83 / 96

リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:22

 王都の急変を理由に、リーオ共々王都に帰還したウルが真っ先に向かったのは神殿だった。 「王太子殿下!」  神殿の大階段を一気に駆け上がったウルを、神官長を始めとして主だった神官たちが大扉を開いて待っていた。通常であれば、夜の間は祭祀の時でもない限り大扉は閉じられている。幾ら先触れの遣いは出したとは言っても、やはり何かは起こっているのだ。  いつになく難しい表情でウルに深々と頭を下げた神官長から齎されたのは、神子――レンの行方が知れないということと、流れの神が神殿内に現れたという二つの報せだった。 「……リコス神が、レンに何かあると言って姿を消した。心当たりの場所……王太子宮あたりは、既に誰か探しているのか?」  神子の不在は先ほど知れたところで、捜索はこれからだという。自身も、レンがふらりと行きそうな場所を考えようとしたが、そもそも一人だけで遠くに行けるだろうか。己の伴侶は、極度の方向音痴だ。 「一人で姿を消したとは、考えにくいのです。レン様は、殿下との約束事をしっかり守っておいででしたので……ただ、もしかしたら神子の間かどこかに、抜け道のようなものはあるのやもしれません。大扉が閉じられていたのに、猫が入ってきましたので」 「猫?」  はい、と慇懃に頷いた補佐官が、「これを持って参ったのです」とウルに差し出してきた。それは、ウルが自らレンに贈ったリコス王家の紋章が刻まれた石の首飾りだ。 「その首飾りを見て、何かに巻き込まれたのではないかと……」  「……オレ、知っています……!」  外から駆けこんできた若い神官見習いの言葉で、場が一斉にざわつく。ウルが見たこともないその若い神官見習いは帽子を握りしめ、ウルたちの前で膝をついた。 「ハルノア、どうしたんだ。王太子殿下の御前だぞ」  補佐官が声をかけている。若い神官見習いはハルノア、というらしい。ウルが「私のことは気にしなくて良い」と声をかけると、ぱっと少年が顔を上げた。 「レンは……木の化け物が連れていったんだ!」  泣きながらそう叫んだハルノアの声に被せるように、「お待ちくださいませにゃあああああ!!!」と大きな声がこだました。ウルの背後から号泣しながら現れたのは、猫耳の獣亜人だ。 「旦那様、このマリナが、はっきりと見ました! 奥様を連れ去ったのは、第三騎士団長・ジェルタ! 旦那様、奥様を……奥様をお助け下さいにゃぁあああ!!!」  レンに付けている侍女のマリナだ。しかし、レンの首飾りを神官たちに持ってきたという猫は何者なのだろう。マリナは猫の亜人だが、猫に変じることはない。  細かいことは後で確認することとしてウルはマリナに頷くと、「アシュリーの邸に向かう」と一言告げた。 *** 「先触れもなく押しかけてすまないな」  旅装のまま客間の椅子に腰かけている王太子に向かって、ジェルタは深々と「いいえ」と頭を下げた。王都に戻ってくるには随分と早い。ちらりと視線を上げたが、いつも通り、表情が硬い王太子から感情を読み取るのは難しい。 「しかし、真っ先に私の邸にお見えになられるとは……何かございましたか?」 「神殿に流れの神が現れたそうだな。今宵は第三騎士団に神殿周囲の警備は任されていたと聞いて、陛下に状況を報告するためにも卿の話を先に聞いておきたかったのだ」  なるほど、とジェルタはもったいぶりながら頷く。神子を連れてきた時、周辺には神子の偽者騒動の張本人でもあった神官見習いがいたが、それは『流れの神が神子を襲った』と言わせるための貴重な証人だ。ジェルタが神子を連れていく際、気を失っていたのは確認済みである。  そうなれば、神殿に流れの神が現れたのを聞いてやって来ただけ、というのは本当なのかもしれない。 「ええ、私の部下たちが流れの神を見つけたと申していましたが、私が駆け付けた時には姿も見えなくなっており……今も残した部下たちに周囲を捜索させておりますが」 「神子の行方も、分からなくなっている。居合わせた神官見習いの話によると、流れの神が神子を連れ去ったというのだが――卿の見解を聞かせて欲しい」  危うく笑いそうになったのを我慢しながら、「なんと!」と大仰に驚いて見せた。 「申しわけありません……! 神殿側からは、神子の行方についての情報を、我々は共有してはもらえませんでした……。彼らはいつも、我々には情報を与えて下さらぬのです。しかし、あの場で警備にあたっていた我々にも責はございましょう」  再び頭を下げながらも堪えきれず唇の形を歪めたところで、どたばたとした音が聞こえてきた。 「なんだ、騒がしいぞ! 王太子殿下がいらっしゃっているのだ」 「私のことは気にしなくて良い。