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リコス国編(本編続編)~彼が靴を作り始めた理由:24

「キャニスの木から作られた、薬?」  ウルから問われて、蓮は大きく頷き返す。  間もなく運ばれてきた食事は、優しい味わいのパン粥だった。あっという間に食べ終え、一息つく。その後、湯を準備してもらいウルと二人で浴槽に入った。割れた爪が痛くて固まっていると、ウルが丁寧な手つきで蓮の身体を洗ってくれた。夜中なのに蓮まで現れて更に大騒ぎとなった王太子宮だが、マリナとユノーに再会すると蓮はまた涙ぐんでしまった。オオカミの姿でいたのは、時間にしたら数刻にも満たない時間だったのだが、二人とも大泣きしながら主の帰りを喜んでくれた。  清潔な寝衣に着替えて再びウルの自室に一緒に戻ったところで、蓮は慌てて自分がオオカミに変じた経緯をウルに説明し始めた。 「俺は何故かオオカミになったけどさ。あのとんでもオヤジの話だとその人の真実の姿、みたいなのに変身しちゃうらしい。そうそう、流れの神だとか言われてたのは、ハルノアのお兄さん……れっきとした人間なんだよ! だから、討伐しちゃだめなんだ。それでもって、あのとんでもオヤジはウルの失脚を狙っているっぽい。多分、あの薬で元に戻れないって踏んだんだろうね……色々、俺の前で喋っていた」 「……私の失脚を狙うのなら、私の手腕について指摘すれば良いものを。……その上、レンの身体を傷つけるとは……!」  一気にウルが苦虫を噛み潰したような顔になった。いつになく眉間の皺が深い上に、薄暗い部屋の中なのに蒼の瞳が鋭く光っている気がした。  蓮の指先はマリナたちによって手際よく手当してもらったが、身体を洗ってくれたウルが目ざとく蓮の胸元につけられた傷に気づいた。リコス神の神子である証を抉るようにつけられた傷を見つけた時は、ウルの動きが一瞬止まったが、その時は冷静だと思っていた。  しかし、蓮の説明が進むにつれてウルの表情は硬くなっていき、今に至っている。 「ジンジャーが助けに来てくれたんだけど、俺がオオカミになった後は消えちゃって……」 「薬で姿が変じた影響もあったのだろう。あの男……今すぐにでも八つ裂きにしてやりたいくらいだ」  そう言ったウルの指が蓮の胸元にさし伸ばされた。切り傷はついているが、浅いものなので既に塞がっている。「お、大げさだなあ」と蓮は笑おうとしたがウルの顔は笑っていない。 「でも、ウルもジンジャーも帰ってくるの早かったね? お蔭で助かったよ」 「嫌な予感がした。レンが贈ってくれた腕輪が突然落ちて……」  へえ、と蓮は目を丸くした。間抜けな顔になったのは自覚があったが、蓮の表情を見たウルが何とも言えない表情をしてから嘆息し、顔を俯けた。 「もっと、早く駆け付けられたら良かったのだが。安全な場所に預けたつもりが、帰ってきたらオオカミに変じているとは……。今後は、レンを傍から離さないようにもっと留意する。今回は私の失策だった」 「まあまあ。でもさあ、俺、てっきりお金の魔人とかそういうのになるとばっかり思ったよ。オオカミで良かったあ。さすがに、お金の魔人じゃ真っ先にウルに討伐されちゃいそうだもの」  ちら、とウルが見てきた。「私は、たとえお金の魔人とやらでもレンなら見抜ける」とすぐに言い返してくる。呆れたと言わんばかりの顔も懐かしいような、不思議な感覚だ。蓮はふと、大事なことを言っていないことに気づいて、慌てた。 「あの……遅くなったけど、おかえりなさい」 「ああ、ただいま。ずっとレンのことを想っていたよ」  蓮に苦笑してみせると、ウルが口づけてきた。穏やかな口づけを甘んじて受けているとそのまま寝台に押し倒される。まさかこれから? と身構えた蓮だったが、蓮の頭を抱きかかえるようにウルも横になった。エデュカから休みなくずっと駆けてきてくれたのだろうか。顔を見つめると、すでに蒼の瞳は閉じられた目蓋で隠されている。 (こんなに疲れていたのに……申しわけない気持ち、だけど)  身動ぎしたら起こしてしまいそうで、じっとしながら精悍な顔立ちを見つめる。遠いエデュカから無理して駆け付けてくれたのもそうだが、オオカミに変じてしまった己をあっさり見つけてくれるとは――あまつさえ、蓮だと信じてくれるとは思っていなかった。先ほどの馬車の中でも、王太子宮に着くまでの間、ずっと声をかけたり抱きしめてくれた。 (……格好いいなあ)  紆余曲折を経て、ウルに好意を抱いているとは思っていた。しかし、漠然としていたその感情がはっきりと象られた気がして、蓮は自分の顔が勝手に熱くなっていくことに動揺する。寝ているウルにますます抱き寄せられて、蓮は慌てて目を瞑るのだった。 *** 『ジンジャー! 良かった、心配していたんだよ』  寝落ちてすぐ、蓮は自分が夢を見ていることに気づいた。つい先ほどまでウルの寝顔をじっと見ていたのに、突然美しい草原が広がっていれば、鈍い蓮でもこれが夢だと分かる。そうして、見慣れた小さな姿がしょんぼりと座っているのが見えた。嬉しくて声をかけても、子どもは振り向いてくれない。腰に手をあてると、蓮は苦笑した。 『なあ、……もしかして落ち込んでいる?』  子どもの隣に来て座ると、体育座りをしている子どもは小さく頷いた。その小さな頭に手のひらを乗せると、びくりと子どもの肩が震える。 『ジンジャーが落ち込む必要、ないじゃないか。俺が無理やり、ウルのお供頼んじゃったのに、それでも遠くから駆けつけてくれたんだよね。それなのに、あっさり捕まっちゃってて申し訳ないというか……』    ふるふると小さな頭が左右に揺れる。それから、ようやく蒼の瞳がこちらを見てきた。 『レンは、悪くない。……自分でも、どうしてああなったのか、わからないんだ』  それは、ジェルタの屋敷で蓮がオオカミになってしまった時のことだろう。『それなら』と蓮は明るく笑い返す。 『俺が、オオカミになっちゃったからだよ。俺、オオカミの姿で少しほっとしたんだ。だってほら、自分でも悲しくなるくらい金の亡者でしょう、俺。金かね言う化け物か、お腹すいたーってずっと言う化け物の二択だったらどうしようって結構怖かった。……でも、なんでオオカミだったんだろうね?』 『それは――!』  真っすぐな蒼の眼差しが蓮を見てきた。いつになく不安げなリコス神は何かを言いかけて、言いよどむ。その顔が泣き顔にも見えて、蓮は首を傾げた。 『もしかしてさ、俺の心がオオカミっていうか、ジンジャーでいっぱいだったってことかな? 確かに、あの時もジンジャーのことめちゃくちゃ心の中で頼ってたしね』 『……レン?』  ジンジャーの蒼の瞳が、ぱちくりと大きく瞬いた。うんうんと蓮は頷くと、『理解できた!』と一人で納得する。 『でも、ジンジャーにも分からないことあるって知って、なんだかホッとした。リコス神って、すごい神さまだってみんなが言うし、アルラ神とも格が違うんだろう? 俺が神子でいる意味、あるのかなあって正直ずっと悩んでいたんだ。神さまが完璧じゃないのなら、俺がいる意味、ほんの少しでもあるかもしれないって思えて。……まあ、足引っ張りまくりなんだけどさ……』 『足を引っ張ってなんか、いない。わたしは、レンのことをずっと待っていた』  ん? と視線を返した蓮の前で、ジンジャーが大きな神狼の姿へと戻った。蓮が笑いながらジンジャーに向かって腕を広げて見せると、ぐりぐりと頭を押し付けられる。 『わたしを、わたしにしたのはレンだ。何と言えば良いのか、分からないが……レンがこの世界にいることが、わたしにとっては意味がある』 『神さまって、守秘義務とか人間より厳しそうだしねえ。特別なこと、できないけど……これからもリコス神の神子ですって名乗ってもいい?』  真面目な声音のジンジャーに、蓮も真面目に返したつもりだったが、聞こえたのは『くふ』という笑い声だった。 『……もしかして今、笑った?』 『うん。レンはもっと、自信もってわたしの神子だと言ってほしい。レン以外には、いないのだから。本当に、ずっと待っていたんだ。わたしが、リコス神になった時から』  大きな口元を笑っているようにつり上げてみせたジンジャーの顔を見て、蓮が小首を傾げると、『それにしても』とジンジャーが続けた。 『今後は、レンの頼み事でも、金輪際! レンのそばから、離れない。離れてしまったのは、わたしの失策だった』  ふんふん、と鼻息を荒くしたいつもどおりのジンジャーに、蓮はたまらず笑ってしまった。 『それ……失策って、ウルも同じこと言ってた。なるべく大人しくしているつもりなんだけどなあ』 『……レン。今後、わたしがどんな姿になっても、これからも傍にいてくれるだろうか……?』  ジンジャーの話し方が突然変わり、蓮は目を瞬かせたが『当たり前だろう』と明るく返す。 『俺がいた世界ではね、いろんな形の神さまがいたんだよ。できれば、ちゃんとお話できる姿はキープしておいてほしいけど』 『……承知した。わたしの愛しい者』  そう言って優しい眼差しを向けてきたジンジャーを見て、蓮も『なんか、くすぐったいなあ』と言って笑い続ける。 『遅くなったけど、ジンジャーもおかえりなさい』  蓮が慌てて言い足したところに、柔らかな風が吹き込んでくると、蓮とジンジャーの周りを通り抜けていくのだった。

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