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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:19
「……わざわざお茶を一緒に飲むために、呼び出したわけじゃないんだろう。オレに言いたいことがあるのなら、サッサと言えよ」
「ああ、うん。そうそう、ついウナ……じゃない、マルウオのパイの登場で忘れかけていたけど。改めて、今日のおさらいをしようと思って。まず、神子を騙ったのはやっぱりダメだ。というわけで、当分神殿で無料奉仕は決定だからね。仕事や弟さんたちのことは神官長とも相談するけど、俺が神殿にいる時は時々話し相手になってもらおうかな。地味に罰として効いてくると思うよ、これは」
お、おう、とハルノアが真面目な表情で頷いてくる。
「それはまあ、冗談として。お兄さんのことだけど、もっと詳しく教えてくれないかな。キャニスの木のことで、酷く叱責されていたって……」
ぴくりと蓮の足元で大人しくしていたアレスが身じろいだ。それからハルノアへと再び視線を向けると、少年の握りしめられた拳が震えていることに気づく。
「――さっきの、おやじが……」
さっきの。
「もしかして、第三騎士団長の……ジェルタって人のこと?」
何とか名前が出てきた。念のため声を低くして問うと、ハルノアは頷いた。
「神殿の護衛がどうのこうのって騒いでいた、あいつなんだ。うちにまで来て、兄さんのことを追い詰めてきたのは。兄さん……どんなに辛くても泣いたことなかったのに……自分の子どもみたいに、大切なキャニスの木が枯れてしまった時も、必死に何とか蘇らせようと頑張っていたのに。あいつは、『お前の努力が足りない』『力不足だ』って、とにかく責め続けて。連中が帰った後、兄さんはオレたちに隠れてこっそり泣いていたんだ。その後、謝って来るって書き置きだけを残して、いなくなってしまった」
努力が足りない、と責め続けられた記憶がある蓮は、泣いてしまったというハルノアの兄の気持ちが痛いほど分かる気がした。何より、蓮の元上司にそっくりな雰囲気を持つあの男。行動まで似ているとは。ハルノアが嘘をついているようにも見えず、蓮は気づけば立ち上がっていた。
「じゃあ、ハルノアのお兄さんが行方不明になった原因って……!」
にゃっ、とマリナが驚く声がして、蓮も自分が出した声の大きさに驚いた。静まるのを待っていたのか、トントンと扉をノックする音が響いて聞こえる。マリナが扉を開くと、そこには補佐官が立っていた。
「神子殿。少し宜しいでしょうか?」
「補佐官さん? どうぞ」
ハルノアを一瞥しながら補佐官が部屋に入ったところで、アレスはすっと立ち上がると己の主のところへと歩いていった。
「通りかかりましたら、ジェルタの話が聞こえたものですから。先ほど、神子殿の護衛に当たっていた神官の一人が、神子殿が見たという『流れの神』と思われるものの行方を念のため確認しに戻ったのですが――それらしき怪しい物体と、ジェルタが接近しているのを目撃したそうです。一瞬のことでしたので確たる証拠とも言えませんが――」
「木の魔人は、第三騎士団長が関係している可能性もあるってことですか?」
無言で頷く補佐官を見ながら、蓮はハルノアと顔を見合わせた。第三騎士団は神殿を守る使命を持っているという話なのに、その敵と言ってもいい『流れの神』――違うとしても、そう間違われそうな見た目の生き物――と繋がりを持っているかもしれない、というのはどうなのだろう。
「我々も調査を進めていきますが、万が一第三騎士団が何かを企んでいるとなると一大事です。神子殿におかれましては、王太子殿下が戻られるまでは神子の間にて、極力御辛抱いただけますよう」
そう告げて一礼すると、足音も静かに部屋を退出していく。
再びハルノアと顔を見合わせた蓮は、わざとらしく腕を組んだ。
「ハルノアのお兄さんを追い詰めたり、『流れの神』っぽいのと接触したり、怪しさ満点じゃないか。ああいう奴は大抵、仕事をさぼって悪いことをしていたりするんだ、俺には分かる! でも、神子の間に缶詰めじゃなあ……何とか、調べられないかな」
「ふふふ、奥様。わたくしマリナのことをお忘れでは?」
マリナ! と蓮が目を輝かせたところで、「ちょっとだけいいか」とハルノアが声をかけてきた。
「一つだけ、さっきから不思議に思っていたんだけど。なんであんたさ、男なのに奥様って呼ばれてんの?」
「あら。奥様は、王太子殿下の――」
