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目隠し01。

 清春兄さんたちがイチャイチャしながら去るのを見送っても、すぐには黄さんの腕の中から抜けださなかった。・・・むしょうに寂しい気分になったからだ。そんな気持ちがはっきり出ているであろう情けない顔を隠すために黄さんの、やたらといい香りがする胸元にピタリと押しつける。でも、それが気に入らない相手によって、ちょいちょいと硬い指先で突かれ、あげさせられた。そして渋々であるところに間を置くことなく、ちゅっと額にやさしく唇が触れる。 「なんでそんな泣きそうな、かわいい顔してるんだ?」 「・・・あの、考えてみたのだけど、僕みたいなお荷物がいるから、いままで清春兄さんは真剣なお付き合いが出来なかったんだよね?」  ごちゃごちゃの頭の中を少しでも纏めたい。その意識が優ってか、自然と口から言葉が溢れ落ちていた。 「・・・真剣なお付き合い?あいつが?」  黄さんのきれいな切れ長の目が僅かに丸くなる。僕、そこまで変なこと言った? 「清春兄さんは、要くんたちと、・・・複数とお付き合いしているっぽいよね」 「うーん?そこは直接本人に確かめたわけじゃないからな、俺の口からはわからんとしか言えん。でも見たまんまを言えばそうなるかな?あいつとしては不本意だろうけど客観的に見ればだらしないお付き合いは否定できないよね」  後半は小さく何やら黄さんがボソリと呟やく。 「清春がふたりとお付き合いしているのが、今更気になるのか?」 「気になるというか・・・いつかは自立するのだから、べったりじゃダメなんですよね?でも僕には大切なひとが少ないので、兄離れしなきゃいけないのが嫌なんだ、と思います」 「‘‘嫌なんだと思います?”かわいらしい表現だな、おい。でもな斑。兄離れは本当に歓迎する。でも嫌ならする必要はないし、まずは清春と話し合え。勝手に決めつけて行動した場合のリスクは怖いぞ」 「リスク、ですか?」 「そ、リスク。何気ない行動が相手を悪い方向に刺激するって話だね。なぁなぁ、それよりさ、その斑の大切なひとに俺も入ってる?」 「もちろんです」 「もちろんなんだ、かわいいなぁ。うれしいよ」  やたらと愉しそうな顔をした黄さんの唇が、今度はお口にふにぃっと落ちてきて、擦り合わさっては何度もぷちゅりとかわいい音を立てる。黄さんとは友達のような関係だとおこがましくも思っている僕は、触れた場所からつるりと廻りはじめた熱にほわほわと浮き足立つ。首を伸ばすように真上から落とされる唇を何度も受け入れ。いまだご来店中の・・・数組のお客さまの存在を完全にド忘れして、望まれるまま従順に何度も舌を招き入れるのだった。  あれ?僕・・・ますます黄さんに躾けられてない??  予定よりも遅くなった帰宅はもちろんひとり、ではなくて。やっぱり忘れずに迎えに来てくれた過保護な室生兄さんと一緒。申し訳ないという気持ちを今回も伝えれば、気にしなくていいと世間一般では冷たい美貌との評判の顔に、それはそれは甘ったるい微笑みを浮かべ、頭を撫で撫で頬をスリスリされる。完全なお兄ちゃん子である僕は、それだけで嬉しくなるのだけれど。でも僕たちの関係は要くんや兄さんのお友達たち視点からすると、ちょっと行き過ぎ感があるらしく、微妙に引かれつつも厳重注意を受けてからはなるべく、べたべた甘えるのを控えるように努力している。(これでもね!)  でも僕が引くと兄さんがその隙間をさりげに詰めるので努力が実っているかは微妙なところだ。兄離れしたくない言い訳にしか聞こえないかもしれないけれど、僕の努力が実を結ぶのは兄さんが僕の独り立ちを認め、その優しい手を完全に離すことに決めてからのような気がする。だから目に見えない結果に僕が(、 、)彼らを解放するつもりがないのだと声高に非難したひともいた。例えば・・・要くんとか。呼び出された時は知らなかったけどあれは清春兄さんの恋人のひとりとしての要求だったのかと今では理解している。  兄離れ計画の頓挫。今更否定は出来ないから、しない。実際に距離を置かれて困るのは自分だけで、兄さん側にはないわけで。  それは、想像するだけで背中にぞわぞわ怖気が走るほどに僕の存在( 、 、 、 、)を揺らしたから。  母屋側の玄関に近いところで車から降りるように促す室生兄さんの、低く響く声は文句なく優しい。