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第13話

「……なんか、入ってるね」 「なんかってなに!?」 「……なんだろう、分からないな……トラの性質をもってるものには間違いないと思うんだけど」 上体を起こしているのが辛くて、ウタウはずっとトラにもたれかかっている。トオルは珍しく一人で椅子に座っていた。シシが床に伏せている。ほとんど四足の獣のような姿勢で目を閉じて、たまに耳が動くくらいだ。 「もうちょっと近くにおいで。大丈夫、シシは噛まないから」 「うん……」 ゆっくりとトラがトオルの横に座る。トオルがウタウの体に手を伸ばして、そっと手首を掴んだ。 「……ううん、ちょっと確かに温かいね。普通の人間だと微熱くらいでそんなに辛くはないだろうけど、俺たちはこれだと暑いかな……辛いだろうね」 「びねつ? 大丈夫? どうしたらいい?」 「うーん……でもあんまり冷やすと中に入ってるものの性質が変わってしまいそうな気がする。ウタウのことを一番に考えるなら冷たい水を直接針とか使って入れてもいいけど……」 「……いい、大丈夫、俺はこのままでいい」 ウタウが身を起こそうとするのを、トラが撫でて抑える。 「トオル、これはトラそのものじゃないかもしれないってこと?」 「うん、俺も初めて見た。なんだか見当もつかない…とまでは言わないけど」 「どんなことが考えられるか、教えてほしい」 ウタウは少し膨れた腹に手を当てる。鼓動もない。ただ熱を持って、腹が重い。トオルはウタウの手をとったまま伝えた。 「……最初に考えられるのは、このまま時間がたてばトラそのものになる命。いまは何らかの理由で形が定まっていないけど、長い時を経てトラになるかもしれない」 「オレが足りないからウタウはつらいの?」 「違うよ、辛くない。暑いだけ。今はトオルの話を聞こう」 「うー……」 泣きそうになるトラにウタウは優しく頭を擦りつけた。 「第二は、命ではなくてただトラの精液が消化不良みたいにウタウの体に停滞してしまってる可能性。不死者は獣人そのものを宿す性質があるけどウタウとトラはその関係性に今は該当しないから、行き場がなくて、こごってしまっているのかもしれない」 「オレたちの便秘みたいなもの……?」 「そうだね、トラ、良い表現」 「やめてよ……! 他には?」 けらけら笑うトオルを睨む。 「そうだねえ、想像妊娠かな」 「あ……」 「なにそれ?」 もしかしたらそうかもしれないと、ウタウは思っていた。孕まなきゃいけないのに、それが嫌で、永遠が嫌で、でも体やトラが望むなら孕まなければならないのだと常々不安だった。 「でもこれは比較的すぐに、そうかそうじゃないか分かるんだ」 「え?」 「人間の知識だけど、想像妊娠ですよって説明されて納得できるとそれは解消されるらしいから」 「よくわかんない……」 ぎゅっと、トラはウタウを抱きしめた。 「でも、一番最初の可能性が有力なんじゃないかな。そのうちトラになるもの。いまは形がないからウタウも自覚がないんだと思う。俺は長いことシシを孕んでいたから最初のことはあんまり覚えていないけど」 ぐる、ぐああ、とシシが声を上げる。自分の名前が出てきたからだろう。トオルは椅子を降りて床に膝をつき、ゆっくりとシシの体を撫でた。 「何度もシシが成熟した雄になって、交わって孕むたびに『お腹の中にシシが来た』って思うから、たぶんその自覚が訪れるまではトラにならないんだと思うよ」 ぐるぐるとシシが満足そうな声を出す。 「……じゃあ、そうなるまでウタウはお水も飲めないまま?」 「不死者は死なないからね、多少しんどくてもまあ悪阻の一種だと思えば、そんなに大変なことでもないよ」 「トオルは慣れてるからそういうこと、できるかもしれないけど、ウタウは初めてなんだよ……!」 珍しく言い募るトラに、トオルは目を丸くする。 