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不毛な三角形は、こうして混迷する4。
きょとりと瞬きした要くん曰く、「普通、この僕と斑を比べないよ?どちらがより最上かは歴然だし?」・・・らしい。瞬間、超絶に高まった黄さんの冷気だけれど、要くんには気のせいかな?レベルで、おまけに持ち前の鉄壁防御が完璧に機能してくれたお陰か、見事災厄を跳ね除けている。奇跡だ。代わりに誘惑をたっぷり込めた、かわいい流し目を送って見せたので僕はなぜか鉛を飲み込んだような気持ちになった。
ムカムカもやもや。
不意のそれが不思議で首を少し傾げながら、ゆっくりとその理由を考え、たどり着いたのは・・・黄さんに対して抱いていた"彼は自分のモノ"感覚に近く。んん?と、大慌てで、その少し先まで考えを推し進めてみれば、結論・・・そのものズバリ独占欲に行き当たってしまった。気分としては「え?え?え?なんておこがましいこと思っちゃってんの、僕は!」である。自覚すればするほどに襲ってくる羞恥。僕如きが恐れ多いのと申し訳ないのとで、ぶわりと顔を熱くさせ、それでも要くんの誘惑の行方が気になり過ぎて、彼の反応をチラリ横目で伺う。「あれ?」・・・黄さんがいない。黄さーん?
ドンっ、
「出来たぞ。食ったら早く帰れ」
「何それ!早く帰れとか本気じゃないのは知ってるけど、この僕に万が一にも誤解されたらイヤなら言っちゃだめだよ。ってか注文と違うしぃ、僕が注文したのはハンバーグとポテトサラダ!忘れないで!なんで毎回カレーを出すのさ!カレーも好きだけど!」
「好きならいいだろ。一応好物出してんだから」
怒濤の喋りに割り込む気がないのか、ぼそりと黄さんが呟いたが、それに気づかずにいられるほどに要くんの声量は大きすぎた。他のお客さんが迷惑そうに苦笑している。
「好きな子ほどいじめたい黄さんの性格は十分わかっているつもりだし、そんな照れ屋なところも実は好きなので、許すぅ!」
スプーンをしっかり握りしめて叫ぶ姿。どこまでも自分を肯定できる才能を羨ましいと思うのは、ひょっとして要くんのこういうところとかに清春兄さんは惹かれるのかも、と考えてしまうからで。
「照れ屋じゃねーし、許して貰わなくていいっての」
・・・黄さんには違うらしい。イラっとしたのか湯気の立つカレーを乗せた手作りの木製トレイを下げようと手を伸ばし、それを察した要くんは素早く腰を上げ、くい気味で貴重な食料を手元に確保する。
「気を引きたいからって注文をわざと間違えてるとか、かわいいよねぇー。知ってるんだよ。黄さん、本当は手作りカレーに超自信があるんでしょ?毎回カレーの味が違うのは、飽きさせない為とか、ばっちりわかってるよ!もぉ、僕のこと好きすぎぃー芸が細かいね!」
え、違いますけど。
やたらとハートマークを顔の周りで乱舞させる彼には悪いが、それは要くん用にストックされていた市販のレトルトカレーです。続けて真実を発表するとカウンターの内側でつい先程、数あるパッケージから黄さんがランダムに選び、急速加熱の裏技を駆使し温めて中身を絞り出したものです・・・って説明してあげたい。幸せそうな顔でカレーを食べる要くんに、なぜか切実に。
「美味しい!これはもうぉ愛が調味料だね!」
・・・絶対に違います。黄さん、目が怖いからね。隠す、隠す。
空のパウチはダストボックスに捨てられているだろうと、どのレトルトカレーかが気になって確認すると先週末、一緒に食材の買い出しに行った時に購入していた、お買得キーマカレーだった。黄さんは絶対に市販のものを僕の口には入れさせないから、どんな味なのか知らないけど。毎回提供される要くんが「美味しい美味しい」と絶賛するのでレトルトの味には少し興味があって、食べてみたいと口に出してみたこともあるけれど叶えられたことは一度もない。珍しいおねだりに嬉々とした黄さんがその日のうちにスパイスを買い集め「俺のカレーのほうが絶品だ」とかドヤ顔で作ってくれたけどね。
その時はテーブルの上にレトルトパウチの銀色と黄さんお手製のスパイスの良い匂いのするカレーが並び、無言で選ぶように促されたが、興味があっても本当に食べたいのかと問われたれたら別なので、もちろん黄さんのカレーを食べた。「俺の愛が調味料だからな」と、にっこり満足そうに笑う黄さんに、レトルトのカレーへの興味が死滅した。
「ねえ、オクラって夏野菜だけど、カレーには馴染まないよね?・・・ネバネバとカレーだよ?口の中で混じってぐちゃぐちゃーぁ」
「食べられないのか?」
「好きだよ!でも、なんでカレーの上に置いちゃうの!台無しだよ!」
通常はカレー注文のお客様には新鮮野菜を使った山盛りサラダが付くのだけれど、それさえも省略することにしたのか、茹で卵とオクラ2個がルーのうえに添えられているだけの手抜きぶりに文句があるのかと伺えば、問題はそこではないらしい。オクラを別盛りにして欲しいという要求のようで。
「好きなら文句ないよな。黙って食え。おまえさ、そういうとこ斑を見習った方がいいよ。人間レベルで完全に負けてるからさ」
黄さんにはあっさりが無視された。
そんなやりとりの傍観者をいつまでもしている訳にもいかず、黄さんに小さく指先を振って裏口から帰ってもいいかと合図を送る。
・・・えぇー、もう少し待て?