それは兄さんに夢中なご友人たち曰く、どんな偏屈な人でもふらふらと従ってしまう、魔力的なものを感じさせるやつで。ちなみに弟歴の長い僕は耐性があるので大丈夫。・・・たまにはグラリと来る時はあるけれど。  奈落噺は表向き不動産業を中心にして事業を拡大してきた地方豪族で、現在はこの室生兄さんが年に数度しか地元に戻らない両親(社長)に代わって手腕を発揮している。業界の内外を問わずにその美貌と頭脳は昔から有名で意図した訳でもないのに、狂信者が集まって周りを囲むので大変だと清春兄さんがにやにやしていた。ちなみに。印象深いのは、そう言われた瞬間の室生兄さんの清春兄さんに向けた絶対零度の視線だ。  そんなスペシャルな室生兄さんだけど、放蕩者の父(清春兄さんが皮肉げに言う)が社長職のビックネームに未練があるからなのか、まだ代替わりはしていない。しかし、兄さんがとてもとても優秀な経営者であることは社長代理になってから益々、順調に業績が伸び続けれていることで証明されている。本家からの覚えがめでたいところとかは、両親には誇らしくも重大な部分らしいけど、決して両親の功績ではないし、世間一般的にもそうは思われていないので、おかしな話だ。 「難しい顔をして、どうしたのかな?黄さんから強引に絡まれて困っているのなら話をつけてあげる」 「ち、違うもん」  あっ、子供っぽくなった。室生兄さんがやたらと嬉しそうにするから。恥ずかしい。いつも忙しい兄さんが、これからまた仕事に戻るのだ思って自分本位にも別れを寂しいと感じて行動を躊躇っていただけですよ!ふっと笑った兄さんの手が運転席から伸びてきて頭を撫でられる。 「まーくん、先に家に入っておいで。今日は一緒にずっといられるよ」  お得意の僕の心を簡単に読む兄さん。  嬉しい。嬉しいけど、たっぷりの負い目が疼いて返事に詰まり、口をパクパク開閉する。  室生兄さんは院生時代に出会った恋人の綾子さんと学生結婚して、新居は奈落噺の敷地内にある離れ、と簡単に言ってしまうには烏滸がましいほどの広々とした別棟をリフォームして生活基盤とした。今年で3歳になる双子の甥っ子と姪っ子たちと義理の姉の綾子さんたちの行動範囲は基本的に別棟で終了しているので母屋中心の僕との交流は少ない。少ないのだがここで問題なのが室生兄さんで、僕の負い目へと繋がる。 「僕、兄さんに相談があるんだ。夕食だけ一緒にできたら嬉しい。えっと、綾子さんとか 子供たちも室生兄さんと過ごしたいだろうし」 「うーん。でも兄さんはまーくんをひとりにしたくないなぁ。それに、あの子たちには母親が付いているから大丈夫だと思うよ?」  兄さんはお付き合い当初から弟優先は当然で、嬉々として面倒をみては彼女さんは二の次。綾子さんはそれでも結婚すれば状況は変わるかと思っていたらしいのだが、生憎とそうはならず、色々思うところが積っていったらしい。結婚式直後でも新しい家族よりも生活の中心はどこまでいっても僕で固定だからね。  それでも新婚さんが新居に引っ越ししてきた当初は綾子さんも含めて、兄さんたちと母屋の食堂で時間が合えば一緒に食事が出来て愉しかった。一月もする間も無く妊婦だった綾子さんが病院で元気な双子を生んで、奈落噺に戻って生活を再開させるのと同時に、食卓での話題が幼児教育に変わった時の兄さんの反応を見た時から、彼女の視線が厳しくなったように思う。  辛うじて怒鳴ることはしなかったけれど、大事な我が子に対して無関心すぎると、怒り心頭で立ち去るのを見送るだけの隣の温もりに、そわそわしていたら、ため息と一緒に伸びてきた手に頭をさらりと撫でられる。望まれるままに見上げれば、ふわりと額が合わさってきて切れ長の目に浮かんだ感情を覗き込むことになった。  悲しいかな僕にわかったのは兄さんには見えていることが、僕にはまったく見えていないってことだけ。  室生兄さんの唇が弧を描き、それはゆっくりと近づいて重なる。まるで、それが当然であるかのように。 「かわいい、兄さんのまーくん。彼女は上昇志向だが奈落噺を理解できていないんだよ。普通の人( 、 、 、 、)だからね」  嘲るようなその囁きは、むちゅりむちゅりという音に頭がぽわんとなっているところにされたので、僕の中をあっさり素通りしたのだった。  それからの彼女は即断即決の人だったらしく、別棟に引きこもるようになった。というか食事やら生活全般を全て別棟だけで済ませるようになっただけで、外出していないわけではない。むしろ幼児教育の下調べとかで出歩くことが増えた。