見てきてはどうだ」  いえいえ、と苦笑いしながらもジェルタはつい扉を気にしてしまう。しっかり縄をかけておけと言ったが、思ったよりも抵抗しているのかもしれない。 「そういえば、卿の邸に来たのはこれが初めてだが、酒の収集家で巷では有名なのだとか」 「はあ、酒……ですか。そんな、殿下の前で自慢できるようなものはございませんが」  唐突に会話を変えてきた王太子に、ジェルタは戸惑った。てっきり神子の行方を血眼になって探しにきたのだとばかり思っていたが、実は神子のことはどうでも良いのだろうか。 「もし陛下が気に入りそうなものがあれば銘柄を教えてほしいものだ。実の父ではあるが、長い間離れていたのもあって、何がお好きなのかも分からなくてな。もし勧められそうなものがあれば、卿の名前と共に陛下に贈りたい」 「なんと……陛下に、ですか」  読めた、とジェルタは内心ほくそ笑んだ。清廉潔白というのは表の顔で、その実、王太子も王に気に入られたいということなのだ。そう合点したジェルタは、扉の向こうが静かになったのもあって「かしこまりました、すぐに探してまいります」と部屋を後にする。  酒の収集庫にはこういう時のために大事にしておいた取っておきが幾つもある。念のため神子を押し込んでいる部屋に顔を出し、口や足をしっかりと縛ったら鍵をかけておくように告げ、ジェルタは浮足立ちながら収集庫へと向かう。  そこで、王に献上するのに相応しいと思われる一品を取り出した。笑いを隠せないまま客間へと戻ろうとして――廊下に出ている王太子を見て、大いに慌てた。 「殿下?! いかが致しましたか」 「先ほどから騒がしい気配がする。何か問題が起こっているのなら、一助になれないかと思ったのだが……すまないな、アルラで騎士団を率いていた時の癖か、物音が気になる性質なのだ」  いえいえいえいえ!! とジェルタは大声を出していた。思わず動揺しながら、神子を押し込めた部屋に近づいた。確かに、カリカリと扉をひっかくような音が聞こえてくる。鳴き声はしないが、中途半端に縄をかけてしまったのだろう。これ以上誤魔化すのも難しいと考えたジェルタは「犬を飼い始めたのですが、まったく言うことを聞かないもので」とへらへらと笑いながら言い訳をした。しかし、それはかえって王太子の気をひいてしまったようだ。 「犬? それならば、私も見たいな。王妃殿下から犬を飼いたいと相談を受けているのだが、ぜひ参考にしたい」 「……はあ」  王太子の表情がいつになく柔らかくなったのを見て、どうやら嘘ではないらしいとジェルタは冷や汗をかき始めた。しかし、一度あの薬を飲めば、戻る方法などジェルタも知らない。それどころか、伴侶がオオカミになったことに気づかず再会する王太子というシュールな展開になる状況に興味を惹かれて、ジェルタは「噛みつくかもしれませんが……」と前置きして扉を開いた。  ずっと扉を引っ掻いていたらしく、小柄な白いオオカミの前足が血で滲んでいた。「これは……」と王太子がオオカミを見て片膝をつく。白いオオカミ――神子は驚いたのか、琥珀の瞳をまん丸くして口に縄をかけられたまま「くう」と鳴いたが、もちろん人語を操れるはずもない。 「いけないな……これはオオカミだ。卿も存じていると思っていたが、オオカミはリコス神の化身――愛玩用として飼うことは許されていない。しかも、このオオカミは怪我をしている。保護は、王宮か我が王太子宮のみと決められている。……お前、名は?」  王太子が、オオカミの口縄を丁重に解いてから、穏やかな口調で話しかけている。「はあ、いや、その……」とジェルタは口ごもりつつも、王太子が織りなす喜劇に抱腹したいのを必死に我慢した。口が自由になったオオカミは必死に何かを話そうとしているが、すべてきゅうとかぐうとか、人語とは程遠い声になる。挙句の果てにぎゅるう、と豪快な腹の音を立ててぺたりと伏せてしまった。 「もしかしたら、弱っているのかもしれない……血も出ているな。私の方で、このまま引き取らせてもらおう」 「えっ、……ああ、そういうことでしたら、お願いします」  笑いは隠せただろうか。口許を覆っているジェルタの前で、王太子は小さなオオカミを抱え上げた。「それから」と、口を開く。 「もし、神子――私の伴侶を見かけることがあれば、王太子宮まで即座に教えて欲しい。万が一、私の伴侶が傷つくことがあれば――私は、その者に報復するだろう」 「お、おお……勿論ですとも」  慇懃に頭を下げながら、ジェルタは己の唇を噛み締めた。鳴り物入りで王太子に立ったものの、存外扱いやすい馬鹿なのかもしれない。  そうは思いつつも、王太子が最後に見せた笑みのせいで、ジェルタの背筋に冷たいものが走るのだった。

ともだちにシェアしよう!