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第4話

目を覚ますと、大きな虎に抱きつかれていた。なにがあったんだっけと思い返さなくても分かる。まだそう時間は経っていないだろう。ウタウは窓から差し込む光を見た。夜行性なのに完全に遮光していないんだなと不思議に思う。 「んん……」 腹に両腕を回されている。頭の上から寝息が聞こえるので自分は小さい子どものようにトラに後ろから完全に包囲されているのだろう。腕以外動かせない。そっと、腹を覆っているふかふかのトラの腕を撫でてみる。毛皮が厚く、滑らかで、模様が綺麗だ。 ―自分はこれからどうなるんだろう。 トラを孕む。それ以外のことは分からない。ここがどんな場所にある城なのか、獣人と不死者と人間がどうやって生活をしているのか、ウタウは知らないことが多すぎる。世話人もいないということは、着たり飲んだり本を読んだりするのも自分で手配しなければならないということだ。少しだけ不安に思う。自分はちゃんとできるだろうか? なにせ100年ずっと社に籠っていた。生まれたとき地面に足をつけた感覚が未だに忘れられない。あそこまで「異質」な感覚を自分はこれからずっと持ちながら生きていかなくてはいけないのだろうか? ―あれ? そういえば、地面の感覚が分からないとウタウは気付いた。トラに抱きかかえられてから、一度も足をつけていないのだ。ウタウは急に頬が熱くなるのを感じた。トラはなにも意識なんてしていなかったはずなのに、そういうところにも好ましさを感じてしまう。 「ん……? ウタウ、起きちゃった……?」 上から甘ったれた声が降ってくる。獣だから気配に敏感なのだろう。ぐりぐりと顎で頭を撫でられる。 「オレ、もうちょっと寝てたい……あれ? ドキドキしてる? だいじょうぶ?」 ずるり、と引きあげられて頬同士をすり寄せられた。 「昨日よりあったかい……トオルに診てもらおうか?」 「ううん、大丈夫……」 恥ずかしくてウタウは目を逸らした。自分が100年の間、「自分を求める獣」に想像の片想いをしていたことに気付いてしまったのだ。それが、トラとして完全な像を結んでしまった。自分の子どもを―今となっては違うと分かるのだが―孕んでほしいとせがむ獣、自分を愛してくれる獣、自分を外の世界に連れ出してくれる獣、自分を殺してくれる獣…それらがすべて、トラとして今ここにある。 「あの…えっと……」 しかし自分から、トラが好ましいとかあそこから出してくれて嬉しいなんて言えず、ウタウはぎゅっと自分の掌を握る。ましてや誘うなんてもってのほかだ。処女だとか童貞だとか生娘だとかそれ以前の問題で、ウタウは他者に慣れていなかった。 「じゃあ、もう一回寝よ」 「……うん」 今度は向き合う形でぎゅっと胸に仕舞われる。トラは昨日、上下で人間のような服を着ていた。今は上を脱いで下穿きだけつけているようだ。毛皮がふかふかで気持ちがいい。 「ウタウ、なでなでしていい?」 「……うん」 「ありがとう!」 爪を仕舞ったトラの手が、ゆっくりとウタウの髪を撫でて、梳いていく。 「さらさらで、きれいだね…」 「そうかな…ありがとう」 茶色く長い髪は、特に理由もなく伸ばしていた。切るための道具を与えられなかったということもある。でも、伸ばしていてよかった。トラに褒めてもらえた。 「ウタウは毎日お風呂入る? トオルは毎日お風呂入るからシシが怒ってた。匂いが消えちゃうって」 「うん…一応、でもトラと同じでいいよ…匂いは…分からないけど」 くんくん、とトラの胸の匂いを嗅いでみる。形容しがたい獣の香りと太陽の匂いがする。そのまま深く息を吸うと、少しだけ肉のような夜のような匂いがした。何もかもが新鮮で、つい胸元にかじりついて追究してしまう。 「……ウタウ、くすぐったい、あと……」 「あっ、ごめんなさい、わっ! わっ!」 膝に、勃起した獣の陽物を感じてウタウは硬直した。そうだ、自分はそういうことをするための生き物だった。 「ごめんなさい、あの…あの…」 なにをどうしたらいいのか分からず、ウタウはトラの顔と胸元を交互に見る。怖くてそのものが見えない。 「大丈夫だよ、ウタウがいいって言ったらするから、いまはだいじょうぶ」 「あ…あの、早く、がんばるから、ちゃんとできるように、がんばるから」 ぎゅっと、トラが掌を握ってくる。 「んー、」 そしてその掌を鼻で吸う。 「怖がってる匂い。安心するまでなにもしないよ。だから、なでなで、くんくんさせて?」 邪気のないトラの笑顔に、胸が詰まってしまう。顔が濡れている気がする。 「ウタウ、泣いちゃった、ごめんね! オレ怖かった!? ごめんね」 「あ…違う、ちがう……ごめんなさい、ちがう…」 初めて泣いた。あくびとか痛みではなく、心から涙が出た。死んだような冷たい生き物なのに自分にはこんなに熱い感情がある。 「ありがとう……あの、ありがとう……」 「オレもありがとうだよ! ありがとう」 違う、もっとちゃんとした言葉で伝えたいのに、うまく形にならない。冷たい涙が止まらず、しゃくりあげてしまう。 「だいじょうぶ…だいじょうぶ……」 歌が聞こえる。ぽんぽん、と背中を叩かれる。ぐりぐりと温かい頭を擦りつけられる。何度も髪を梳いて、トラは安寧と慰めを歌った。 「……ありがとう、あの…えっと…」 お礼をしたくなって、涙で濡れたぐしゃぐしゃの顔を上げる。 「ん? すりすりしてくれる?」 「うん……」 猫科の動物は顔から匂いが出るらしいと、どこかで読んだかもしれない。でもそんな知識より先に、体が動いた。首を伸ばして、トラの獣の頬に、自分の小さい頬を擦りつけた。 「わあ! かわいい! かわいい!」 べろべろと顔を舐められてそのまま押し倒される。でも怖くなかった。頬を重ねていると、安心する。 「こうしてようね、ご飯の時間まで」 「ご飯って……いつ? なに食べるの?」 毛皮に埋まって、息をするのも大変だ。でも温かくて気持ちがいい。 「オレはお肉とか……時間は陽がのぼったら鐘が鳴るんだよ。ウタウはなに食べたい?」 「……冷たい水が飲みたい」 きょとん、とトラは首をかしげた。 「お肉は?」 「…食べたことなくて…」 おそらく、不死者は生きていないから食事を必要としなかったのだろうと今になって分かる。食事らしい食事をとったことがない。使っていた食器は、水差しと杯だけだった。 「そっかあ……冷たい水、わかった!」 髪の生え際で、トラの舌のざらざらした感触を味わう。 「かわいい、ウタウ……冷たい水…」 トラは同じ言葉を何回も繰り返す。子守唄のようにあたたかで、安心して、ウタウはまた眠ってしまった。

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