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第5話
「トラ、歩けるからおろして」
「やだ」
「もう……」
社から出て、自分の足で歩いたのは2歩くらいしかない気がする。食事の場所に行くのも、脱衣所に運ばれるのも、庭の散歩も全てトラの腕の中だ。
「だってこの前おろしたとき、痛そうな顔したもん」
「…そんなことないよ」
トラの指摘に嘘で返す。どうもこの「地面」というものは厄介で、屋内だろうが屋外だろうが『冷たいやつお断り!』という温かさをひしひしと感じてしまうのだ。同じ不死者のトオルは普通に歩いているのに自分はと情けなくなる。ただ同じ温かさでも、トラの胸の中の温度は全く苦しくない。むしろ安心して、ずっとそこにいたくなってしまう。もう半月くらいこうやって過ごしている。
「ふふふ……かわいい、いいこ」
「いい子じゃないよ」
ぐりぐりと頭を胸元に擦りつける。ウタウは100年ずっと同じ場所にいたせいか、移動や外出が苦手だと気づいた。だから同じ場所にずっといられるのは精神的に安定していて、言葉ではおろしてなんて言うが本当はずっとトラの腕の中にいたいと思っている。だから自分はいい子ではない。
「今日は山に登ろう!」
「たいへんじゃない? 荷物になっちゃうのはいやだよ」
「全然大変じゃない! 振り落とさないようにゆっくり登るから心配しないでね」
トラがにこにこと笑いながら、広間を抜けて門を目指す。途中の廊下の長椅子にシシの膝枕で寝ているトオルがいた。眉根がきゅっと寄せられて苦しそうだ。
「山に登ってくる!」
「そうか」
シシは二人を気にすることなく、ただゆっくりとトオルの体を撫でていた。
「待って、トラ止まって。トオル、具合悪いの…?」
気になってシシに問いかけると、ぶすっとした顔で返される。
「つわりだ。気にするな。トオルは過眠もあるからあまり声をかけてやるなよ」
「かみん…?」
きょとんとトラが首をかしげる。
「寝すぎってことだ。昼でも夜でも眠くなるんだよ。だからお前がすぐにギャーギャー騒いで俺たちを起こしに来るのが俺は死ぬほど嫌なんだ」
「ごめんなさい…」
「……シシ…?」
喋っていたらトオルが起きてしまったらしい。弱々しい声で呼んだあと、細い手がつがいを探して空を切る。
「ほら、さっさと行け」
ぴゅん、とトラはその場を後にした。後ろからシシの優しい声が聞こえた。赤子をあやすような、低い歌声だった。
「シシの子守唄だね」
トラが微笑んだ。もうすぐ門を抜ける。
「トラとシシは…えっと…親戚なの?」
「うーん……仲間かなぁ。血のつながりはないんだ。でもね、獣人は血のつながりはそんなに大事じゃなくて、同じ仲間だったら一緒に暮らすんだよ」
「そう……」
あまり要領を得ない説明だったが、そういうものならそうなのだろう。トラはしっかりとした足取りで城の裏手にやる山を目指す。何度かトラに連れられて外出をしたが、城の周囲には人間も獣人も住んでいないようだ。どこかの街から荷物が届くこともあるが、それ以外で他者と接触することはない。
「トラ、食べられる実があるよ」
「どこ?」
「あそこ」
「本当だ! ありがとう!」
普通に立っているより視界が広いので、この前教えてもらった赤い木の実が見えた。ウタウは食べられないけれどトラとシシが好きなのだ。トラが一つもいで齧りつく。甘い香りがぶわりと広がって、なんだか背骨がぞくぞくする。
「おいしい!」
「よかった」
「ウタウも食べられたらいいのに…」
「香りで充分。いい匂いだよ。甘くて」
トラが頬をすり寄せる。
「これね、味はとってもすっぱいの! こんなに甘い匂いなのに」
「そうなの?」
くわ、とトラが大きく口を開くのでそのまま匂いを嗅いでみる。赤く濡れた牙が光る。
「……すっぱいのかな、わからない…甘くて、いい匂いだよ」
「ふふふ、そっか」
すりすり、と頬で頬を撫でてからまたトラは木の実を齧った。なんだろう、さっきから胸がざわざわする。
「トラ……」
