81 / 96

リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:20

「ええっ、もう調べてきたの?」 「にゃ。人というのは、猫の前では油断してしまう生き物なのです」  ふふんと得意気に話すマリナからは、ジェルタが第三騎士団の中で酷く横暴な振る舞いをしているといった情報がもたらされた。 「簡単に申しますと、自分の職務を他の優秀な者に押し付け、功績は自分のモノ、失敗は他人のモノという……まあ、簡単に言えば、クズでした」 「まあ、そこそこいるタイプのクズだね。でも、それだけじゃないんだろう?」  もちろんですにゃ! とマリナが大きく頷く。日が暮れてから予め決めていた時刻に神殿へとやってきたマリナとは、外でこそこそと話をしている。闇夜を照らす松明がマリナの大きな瞳に映り、煌めいて見えた。 「第三騎士団の団長ジェルタには、怪しい噂がございます。ジェルタの邸の近くにある森で、ジェルタが化け物を飼っているだとか――怪しい薬を買い込んでは、あれこれ試しているだとか、出てくるわ出てくるわ」 「どこから片付ければ良いのか分からないくらい、混沌としているなあ」  体育座りをしながら頭を抱えた蓮だが、森と化け物、というキーワードに気づいた。 「……俺が会った、木の魔人というか流れの神? っていうのも、そういえば森の中に消えていったなあ。その流れの神に、ジェルタが接触したかもっていう話があったよね」 「確かに、ありましたわ」  マリナと二人で頷きあっていると、遠くから人々が騒ぐ声が聞こえてきた。 「奥様、神子の間から抜けられてきたのですよね。お早く、部屋にお戻りくださいませ」 「ごめん、そうする。マリナは大丈夫?」  何やら神殿へと続く大階段の周囲で、諍いが起こっているらしい。蓮が立ち上がりかけると、マリナも立ち上がり、すっと目を細めた。 「猫は、姿を消すのが得意なのです。ご心配なく、奥様」  そう言ってニコリと微笑むと、俊敏な動きで夜闇に消えていく。呆気に取られていた蓮だったが、自身も慌てて神子の間に戻ろうとして、ふと何かの気配を感じ取った。 (……こういう時は、見ないふりを……)  そろそろと及び腰になった蓮の肩を、ぽんと何者かが叩く。 「うぴっっっ……」  悲鳴を上げかけた蓮の口を塞いだ犯人は、「静かにしろ!」と怒鳴りながら「オレだ、ハルノアだ」と焦った口調で名乗った。 「ハルノア! なんでこんなところに……」 「それはこっちのセリフだ。雑草抜きしていて、そろそろ飯の時間だなあって思っていたら……なんで神子が外にいるんだよ。中にいろって言われてんだろ!」  静かにしろと怒ったくせに、ハルノアの声の方が大きい。蓮がへらっと笑うと、ハルノアは「なんだよ、その不細工な笑いは」と眉根を寄せた。どうやら、この調子であれば先ほどのマリナとの会話を聞かれたわけではないらしい。ハルノアが関わってきたら、元々複雑な話が更に複雑になる自信がある。 「ハルノア、落ち着いて。これには事情が……」 「事情なら中で聞く……から……あああ」  何とかハルノアを落ち着かせようとしている蓮の目の前で、ハルノアの綺麗な顔が歪んだ。てっきり突然変顔大会でも始めたのかと思ったのだが、ブルブルと震える手で蓮の背後を指さす。 「あれっ、あああああ!!! ば、ばばばばけものっ!!」 「……それって、振り返っても大丈夫そうな感じ?」  ずももも、と何かを引きずりながら近づいてくる気配は蓮にも分かる。ハルノア曰く、不細工な笑顔のままで表情が固まってしまった蓮が問いかけると、ハルノアは恐怖で引きつった顔で必死に首を左右に振った。 「流れの神がそっちに行ったぞーーー!」 (ここでまさかの流れの神ーーー?!!)  遠くから聞こえる怒声。後ろを振り向かないまま、ハルノアを連れて逃げようとした蓮だったが、肝心のハルノアが恐怖で腰を抜かしてしまった。ずもももも、は止まらない。 「くっ、もはやここまで!!」  ここには、ウルもジンジャーもいない。マッチョ神官部隊が到着するまで、自分で何とかするしかないだろうと覚悟を決めて振り返った蓮の視線の先には、崖から落ちかけたのを助けてくれた木の魔人のそっくりさんがいた。 「ん? もしやあなたは、いつぞやの木の魔人? 同一人物??」  蓮が琥珀色の瞳を向けると、木の魔人は恥ずかし気にもじもじとしてから、枝が絡み合って出来た腕を持ち上げた。『やあ』と挨拶されているように感じる。ギシギシと枝葉がしなる音がした。 「……もしかして、俺に何か言いたいことがある?」  ギシギシ。会話が成立した感がある。ちらりと木の魔人がハルノアを気にする気配がした。ハルノア本人は腰を抜かしたまま意識を飛ばしている。