「おや、言うようになったね」 「……ごめんなさい」 微笑みながら、トオルはシシの首にぎゅっとしがみついた。 「トラはちゃんと獣の男になったみたいだよ。よかったね、シシ。心配だったからね」 シシは返事をしなかった。 *** 普通に歩いて大丈夫だよと言っても、トラはウタウを横向きに抱きかかえてゆっくりと歩いた。赤子のように仰向けの状態で目線が合う姿勢で抱かれるのは気恥ずかしい。いつもみたいに荷物みたいに持ってくれたらいいと思う。けれど今の自分の体調をトラが心配しないはずもない。何度か姿勢を変えようとしたけれど、トラはその度にひっくり返してそのまま部屋を目指す。 「……トラ、散歩したい」 「中庭にする?」 「うん」 正直なところ、部屋に戻って二人きりでいるのは気が重い。大好きな獣なのに一緒にいると疲れさせてしまうと思うと、ちょっとでも気を紛らわせたいと考えてしまう。 (こういうの、逃避っていうんだ……分かってる) 「涼しい……」 あまり手入れされていない樹が数本生えているだけの庭だ。この城に住んでいるのは四人だけなので、必然的に庭の掃除や剪定はトラの役目になってしまうのだが、トラは細かいことも大きく俯瞰することも得意ではないので、結局木が枯れない程度の世話しかされない。それでもウタウはこの中庭が好きだった。二人だけで寂しい庭にいると、まるで自分たちが特別な結びつきの元で巡り合った、運命の生き物のように思えるから。 「よかった、ちょっと気分がよさそうになった」 「ありがとう」 トラが丸太でできた簡素な椅子に腰かける。足を上に伸ばすと、後転してしまいそうなウタウの頭をすぐに押さえてくれる。 「わっ、どうしたの? 座ってて、わ、」 トラの膝の上で、仰向けに丸くなり膝を抱える。太腿に、少しだけ丸い自分の腹の感覚が伝わってくる。前はトラの精液が腹に入っていても気にならなかったのに。急に、唐突に、なんだって言うのだろう。 「ウタウ……?」 「もしこれが、このままトラになっちゃう命なんだとしたら、永遠が始まるってことだ」 「……うん、そうだね」 腕で強く足を体に引きつける。ぺしゃんこに戻ればいいのに。 「嬉しい、けど、全然嬉しくなくて寂しいよ。俺はダメだ、トラの望んでたことなのに」 「ウタウ、顔を見せて」 両脚をゆっくりと伸ばして見上げると、今にも泣き出しそうなトラがいる。 「さよならが始まっちゃうのは、オレもさみしい」 「うん……」 「だけど、さみしいウタウを見ててなにもできないのは嫌だ。ウタウ、起きて……」 抱き起こされて、トラの太腿に膝をついて顔を覗きこむ形になる。 「オレたちだけの歌を作ろう、ウタウ」 二つの生き物を特別にするのは、運命でも絆でも愛でもなく、歌だと獣たちは言うのだ。 「もしこれからウタウがずっと、とても長い時間を、オレと一緒に生きてくれるなら……さみしくないように、思い出して笑えるように、二人だけの歌を作ろう」 「……うん、うん……」 このまま大好きな獣を自分に縛りつけて閉じ込めてしまうのは、足が引きちぎれるよりずっと辛くて痛いことだけど、それでもその痛みをトラと一緒に歌が背負ってくれる。 「トオルから、ウタウの名前の由来を聞いたんだ」 「……名前? 不死者の子どもはこの名前なんでしょ?」 トラは笑った。 「『歌』を『歌う』生き物の子どもだから、『ウタウ』。歌を歌うのが上手になりますように、つがいと一緒に大事な歌をつむいで、奏でていけますように、『ウタウ』」 「……そんなに呼ばないで、恥ずかしい」 「オレにとってウタウはウタウだけ。大事な大事なオレのウタウ。一緒に、作ろうね」 「うん!」 全身でトラに抱きつくと、トラの喉が鳴る音を全身で感じられてウタウは笑った。この腹の中のものがなんだったとしても、きっと二人のこれからの行く道の中で、一つの大事な思い出になるんだろうなと感じながら。

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