そこまで言っては、正解を言っているのと同じではあるが。恥ずかしさに耐え切れなくなった蓮は、「あそこに焼き魚が!」と謎の叫びを残すと、耳を塞いで縮こまるのだった。
***
「ウル殿。後ろの方は、どなたですか?」
エウク国の王太子だと名乗った男の、緑色の瞳が怪訝そうにウルの背後を見てくる。ウルは「神子に仕える騎士の、ジンです」と答えた。リコス神が抗議する気配もないので、その紹介の仕方で問題なかったらしい。
「……神子の騎士なのに、貴方についてきたのですか?」
「私の伴侶が心配して、ついて行くよう命じたそうです。しかし彼は神子に忠誠を誓う騎士ですから、他の者とは言葉を交わすこともしない偏屈者です。リーオ殿の問いかけにも答えることはないかと思いますが、どうかご容赦を」
ふうん、とリーオはまじまじと白銀の騎士――リコス神を注視している。苦しい言い訳かと思ったが、「なるほど」と一応納得はしたらしい。
「ということは今、神子殿は丸腰、というわけですね」
それからニヤリとした笑みを見せたのだが、それが獲物を狙う獣の眼差しに見えて、ウルは目を眇めた。
「まるで、それを喜ばれているように聞こえますが」
「おや、そう聞こえてしまいましたか? 申しわけない。ところで、エデュカは工業が発達した都市なのだとか。明日はぜひ、街の様子を案内頂きたくて」
先ほどの眼差しは鳴りを潜め、リーオは穏やかな笑顔を向けてくる。ウルはそれに頷き返しながら口を開いた。
「エウクは食が有名だそうですね。なんでも、ヴァロリテというのはリコスのマルウオのパイに並ぶ珍味だとか。リーオ殿も召し上がられたことが?」
「あ……ああ、勿論ですよ。とても美味しくて、自慢の味です」
そうでしょう、とウルはもう一度頷いたところで、己の護衛筆頭であるオーヴァを呼んだ。
「長旅に継ぐ旅でお疲れでしょう。リコスは浴室にこだわる者が多く、我が城も同様。しかし、まだ人手が少ないので、この者を案内に付けます」
オーヴァにさし伸ばされた手を取り、すんなりと立ち上がったエウクの王太子が、オーヴァに従って浴場へと向かうのを見送る。リーオを先導しながらこちらに一瞬視線を向けてきた己の騎士へと、ウルは軽く頷いて見せた。
やがて足音が遠ざかっていったところで、白銀の騎士――リコス神が大きな狼の耳を動かした。
「ヴァロリテなんて、聞いたことがないぞ」
無愛想だが、声だけは可愛らしい問いかけに、ウルはつい笑い出しそうになった。
「ヴァロリテとは、エウクの言葉で『木槌』のことです。もちろん、そんな食べ物などない……まあ、珍味といったら珍味でしょう?」
「……お前も存外、レンの前以外だと良い性格をしているな」
そう言ってリコス神がニヤリと笑んでところで、不意にウルがずっと身に着けていた腕輪が外れた。この腕輪は、蓮が出会って間もない頃に贈ってくれたものだ。
(――レン?)
大切にしているものが落ちたこと。それだけで沸き起こった、嫌な予感を追い払おうと腕輪を握りしめていると、表情を一変させたリコス神が窓辺へと動いた。
「……何かが、レンに近づいた……? レンが、恐怖を感じている」
白銀の騎士姿の狼神が、窓に手をあて、離れた王都へと大きな狼耳を向けている。リコス神は神子であるレンと、繋がりがあるという。こういう離れている時は、その繋がりが羨ましいとすら思うが、いつになく険しい表情になった狼神がウルへと向き直ったのと時を同じくして、扉をノックする音がした。
「殿下! 」
応えと共に開かれた扉からオーヴァが駆けこんでくる。
「オーヴァ。あからさまに、そう動揺しては――」
「違います! ……いや、その件もそうなのですが、王都に『流れの神』らしきものが現れたと、王都から急を告げる使者が……!」
オーヴァがそう言い終える前に、ウルの背後で勢いよく窓が開く音がした。急いで振り返ったウルの視界には、窓から中空へ飛び出す白灰の獣が映る。
「それと、殿下が睨まれていたとおり、エウクの王太子と名乗るあの者は、エウク――竜族の者ではありませんでした。特に王族であれば、派手な竜鱗が現れるはずですからね。何らかの術を使って変じているのかもしれません」
「やはりな。そもそも、エウクの王族を名乗るのに、お前を見て何も反応しないのはおかしいと思った。それにしても、『流れの神』が王都まで移動していたとは。リコス神が既に向かったが、我らも急いで王都に戻る」
改めてオーヴァに向き直り、冷静な口調でそう告げながらも、ウルは繋目が壊れてしまった腕輪を握りしめるのだった。
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