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不毛な三角形は、こうして混迷する。

週のはじめから元気に鳴き始めた蝉の声に、いつもなら嫌になるくらい暑さを感じるところが、身体の内側からくる怖気はそれをあっけなく吹き飛ばす。 どれだけ平気な振りが出来ても学校は嫌いだ。あまりに悪意がたくさんあり過ぎるから、弱い自分は簡単に打ち負かされ壊れてしまう。安全な場所へと心が急くのは奈落噺斑の本能で。 「ああっ、やっぱり、視える」 視界の端にちらちら黒く写る、それらの存在は内側の陰陽のバランスが崩れる予兆だと、幼い頃から兄達には口が酸っぱくなるほど言い聞かされてきたので焦りは加速するばかり。情けない話だが僕はアレから1年も経つのに、前回の苦い経験をまだ乗り越えてはいないのだ。 だめだ、だめだ・・・、出てくるな、僕はそれを望まない。 コレを止めるには誰かの助けがいる。誰が一番近い?ぐるぐるする頭で考える。 いつも留守がちの両親は、まず却下。 成人している3人の兄たちは、それぞれ仕事があって今すぐというには無理がある。(・・・でも僕が連絡したら飛んで来るだろうけど・・・)いつも心配ばかりかけている手前、普通にいまは学校くらいは通えているというポーズを無くしたくない。と、なると、僕のすぐうえ、大学生で時間の自由がききやすく、尚且つ現在、夏季休暇中の奈落噺家の4番目の子供、長女の阿沙ならどうかというと。婚約者の家に花嫁修行に行っているので、呼び出すのはこちらのお家事情を知らせる事にも繋がるので、両親は良い顔はしないだろう。 では残された選択肢は・・・一番、誰にも迷惑がかかりそうになく・・・おまけに僕の不調を両親や兄弟に内緒にしてくれる相手は・・・、 竹垣が作る影の間を過ぎて、古風なドアベルがさりげなく主張する入り口の、レトロな引き戸に手をかけて、ぱっとその中に飛び込む。 「おかえり、斑」 「・・・た、ただいま?」 うん。やっぱり、此処しかないか。 当然のように掛けられる言葉が嬉しい。嬉しいのだけれど、それを素直に認められるかといえば、また別なわけで。大人な彼には、そんな僕の子供っぽい葛藤はお見通しらしく、馴染んだ重低音の美声がくすりと笑うので、顔がじわじわ熱くなる。 「なんでいつも、そこで照れるのかなぁ。かわいいんだけど」 身体の中心に居座る冷たい塊を慰撫する声。 「そろそろ来るだろうと思ってたよ」 なんか、色々悟られているように思えて怖すぎる。僕の周りは兄さんたちを筆頭に、黄さんも「普通のヒト」の枠に収まらない。だから側が落ち着くのかな?でも会うたびに胸の中がほっこりするのは、黄さんが僕を甘やかすのが上手すぎるからだね。 「ちょっと顔色が悪いなぁ。無理したんだろ?」 外は暑いのに、平屋はたっぷりの木々に囲まれているせいか、冷えた空気が絶えず通り抜ける。 すっきりと広々とした空間は空調を弄らなくても自然に涼しいので、冷房が苦手なお客さんには好評だ。僕もまた、その心地よい木の香りにきゅんきゅん癒されるひとり。 「あれー、まーくん!どうした、どうした。おねーさんとこ、おいで!」 カウンター三人仲良く並んでランチを楽しんでいた常連さんが一斉に喜色を浮かべ、ぱたぱた手招きする。このお姉さま方も黄さんのお店ラブが強い。先日も飛び込みのご新規さんが窓を閉めて冷房をつけろと騒いで、それをあっさり撃退していた。美女が冷静に自分よりはるかに年長者を諌め、追い込んでいく姿に、黄さんがぼそりと「猫と鼠」だって呟いていたけど。まぁ、僕も実はそれは思った。 「飯、作ってやるから、ちょっと待ってろ」 「あれー?マスターさっき材料ないから飯はでないって、おっしゃってませんでしたぁ?」 「言ってた言ってた。ミートパイとコーヒーで我慢しろって言ってたわねぇ」 「幼気な中学生を真剣に餌付けですか。ショタなんですね」 にやにや笑って容赦なく突っ込む美女たちに、眉をしかめながら「斑はいいんだよ、斑は。ってかショタってなんだよ。俺の未来の嫁に失礼な。それに甘やかしてなにが悪い」ランチ後のテーブル席を片付けながらブツブツ呟く黄さん。 何を言っているんだろ?と見つめていると、沢山の使用済みの皿とコップを手早く、樫をざっくり切断して磨いただけの楕円のお盆に積み上げ、片手でそれを軽々と持ち上げて僕に近づいてきた。 「おい、おまえら食い終わったんだから、早く帰れよ」 僕の顔をじっと見てから、空いた手で髪の毛をかき混ぜられる。その目がなんだか、すっごく優しく感じてしまって、恥ずかしくて、ちょっぴり涙目になると、ふふふと含み笑い。黄さん、や、ヤラシイですっ! 「うわッ、早くふたりだけになりたいとか、何する気です?」 「わかってんなら、帰んなさい」 黄さんはきっぱり、男らしく下心(?)を認めて、さっさっとキッチンに消えていった。 ちなみに、すぐに戻ってきたけど。その大きな手にはロンググラスがあって、渡されたそれを素直に受け取ってプクプクと連続で水泡が出来るのを愉しみつつ、ごっくん。いつもの僕の好きな炭酸水。美味しい。 「ありがとう黄さん。僕、これ好き」 まだ少しグリーン色したレモンが浮かべられているのが、オシャレだ。裏に大きなレモンの木があるから黄さんのデザートはレモンを使ったものが多いのかな? 「炭酸水だけか?斑は俺も大好きだろ?」 甘い笑顔と意味深に首の後ろを上から下へと撫でる、少しカサついた大きな手に、口に含んだ炭酸水を噴き出すところだった。 不意打ちに弱い僕が涙目で睨んでも、愉しそうに笑うだけ。 「これだから、ムッツリは」 お姉さま方は揃って呆れ、黄さんの腕をパシッと叩いた。

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