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第12話
高校の頃のように教師と生徒ではないのだから、
名前で呼んでもいいのに、先生と呼ぶことはやめられない。
心の中では名前で呼んでいても目の前では呼べなかった。
「先生!」
車から降りてきた祐希に抱きつく。
抱き締め返してくれる腕は力強くて安心感で息をついた。
頭をぽん、ぽんと撫で、背中をさする。彼はいつだって僕の扱いがうまい。
「そんなに会いたかったのか?」
「うん。一週間って結構長いんだよ?」
よしよしともう一回頭を撫でられ、えへへと笑う。
もう手綱(たづな)は取られていて彼の自由だ。
待ち合わせ場所は、都心から離れた郊外のカフェ。
迎えに来てくれると言ったけど何となく遠慮して地下鉄に乗った。
人が多いのは、辟易するけど、自分で彼に会いに行くというドキドキ感が強かった。
今日は運よくバイトもないので二人で長く過ごせる。
カフェの外の駐車場で、背の高い彼と向かい合う。
「何で休日にスーツなの? かっこいいけど」
「つい、くせで。私服にこだわりはなかったけど、
お前とデートするならちゃんとしたの買わなきゃな」
「先生なら何でも似合うよ。誰でも見とれる」
「お前が見とれてくれるだけでいいよ?」
かっ、とほほが熱くなる。
運転席から伸びてきた長い指が、頬を撫でた。
グレーのジャケット、ワイシャツ、グレーのネクタイ、
スラックスと高校教師として教壇に立つ時と変わらない出で立ち。
違うのは、香水をつけていることだ。
さわやかな海の匂いが、伝わってくる。
(悔しいくらい大人だな。
8歳も上なら仕方がないけど)
喫煙しない代わりに香水を纏う人と店内に入る。
案内された禁煙席に座った。
二人用のテーブル席は、ちょうどいい距離感を作れる。
仕切りがあり別のテーブルは見えづらい仕様になっているのも素晴らしい。
わざわざ他人に目を向けたりはしないけど、
見られるのは何となく気になった。
長い指がメニュー表を手渡し微笑む。
「先生は決まってるの? 僕は、ミックスジュースにする」
「もちろん。じゃあ店員を呼ぶぞ」
ボタンを押すと店員がやってくる。
「俺はコーヒーで、こちらにはミックスジュースをお願いします」
「ストロー、二つもらえたらお願いします」
店員が了承してくれ去って行く。
「先生はコーヒー、好きだよね。
お腹の中まで真っ黒じゃないからいいけど」
「俺は腹黒じゃないよ」
ひとしきり笑い合う。
やってきたアメリカンとミックスジュースがそれぞれの席に置かれた。
「美味いよな。ミックスジュース」
「一口飲む? コーヒーは分けてもらわなくていいからね」
「いいのか?」
微笑みを返し、ストローとグラスを差し出す。
ストローを二つもらっておいてよかった。
「先生と分け合って飲んでみたかったんだ」
彼といると自然と笑みが浮かぶ。
目を細めて笑みを返してくれると胸がいっぱいになった。
彼は、チラっとこちらを見た後グラスにストローをつける。
さすがに見ていると飲みづらいので視線を逸らした。
「美味いよ。ありがとう」
グラスが戻される。本当に一口だけ飲んで返してくれた。
グラスにストローを刺して吸い込む。
バナナの味が強くてとても美味しい。
彼はコーヒーカップに口をつけていた。
静かな時間が流れ溶けていく。
「今日はどこへ行こうか?」
さりげなく尋ねられ答えに窮する。
何も考えてなかった。
祐希と出かけられるなら、どこでもよかった。
「僕の部屋へ来ない? 一人暮らしだから気兼ねはいらないよ」
「……大旦なお誘いだな」
クスッと笑われた。
「……それは次の機会ということで、俺の部屋へおいで」
「行く!」
即答する。
レジに行くとお会計は同じでよろしいですか?と聞かれ彼は即答し支払いを済ませる。
店から出ると後ろを歩きながらその背中にお礼を伝えた。
「先生、ありがとう」
「いや。好きな人にはごちそうするものだろ」
「じゃあ次は僕が出すよ」
立ち止まった背中にぶつかりかけた。
耳元にささやかれる。
「気持ちだけもらっとく」
耳打ちされるとやばくて、心臓の音が激しくなる。
わざとやっているに違いない。
駐車場で車に乗り込むと彼はスムーズに運転準備をした。
シートベルトをして横顔を見つめる。
「行こうか?」
ギアを入れ替える。
僕のシートベルトを確認した祐希は、ゆっくりと車を発進させた。
車は知らない道に突き進んでいく。
「お前に成人の祝い、やってなかったな」
「……いいんだよ。20歳のお祝いしてもらったから」
法律が変わり18歳で成人になった。
あの時は、高3だったけど二人はまだ恋人同士でもなくて、
単なる片思いだった。
頬が熱くなる。
消化不良だった恋が、動き出した。偶然の再会がもたらした奇跡によって。
「……嬉しかったのは俺の方だ。
ずっとお前に触れたくて仕方がなくて、やっと手に入れたんだ」
「……先生」
運転をしながら熱い言葉をくれる。
少しだけ泣きそうになったのは秘密だ。
誤魔化すように口を開く。
音楽さえかけない車は、いつしか祐希の暮らすマンションにたどり着いていた。
助手席のドアの鍵が開き、降りる。
隣に立つ彼を見上げ頷いた。
「俺の家に来るの即答してよかったのか?」
どこかいたずらな笑みに、ふわり微笑む。
「来てみたかったんだよ。今なら許されるでしょ」
手を握られる。
手を繋ぎ合いマンションの建物に入りエレベーターに乗った。
最上階の右端が彼の暮らす部屋だった。
「……連れ込まれたなんて思うなよ」
「思わないってば」
念押ししてくるのがおかしい。
カードキーで開かれた扉に入る。
二人が中に入ると鍵がかかった。
静まり返った部屋の中、二人きりを意識する。
裕希が腕を引きソファに座らせてくれた。
「緊張するかも」
「実は俺も……」
(先生は余裕じゃないんだ。
意外だった)
「……先生、今日の夜は忙しい?
夜ごはんは一緒に食べられるかな……」
「午前中に持ち帰りの仕事も済ませたから、お前との用事以外はない」
きっぱり伝えてくれた。
「夕食も一緒に食べよう。俺の手料理でよければ」
「うれしい。夢みたい」
「全部、夢なんかじゃない」
抱き寄せられて、きょとんとする。
髪を撫でられると心地よくて少しだけ眠くなった。
「くつろいでくれていいからな」
腰に抱きつく。
「うん」
「……夕食の後、送ってくれるの?」
上目遣いに聞いてみる。
「明日は、朝早いのか。 日曜だけど」
背中を撫でられて、ドキッとした。
「何にも予定はないよ」
聞いたのは彼が許してくれるなら、
もっと同じ時間を共有したいと思ったからだった。
「嫌なら何もしない」
嫌じゃないよと心の中でつぶやく。
まだ午後三時台で、外も明るい。
頬にキスを落とされるだけで胸が高鳴る。
「再会できて片思いの恋が成就してよかった……」
「俺も好きだった。言えるわけなかった」
この間も伝えたようなことを繰り返す。
夢じゃないから部屋にも連れてきてもらえたんだ。
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