そもそも別棟にはお風呂やキッチンなども完備しているので、わざわざ母屋に来る必要がない。手が回らなければ内線でハウスキーパー軍団さんたちを呼び出せば、簡単な要望から難しいものまで、ベビーシッターや掃除、洗濯、食事、なんでもしてくれる有能な人たちが手助けしてくれるので、子供たちの快適生活は保証されていると気づいたらしい。  そういった訳であっさりと僕の生活から兄家族が退場していったので、母屋でひとりで寂しくしている、とはならなくて。朝食と夕食は清春兄さんが出張で留守の時は室生兄さんが必ず側にいてくれる。だから、それほど僕の生活にも変化はなかった。  うん?どうして変化( 、 、)しないの、とか思った?室生兄さんには綾子さんたち家族との生活があるはずで、おかしいよって。で、予定調和のように、後日こうなった。 「もしかしてキミは子供たちが、まだ赤ちゃんだから父親がそばに居なくても認識できないとでも考えているのかな?室生さんはね、私たちの為にもっと時間を作れるのよ。本当ならね。でもキミのためにできないの。何度も何度もキミが全部を欲しがるから。あの子たちの大事な父親に甘えっぱなしはやめて、独占せずに遠慮したらどうなの?」  僕はいつも不在に近い両親に代わって育ててくれた上ふたりの兄たちとの生活が普通だったから、厳しく糾弾されるまで自分の無神経さに気づいていなかった。それに身内同然のハウスキーパーさんの誰も指摘してくれなかったし。いや、ただ自分が鈍すぎたからって話なんだけど。  あの日、学校帰りを待ち伏せするように現れた綾子さんに憎しみを込めて睨まれ、どれだけ室生兄さんが僕を優先させ過ぎているか責められて。綾子さんたちから奪っていたものの多さに真っ青になった。  中学生になったばかりの僕でも、次にしなければいけないことはわかっている。理性は正しい行動を望み、でもまだまだ子供の部分は全力で拒む。でも僕は本当に大切な人である兄さんの幸せのために選ばなくてはならない、今度こそ。 「もうわからないフリをするのは許さない。無知が大目に見て貰えるのは小学校までよ。卒業したんだからすっぱりと彼のことは諦めて貰う」  室生さんは私たち家族のものなんだからと、鼻息荒く言い捨てて颯爽と立ち去る綾子さんの意思の強さを表す真っ直ぐな背中。それが少し歪びつに滲む。瞬きを繰り返す目から、何かが溢れたような気もするけれど、それを無視してガクガクする足に力を込め一歩を踏み出す。下校ピーク時の修羅場とあってか好奇心に満ちた視線は多くて、僕はそこから負け犬よろしく逃げ出したのだった。  この時は、どっぷりと胸のど真ん中に植え込まれた喪失感に浸って震えていた僕と、綾子さんも想定外だったのは、聡明で美しい僕の心から敬愛する兄さんだけが、僕の独り立ちを認めないというか、全力拒否であるということで。  つまりは、その日の夕方。決別を決めてからのソワソワと落ち着きのない僕の端末には、室生兄さんからいつものように、『仕事が終わったよ』と連絡が入った。清春兄さんは帰れない時だけ連絡をしてくるタイプなので、今日はふたりと一緒に夕飯を頂けるのかもしれないと、ちょっぴりテンションが上がる。それに室生兄さんとの深刻なお話には、緩衝剤的な役割で清春兄さんがいてくれた方がいいような気もするからね。  住み込みの古参ハウスキーパーさん、柴田ご夫婦に兄さんたちの夕食の確認と、ちょっとしたお手伝いをしてから数分後、我慢できずに再度、端末を取り出して確認すると室生兄さんが、『今から、かわいい斑くんのところに帰ります』だって。  兄さんたちの過保護が収まらないのは、僕が未だに家でひとりでいるのを怖がっていると思っているからなのか。苦手だけど、怖くはない。概ねは。  三割増でドキドキする心臓が痛い。頭の中ではバッチリと室生兄さんを説得できた気でいたけれど、時間が経つにつれて、兄さんみたいになれない何処まで行っても不出来な弟が説得なんかできるものかと弱気な自分がひょっこり顔を出す。  何度も何度も落ち着きなく端末を眺めては下ろすを繰り返す。心配性の室生兄さんはきっちりと僕が奈落噺の家に帰っていることは確認済みだろうから、話し合いを取り止めにして逃げ出しても、捕まるのがオチだ。兄さんと顔を合わせ問い詰められたら僕はこの胸の中に凝った全てを話さずにはいられない。 「綾子さんと約束したんだから。