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番外編:モフモフ隊日記――結成ゼロ日目

「そっか、神殿じゃオオカミも一緒にっていうのはできないのか……」  残念そうに呟いた青年に慌てたのはハルノア本人である。神殿で樹医として勤めていた兄のニストが再び神殿で勤めることができることとなり、弟妹たち共々神殿で世話になることが決まった。しかし神官たちは、ハルノアの大事な家族であるオオカミのアレスを迎えることには首を縦に振ってくれなかった。  今目の前にいる青年がそのことを知ったら、きっとまた無茶をするだろうと考えて黙っていたのだが、まだ青年の正体を知らない弟妹たちがポロっとしゃべってしまった……泣きながら。  「オレ自身が、本当はここまで良くしてもらうわけにいかないのに、これ以上は我儘言えないから。大丈夫、ニスト兄さんが時々家に戻るし、アレスに絶対会えないわけじゃないし」 「でも、ハルノアもアレスも、本当に傍にいたいのはお互いのところじゃないか」  オオカミの瞳によく似た、琥珀色の瞳がまっすぐにハルノアを見てくる。いつも笑っているような雰囲気があるのに、こんな己にも必死になってくれる青年の言葉に、ハルノアの顔もどんどん俯き加減になる。  彼らがいるのは神殿の裏手にある森の傍だ。当分の間は神殿の下働きをすることとなったハルノアは、兄と共に神殿の木々や薬草類などの世話をする傍ら、雑用もしている。そんなハルノアを探しに来たのはこの大国でも最上といっていい立場の青年で、ハルノアは慌てて膝をつき頭を下げたのだけれど、青年と来たら「お腹でも痛くなったの?」と聞いてきた。そこから青年も座り込み、ハルノアたちの近況を話しているうちにアレスの話になった。敬語も禁止、と言われてしまい、腹をくくっていつも通りの喋り方に直すと、なぜか青年は嬉しそうな顔をしていた。 「うーん、確かに神官の皆さんには結構我儘言っちゃったからなあ……。分かった、じゃあ王太子宮でお世話できないか聞いてみる! ねえ、ジンジャー」  ジンジャー。聞いたことがあるような、ないような。ハルノアが首を傾げていると、背後から草をかき分け、獣が近づいてくる気配がした。 (ああ、そういえばオオカミの友達がいるとかなんとか、言ってたんだよなあ)  アレスとも早々に心を通わせられたのは、青年もオオカミとよく接しているからだと言っていた。どんなオオカミなのだろうと振り向き――そのまま、腰を抜かした。 「あ……あ、ああああ! こ、こちらは……リコス神……?!」 「そうか、ジェルタ事件の時に、ハルノアもいたもんね」  そう、あれは事件だった。ハルノアたちの目の前に、リコス神が現れたのだ。巨躯のオオカミは目の前にいる青年――神子をその背に乗せて連れてきたかと思えば、ハルノアたちの目の前で白銀の貴人へと姿を変えた。その神々しさに、場は完全に飲み込まれていたと言って良いだろう。  そして今も、巨躯のオオカミは嬉しそうに青年に頭を摺り寄せる。くすぐったそうに笑いかけた青年だったが、慌ててオオカミ――リコス神から身体を離すと、もにっとリコス神のふわふわとした両頬を抑え込んだ。リコス神はされるがままになっている。 「ジンジャー。王太子宮にさ、ハルノアのお友達の、アレスも一緒に住んじゃだめかな? 王太子宮だったら、俺がアレスと一緒に神殿に通えばハルノアにも会えるよね。アレスはハルノアと一緒だったから、野生に帰すっていうのも可哀そうな気がするんだ」 『……わたしはいいとおもうけどねー、ウルにもいわないとだよ?』  ジンジャーが良いなら第一関門突破だね、と青年が嬉しそうに笑い、オオカミの頬から手を離す。 「……お、お前……いくら神子だからって、神にそんなため口で良いのか?」 「そう言われると……」  ちら、と青年がリコス神を見やると、巨躯のオオカミは目を細めてすぐ傍にいる青年の頬へと己の頭を摺り寄せた。 『わたしとレンの間に、堅苦しい言葉は不要。第一、昔からお前は使おうともしてなかったからな』 「ジンジャーが男前な話し方したー!」  おお、と目を丸くした神子と、オオカミの姿なのに得意げな顔をしていそうなリコス神。つい微笑ましく感じてしまう。 「……あ、ウルが神殿に着いたみたい」 「は? どうして分かるんだよ」  すっと立った青年が、嬉しそうに神殿の大階段がある方を見やった。 「なんだろう、オクサマの勘、的な?」 「奥様って……そこが一番の不思議なんだけどさ、なんであんたが王太子様の奥様なんだ? ふつう、王太子様っていったら、よその国のお姫様と結婚するものだろう」  そうだよねえ、と青年が頷いた。 「告白イベントみたいなやつで足滑らせたら下敷きにしちゃったんだけどさあ、それがきっかけというか」 「……王太子様を、下敷きに……? あんた、よくそれで無事でいられたもんだね」  無事っていうのかなあ、と青年はぼやいたが、リコス神が青年のまわりをぐるっと回った。 「そうだそうだ、ウルを迎えに行かなきゃ。ほら、ハルノアも来て。