不安になってぎゅっとしがみつくと、トラが立ち止まってくれた。
「ん? あれ……ドキドキしてるね、暑い? 寒い?」
「わかんない……でも大丈夫」
「のどかわいた?」
「そうかもしれない……」
「きれいな、飲める水がある川まで行こう。しっかりつかまっててね」
「うん……」
ぎゅっとトラにしがみついて、目を瞑った。自分の体がどうなっているのか意識を巡らせて探る。お腹が温かいのにぞくぞくする。暑いのに寒い。頭がぼんやりして思考がまとまらない。
「トラ……」
もっと抱きしめられたい。安心したい、苦しい―
「おなか……おなかが変……」
「えっ! おなか痛い!? 帰ろう!」
トラの焦燥が伝播してつむじ風が巻き起こる。木々がざわざわと揺れてびゅーびゅーと音がする。
「大丈夫だからね、家に戻ってトオルに診てもらおうね」
トオルも体調はよくないのに、と言える余裕がなかった。トラには恥ずかしくて言えないがこれがなんなのかウタウには分かっている。
―胎が疼いている、トラを孕むための準備ができている、そんな気がする。
トオルは起きて応接室でシシの毛づくろいをしていた。たてがみを専用の櫛で撫でるのが日課なのだ。
「トオル! ウタウがおなか痛いって!」
「痛いんじゃないでしょ」
「え…?」
ばたばたとノックもせずに入ってきた二人を見ると、トオルは手招きして近くの椅子にウタウを横たわらせた。
頬は上気し、呼吸が荒い。腹を隠すように丸まりたがる。
「胎が熟したね。環境に順応するのが早いほうでよかった」
「だいじょうぶなの!?」
「トオルに触るな!」
言い募るトラをシシが威嚇する。
「何回か契ってから誘発されるかと思ったけど、まだトラはなにもしてないよね?」
「うん……なにもしてない! 抱っこして寝たりすりすりはしてる! あとオレの匂いはつけてる」
「ウタウ、分かるでしょ」
「……うん、わかる…」
「初めてが発情でいいね。とっても気持ちいいよ」
おろおろとするトラを置いて、話がどんどん進む。
「トラ……とら……」
「ウタウ!」
自分の名前を呼んで震えるつがいを、トラはぎゅっと抱きあげた。
「トラ、分からないのか? ウタウは発情してる、お前を孕む準備ができてる」
「え……?」
すりすり、と胸元に額を擦りつけてウタウは喘いだ。
「う…うう…」
「ちょっと見せて」
「えっ」
「えっ!?」
「おい!」
トオルが、トラに抱かれたウタウの下衣を引きずり下ろす。真っ白な尻が丸出しになる。
「トオルなにするの!?」
「や、やめて…」
「触らないよ、見るだけ。トラ、暴れないように掴んでて」
丸い腹を押さえて、トオルが尻を覗きこむ。何をされているのか分からないがウタウは羞恥で死にそうになった。シシもトラも突然のトオルの奇行に呆然としている。
「……うん、いいよ、着せてあげて」
「ウタウ、ウタウ……」
すぐに元に戻して、トラが体をさする。
「トラ、ウタウは全部が初めてだから……ああ、トラも初めてか。あんまり強い力で扱うと回復に時間がかかっちゃうから優しくしてあげて」
「うん、うん」
「まずね、爪を引っ込めて、痛くないお薬をお尻に塗ってあげて、それから……」
ウタウはぼんやりと、これから自分がトラにされることを聞いていた。そんなことをされてしまうのか、ああ、なんて、
(……たのしみ……)
「あと、噛んでいいけど血が大量に失われると孕んでいられなくなるから、牙で皮膚を突き破ってはだめだよ。たぶんそこがいちばん大変だと思うから、がんばってね。あとは……」
「トオル、もういい。トラも本能で分かる。早く二人だけにしてやれ」
比較的まともに状況を判断できているシシがトオルを遮った。トラに瓶を渡す。
「薬はこれで足りる。存分に種付けしてこい」
「シシ、言い方があるでしょう。じゃあ、楽しんでね」
「ありがとう!」
びゅん、と風が巻き起こって、シシのたてがみがまたふわふわになった。
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