ぷくりと頬を膨らませて不満を教えるように首を傾げると、要くんのおしゃべりで無表情に固定されていた黄さんの表情がふんわり緩む。新たな入店者を知らせる音が耳に入っても甘い微笑から目を外せない。
「かーなーめーぇ、飯終わったか?家に送って行くから早くしろ」
彼の一声で、ふっと空気が変わる。本能レベルでの危機感、ではなくて正反対の安心感で。心地いいと感じるのは身内故か?ちなみに一般的に清春兄さんを表す言葉でよく使われるのは『息ができないほどの存在感』だ。悪友たちには『空気が薄くなるから近づくな』って文句を言われたりするらしい。こっそり落ち込んで弟に慰めを求めて来るような、かわいい兄の姿は弟特権で見せてくれるのかもと、今まで思っていたのだけれど、実は違うのかも。恋人さんとか要くんにこそ、そんな弱った姿を沢山見せているのかな?
恋人とただの弟でしかない僕。なんだか、ちょっと泣きそうな距離感を感じる。
要くんに近づく巨体とも言っていいような長身。ゆったりとした流れるように歩く姿は訓練された動きのようにも見え、綺麗で自信に溢れていて。雄の魅力むんむんで。弟であるのに僕はぽわんと見惚れてしまう。今のように何を考えているのかわからない無表情に恐れを感じる人もいるらしいけど、大半の男女は一瞬で魅了されてしまうのだとか。(歴代の彼氏彼女談)
その、やたらと無駄にカッコいい清春兄さんの本日の服装は白のシンプルなシャツに、吸湿速乾の薄いカラシ色の上下サマースーツ。首に巻かれるのは小粋な小豆色したチェックのネクタイ。あ、あれ、僕が去年父の日にブレゼントしたやつだ。(父の日に最たる理由はないよ!)
「要たんよ、三嶋とのお泊まりデート中の途中に呼び出して付き合わせているんだから、急いでくんない?」
「だから車の中で清春とイチャつけるように食事してるんでしょ!」
「いや、だからの意味がわからんよ、要たん。研修先から家に送って欲しいって話で連絡してきたんだろ?」
「ねぇねぇ週末だよ?僕もお泊まりデートについて行く」
「いやいや。一応これ、お仕事込みの旅行だから。普通は遠慮するところだよ。いい子だから少しは空気読みなさい」
「じゃあなんで、あの子はよくて僕はダメなのさ」
スプーンを振り回して憤慨して見せる要くん。その反応をカウンターに肘をついてニヤニヤ笑って眺める清春兄さん。意地が悪そうでいて、すごく楽しそうだ。
「三嶋は俺の恋人。要たんは幼馴染。お留守番しててくんない?」
「でも僕の特別は清春だよ。だから清春の特別も僕。つまり僕も行く。これ決定ね」
「なんだ。要たんは俺が恋人より要たんのことが好きだと思ってんの?」
ワザとらしい大きなため息に、要くんがらしくなく真っ赤になって沈黙する。
「思ってるんじゃなくて、知ってるの!」
「じゃあ、それは秘密だ」
クスクス笑って清春兄さんは唇の前に人差し指を立てた。とても艶っぽくてどきっとする仕草に兄の皮を被った別人かもと一瞬疑う。僕にとって奈落噺家の長男はどこまでも過保護で留守がちな親に代わってなんでも相談できる存在で。僕と一緒のときはこんな生々しい男の顔などちらりとも覗かせたことがない。頼りになる兄の姿。それしか僕は知らない。知らなくてよかったのに。
「清春は・・・僕を誰よりも大事なんだって言ったよね?」
「はぁ、仕方ないねぇ。三嶋が拗ねるから困るんだが、要たんのお願いは断れないか」
「やった!」
要くんのご機嫌な声に清春兄さんが笑う。
兄さんがふたりの内どちらを選ぶのかわからないけど。僕が清春兄さんのお荷物になっていることが気になってきた。清春兄さんの今後の幸せのために兄離れを早く しなくてはいけないことに途方に暮れていると、カウンターの内側から出てきた黄さんがその大きな身体でふたりの姿を隠してくれた。(ちなみに兄離れに関する他者からの要求は数年おきに繰り返される事案だ)
「“大事”ねぇ。清春は拗らせてるからなぁ」
そっと重ねられた大きな手に目を閉じ、ふたりが愉しそうに立ち上がって、そのまま出て行くのを耳で追っていると扉が開閉するのと同時に黄さんに抱き込まれた。温かな腕の中から離れようと踠いて腕を伸ばして胸を叩く。恨みたくないのに、黄さんが引き止めるから僕は兄さんのオスとしての姿をまた見ることになってしまった。
「僕は、大切にしたい人が少なくて、」
「うん」
「清春兄さんがそうで、」
「うん」
「僕は、兄さんから離れられる?」
「うん」
優しい諾の返事に叩く手を止めて、身体の力をだらりと抜いて安定感抜群の黄さんにもたれ掛かった。
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