アレスのこと、お願いするから」 「えっ、王太子様に……?!」  青年に手を引かれ、大階段へと駆けていく。神子とリコス神に挟まれた状態。神官たちからすれば鼻血を噴いて歓喜しそうな状況だが、ハルノアは王太子にお目通りするということで頭がいっぱいだ。  大階段の下に着くと、青年が言っていた通りこの大国、リコスの王太子がいた。王太子を守る騎士たちに囲まれても見劣りするどころか、長身で堂々とした立ち姿をしている。兄を異形の姿に変えたあの非道な男――第三騎士団長のジェルタを追い詰めた時の気迫といい、精悍な顔つきなのもあって恐ろしい印象がすっかりと刷り込まれたハルノアはつい足を止めてしまった。青年はといえば、自分の伴侶だという王太子に暢気に手まで振っているが――王太子も手を振り返してきて、ハルノアは目を丸くした。 「ウル、いらっしゃい! って俺が言うのも変だけど。もし少しでも時間が取れそうなら、用事が終わった後にでも相談したいことがあって」 「今すぐ話してくれても大丈夫だが……レンのおねだりはめずらしいな」  頭を下げなければ、と地面に膝をつこうとしたハルノアだったが、ひょいと大きなオオカミ……リコス神に軽く止められると、そのまま袖口を咥えられ、王太子のところまで連れて行かれてしまった。鋭い蒼の眼差しが、ハルノアを見てくる。 「実は、ハルノアのお友達にオオカミの……」 「オオカミ……アレスと言ったか。先日、レンが話していた?」  そうそう、よく覚えているねと青年が笑う。まさか自分たちのことを会話にし、あまつさえ王太子がその内容を覚えていることにハルノアも驚いた。「レンの話すことは覚えている」とぼそりと王太子が呟くのが聞こえた。 「神殿はオオカミも一緒に住むのはダメみたいで。でも、王太子宮なら良いんじゃなかったかなって。ほら、ジンジャーもいるし」 「アレスというオオカミが、己の居場所として我らの居を選ぶというのなら、良いと思う」  良かったね、と青年が振り返ってきた。リコス神も良かったな、と言いたげにハルノアを見てくる。自分でも気づくのが遅くなってしまったけれど、顔はとても熱くなっていて……ほとんど、泣きかけていた――その時。 「レン。急いで走ってきたのだな。襟元が乱れている」 「あー。今日はユノーがいないから、マリナと二人で頑張ったんだけどね、首の後ろで結ぶやつ、時々とれちゃって。ユノーってこういうの解けないように上手く結んでくれるから」  そうか、と王太子は低い声で返すと、テキパキと青年の項あたりで解けかけていた結び目を直した。そのまま青年の額に口づけてから、柔らかく笑むのをハルノアは目撃してしまった。 「お、あ……ひっ、人がいる前では恥ずかしいってば」 「伴侶に口づけするくらい、誰も気にしない」  うわー、と子どものような声がハルノアの傍から聞こえる。リコス神が漏らしたものらしい。 「それにしても、なんで神殿はオオカミ立ち入り禁止なんだろう?」 「神子殿、それは自分の方から説明いたします」  神官長の代わりに王太子の出迎えに来ていた補佐官が、狐目をさらに細めながら口を開くのが見える。そういえば、理由までは教えてもらっていなかったな、とハルノアも身構える。 「オオカミはリコス神の化身であり、もちろん神殿としても大切に考えておりますが、神殿としてはリコス神が第一。今、顕現されている以上他のオオカミを招くわけにはいきません」  くふ、とハルノアの側でリコス神が笑った気がした。それからノソノソと歩いていくと、青年の手のあたりに頭を押し付けてから、リコス神の間でも見かけた白銀の貴人の姿へとなった。それから青年の耳元に顔を近づけ、何事かを囁いている。 「ん? そうなの? ……ええと、ジンジャー……リコス神が言うには、自分はもともとオオカミじゃないから嫉妬とかはしない、そうです。あれ? じゃあ、神殿でも問題ない?」 「リコス神がそう仰るなら、勿論こちらは問題ありませんよ」  ぱあ、と明るい顔になった青年がこちらを見てきた。 「ただし、神殿では神子殿の考えを反映し、受け入れる者には労働をして頂くことになりましたが……オオカミの扱いはいかが致しますか」 」 「確かに、言い出したのは俺ですねえ……」  考えこむ青年を、王太子とこの国の守護神が見守っている。なんだ、この光景は。しかし、これ以上青年を悩ませるわけにはいかない。本当は罰せられて牢屋の中にいるはずの己に、仕事と居場所を与えてくれた恩人なのだ。 「あの……」  何とか勇気を振り絞って口を開いたハルノアの声に被せて、「そうだ!」と青年の明るい声が響いた。 「それじゃあ、アレスには俺の騎士をやってもらうってことで、どうでしょう。俺が攫われても追いかけて見つけてくれたし」 「……騎士、ですか」  モフモフ隊です、と鼻息荒く青年が答える。  気のせいか、王太子が口元を押さえて笑いを堪えているように、ハルノアには見えた。 Fin.

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