ハルノアへと意識を向けている木の魔人の枝から、細かい葉っぱがはらはらといくつか落ちていった。目なんて木の魔人にはないのに、まるで泣いているような、不思議な気配だ。 「ハルノア……の、知り合い?」  ギシ! と大きく木の魔人がしなった。そのリアクションの大きさに蓮が目を丸くしたところで、「いたぞ!」と複数の足音と松明が近づいてくる。「流れの神だ、討伐せよ!」と、一際大きな怒鳴り声がする。あの声は、第三騎士団長のジェルタだ。あっという間に第三騎士団の騎士たちに包囲されかけ、蓮はとっさに木の魔人の前に飛び出していた。 「神子殿、何故外にいらっしゃるのだ。そこにいるのは、流れの神。危険ですぞ」 「……流れの神だなんだって、何でもかんでもやっつけるのは、おかしいでしょう! その人は、理性がある。俺を助けてくれました。ほら、あんたも今のうちに逃げろよ」  木の魔人を振り返って蓮が必死に声を出すと、木の魔人はおろおろとしたが、やがて神殿近くの森の中へと溶け込んでいった。それに安堵したのもつかの間。ひたりと冷たい感触が頬にあたり、血の気が引く。これも残念なことだが、ここに至るまでちょいちょいと危機一髪な状況を潜り抜けてきているので、自分の頬に当たっているのが本物の剣だということくらい分かる。 「流れの神を庇うとは。さては貴様、リコス神の神子というのも偽りなのではないか?」 「……偽り?」  まさか、ここに来てそれをツッコまれるとは。 「胸にあるその神子の証とやらも、それらしく皮膚を彫れば消えないものとなる。偽りでないというのなら、今すぐリコス神を呼び出して見せては頂けないだろうか」  蓮に長剣を向けてきたジェルタの顔は、松明の下で醜悪な影をつくった。頬にあてられていた切っ先は蓮の薄い胸元までたどり着くと、リコス神の神子の証として刻まれた青い徴を抉るように押してくる。その痛みにも、蓮は声を出せずにいた。あまつさえ、顔が笑おうとすらする。 (――だめだ。いまは、笑う時じゃない……!)  この世界に来て薄まりつつあったはずなのに、散々受けてきた怒号や叱責が突然頭の中で蘇っていく。しかし、相手は別人だ。そう必死に思い直すと、蓮はうまくつけられず、ポケットの中にいれっぱなしになっていた、ウルからもらった首飾りを強く握りしめた。それから、笑いのかたちを取ろうとしていた唇も噛み締めて、鋭い視線を第三騎士団長へと向けた。 「今、リコス神はこの地にいないから、呼び出すとかはできない。確かに俺は神子と崇めてもらっても、特別な力だってない。それでも、俺はリコス神の神子だ。俺がそのことを否定したら、何度も俺を助けてくれたジンジャーを……リコス神を否定するのと一緒だから」  言葉にすることで、ようやく神子であることが自分の中で定まった気がする。  集まっていた第三騎士団の中が、蓮の言葉を受けてざわつく。それを片手を上げることで制すると、ジェルタは嘲笑した。 「偽者はいつだって本物と言い張るものです。そこで座り込んでいるのも、そうでしょう。さあて、これは大変なことです。貴方が本物だと証明するものが、何もない。よって、我が館で取り調べさせてもらいます」 「……さすがにそれは言いがかりじゃないか?」  じりじりと迫ってくるジェルタの荒い息遣いから逃げようと後退った蓮の両腕を、背後から迫ってきた騎士たちが掴み上げた。 「先に、そこの偽者から取り調べさせて頂くのでも良いのですがねえ。貴方がたは、わざと流れの神を逃したのだ。神子を名乗り、流れの神と結託までしていた、となればその者はいくら貴方が庇おうとしても……極刑に処されるのは免れないでしょう」 「ハルノアの処遇については解決したはずだ。それに、さっきも言ったけどリコス神は、今はいないんだ。今すぐ証明しろって言われても……」  蓮が言い返すと、ジェルタは「ご安心ください」と嘯いた。 「なあに、真実の薬を飲めば、貴方が偽者か本物かはっきりとするでしょう」 「真実の薬?」  ――ジェルタは、怪しい薬を試しているという噂がある。 「分かった。だけど、俺がその真実の薬だかを飲んで、真実本物の神子だと証明出来たら木の魔人――流れの神の処遇は、俺に一任させてほしい」 「良いでしょう。そういう従順な態度をすると、可愛らしく見えますぞ」  連れて行け、とジェルタの号令と共に両腕を強い力で持ち上げられる。無理やり歩かせられ始めた蓮の視界に、きらりと光るものが見えた。 (あれは……)  瞬きをしているのか、その光は見えたり見えなかったりする。やがてその光ったものの近くを通った時、蓮はずっと手のひらの中で握りしめていた首飾りを、なるべく自然な動作になるように気を付けながら、地面へと落とした。

ともだちにシェアしよう!