルノアに近づき、顎を掴み上げた。その近すぎる距離とぎらぎらとしたいかにもな目つきは、鈍いという自覚が出てきた蓮ですら男の目的を理解させるには十分だった。また、ハルノアも神子と呼ばれている蓮を、驚愕の目で見ている。 「――ジェルタさん!」  気は焦るが、落ち着かなければ。そう言い聞かせながら、蓮はいつもよりも心持ちゆっくりと、低い声で男の名前を呼んだ。 「どうしました、神子殿」  一方、男はと言えば、神子から声をかけられたことが嬉しかったらしい。粘つく笑顔で振り返ってきたところに、蓮もあえて微笑み返した。 「その者は、神子という肩書きを詐称しました。ですから、俺が罰することと既に決めています。神子から直接与える罰は、この国において何よりも意味がある――そう思いますが」 「はあ……?」  笑顔から一転、納得できないと不服気な表情になったジェルタだったが、さすがに騎士団の長なだけあって、神子の地位は分かっているらしい。蓮もこういうところで神子という肩書を使いたくはなかったが、このままではハルノアが男に嬲られた挙句、極刑にされてしまう未来しか見えない。一歩間違えば独裁的であるし、これが正しいかも分からないが――強いて言えば、神子の勘といったところだろうか。 「その手を離してください。たとえ彼が罪人だとして、貴方に彼を辱める権利はないはずだ。……その権利があるとしたら、俺にあります!」  鼻息荒く言い切ったところで、どこからかプス、と笑い声が漏れるのが聞こえたのは聞こえなかったことにしよう。第三騎士団長は周囲の見る目を確認すると、憤然とした様子でハルノアから手を離した。 「どうやら意外と気が強いお方のようだ。――神子がそのように仰せであれば、リコスの民は誰一人逆らえない。その代わり、神殿護衛の件はお任せ頂けますね?」 「……い、良いでしょう」  神官長と目配せしながらも渋々と蓮が頷くと、「それは良かった!」とジェルタはころりと表情を変えた。 「神殿に第三騎士団が出入りすることを、神子殿がお許しくださった! 誠心誠意、お守り申し上げますので」 「……リコス神の間より奥は、俺か神官長の許可を必ず取ってくださいね」  はいはい、とねっとりとした笑みを浮かべながら軽快に答えたジェルタは、その身体に似合わない俊敏さで蓮に近づくと、手を掴み上げた。それから手の甲に口づけをしてきて――蓮の意識は瞬間的に遠のきかけたのだった。 *** 「……あんた、本物の神子様だったんだな」 「ごめん、がっかりしたでしょ」  へらりと笑った蓮のところに、オオカミのアレスが駆け寄ってきた。  第三騎士団長のジェルタが神殿から退出した後、慌ただしく入浴と食事の準備が進められ、ようやく一息ついたところだ。偽神子――ハルノアとアレスもさっぱりとしたところで、神殿の中にある客間に呼び出した。ここでならマリナの同席も許されるし、扉に神官が立ってはいるが、監視されている圧迫感もない。  蓮の足元に伏せたアレスを見やりながら、ハルノアは俯き加減に首を左右に振った。 「がっかりなんて、していない。日中邪魔された時は、コイツ何サマなんだよって腹も立ったけど……本物の神子様だったんなら、納得。さっきは、本当に怖かったから……助けてくれて、ありがとう」  ありがとー、と言いたげにアレスも尾をゆっくりとぱたつかせる。蓮もほっとしながら用意されたお茶を啜ると、ようやく人心地がついた。 「先ほどの奥様、いつになく勇ましかったですわ!」  マリナも落ち着きを取り戻し、いつもの調子で食後のデザートを蓮とハルノアの前に用意する。ハルノアは自分の分が用意されているとは思っていなかったのか、驚いた顔で皿の上に乗っている小さなパイを見つめている。 「今日は大変な一日でしたからね。こちら、マルウオのパイをご用意しましたわ。神殿の近くで、偶然売り出していたものですから」 「こっ、これが……?! いただきます!!」  そもそも、蓮が神殿から出かける気になったのは『リコス神のほとり』という観光名所の名物、マルウオのパイを食べたいがためだった。もとはと言えば自分の食欲が招いたことでもあり、複雑な気持ちもするが、気持ちは一気にマルウオのパイへと向かっていく。小さなパイではあるが、そっとナイフで切れ込みを入れるとサクッとした感覚で期待が高まる。もったいなくて小さく切った欠片を口にすると、ほんわりとした甘さと魚らしい塩味を僅かに感じて絶妙な……とまで思ったところで、蓮は我に返った。 (これって……似た感じのを食べたことある。お土産で)  元の世界で食べたのは、平べったいパイ生地のお菓子ではあったが。元の世界にいた頃、出張帰りの同僚からもらったことがある。これは立体的な見かけなので、あの時食べたお土産よりもグレードアップはしているが。思わず懐かしい気持ちになって笑顔になってしまった蓮と、マルウオのパイとを交互に見ていたハルノアは、ようやく決心したようで食べ始めた。

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