兄さんに甘えるのはこれで終わり」  ぶつぶつ呟き、通学カバンから教科書とノートを取り出して明日の授業の予習を始めても全く頭の中に入ってこないので、はぁとため息を吐き出して、きっぱり諦めることにする。珍しく自分の部屋でなく食堂に居座っていたために、時折通り過ぎる柴田さんたちには不思議な顔をされたので、もたもたと外部防犯モニター前に移動。陣取ることにした。清春兄さん特注のひとり掛けにしては少し大きめのクッション付きの椅子に三角座りして注視すること数十分。分割された画面に低速で見慣れた車が映り込んだので、僕は慌てて厨房に走り、兄さんの帰宅を知らせた。 「斑くん。さっきからどうされました落ち着きのない。室生さんのご帰宅時間は予定通りですよ?」  軽く窘められた。と言うか、なんだろう生暖かい視線で見られているように思う。 「お食事はいつものように用意だけでよろしいですね?」 「う、うん。あとは僕に任せてください」  今この家でどれだけ使用人がいるのか知らないけど。柴田夫妻を覗いては原則17時までが就業時間なので、兄弟以外は母屋で姿を見る事はない。  配膳とかは自分たちで出来るし、不都合があっても室生兄さんたちがさらりと解決するので、そこのところは心配されていないのだと思う。ちなみに両親がいる時は柴田さん達も常に母屋に控えている。兄さん曰く、自分たちでは何もしない人たちだから、だって。  画面の先では室生兄さんの歩みは綾子さんと子供たちがいる別棟を迂回、帰宅の挨拶をすることもなく、直接母屋の玄関先に到着。 「あ、・・・に、兄さん、綾子さんたちに顔くらいは見せに行きなよ」  狼狽て顔が引きつる。こういうところが綾子さんをご立腹させるんだね、と実感して。目の前に立つ、麗しく微笑む室生兄さんを複雑な気持ちでお迎えする。 「お帰りなさい、兄さん」  伸ばした両手で書類鞄をしっかり受け取り。 「ありがとう斑くん。ただいま。かわいい顔にお出迎えされたら疲れもどこかに行ってしまうね」  兄さんの甘ったるい微笑みに、ちょっと足の力が抜けかけたところで、がっしりと腰に回ってきた力強い腕の温もりと、頬に湿った感触。 「新妻っぽいよなぁ」  このやけに腰にくる美声は、あの人だ。 「俺にもしてくれよ」  神出鬼没の清春兄さんに抱えられ顔中を舐めまわされる。 「清春が裏口から帰って来なければいい話だろう。俺の眼福(お楽しみ)を横取りとか、勘弁してくれ」 「いやさ、不意打ちされたときの斑の顔とか、かわい過ぎてむらむらするんだよねぇ」  口の中までペロペロしながら言うことではないと思う。   「それは認める」  生真面目な顔で頷く室生兄さんに、清春兄さんから引き剥がされ抱き上げられる。ふたりともすごく長身だから間に挟まれた圧迫感が凄いけど、とてもしっくり感があって安心する。拗らせている子みたいで恥ずかしいから絶対に口には出さないけれどね。  そして、チラチラ兄さんを伺いつつも食事を終え、僕は話を切り出しにかかった。兄さんの反応は・・・普通。清春兄さんがとてもニヤニヤしているのだけ気になるところだ。 「彼女とはじっくり話し合ったつもりだったけどね。相互理解までには至っていなかったようだ。今度こそしっかり話を詰めるよ。だから斑くん、そんな不安そうな顔をしなくていいからね。兄さんの一番はいつでも斑くんだし、絶対に斑くんから離れないよ」  ええっと、ちょっと想像したのと違う方向に進んでいるような気がする、と困惑する僕とニヤニヤする清春兄さんを母屋に置いて、室生兄さんは別棟に向かう。  もう、なんといっていいのか。不安しか感じない。 「僕、綾子さんたちを優先してってお願いしたかったの」 「するんだろ。これで上手くいけば俺が斑を独占できるなぁ」  身体の大きな兄さんでも楽々と座れる椅子にふたりで一緒に腰を下ろして、えっと僕は清春兄さんの膝に横抱きに抱えられているけど。ゆったりと左右に揺すられたり、耳の後ろをすんすんされたり、カプカプ下唇に噛みつかれ中。 「あの、ねぇ、き、清春兄さんも大事な人が出来たら、その人を優先してね」 「いつでも誰よりも大事に考えて優先しているから、安心して」  清春兄さんと額を合わせて、蕩けるような目を見つめているとまるで、すごくすごく自分が特別に思えて背骨がぐにゃぐにゃした。  まぁ、今ではそれが、清春兄さんの大事な人は要くんだって知っているのだけれど。

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