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目隠し02。

 ある時、奈落噺のご先祖様の誰かが何を思ったか植樹した沢山の紅葉。現在、僕の頭上、太い枝先に生い茂る葉っぱは青々として。これがあと数ヶ月もすると敷地中を炎色に染めあげる光景は圧巻の一言で、毎年のことながら一変する景色は不思議に思える。それは突如一角に出現する力強い色味で、目に眩しくも記憶にも力強く焼き付けられたものだから今では、ご近所さんたちから奈落噺の家は紅葉さんと呼ばれるほど知られ、いい意味の方での( 、 、 、 、 、 、)隠れた名所であった。  そんな木々に囲まれた玄関門扉へと続く小道は左右で整然と並ぶ常夜灯で仄かに照らされ、くっきりと黒い影が浮かびあがって見える。すっぽりとその中に嵌り込んで抜け出せなくなりそうで、不気味だ。人によっては幻想的で素敵だと絶賛しそうな(おもむき)たっぷりではあるけれど。伊達に歴史ある旧家ではないのは、知る人ぞ知るご当地、こちらは悪い意味での古くから続く名所( 、 、)でもある。  ひょっとして、ご先祖様もそんな奈落噺の家が嫌で変えたかったのかも。どうやっても内側は変えられないし変わらない。だから外側だけでも美しく飾って見せたかったのだろうか。  兄さんたちは奈落噺という暗闇を怖がり忌避する本能こそ正しいと言う。そして紅葉という美しい覆いで隠し包んでも過去はなくならないし、それで喜ぶのは余所者だけだとも。古くからの住人たちも僕たちと同じように代替わりしても、その血と記憶は続いていくのだから、ご先祖様がどのように望んでも、悪くいうと小細工をしても、この地では誰も決して奈落噺の暗い歴史を忘れないからだ。  毎日毎日わざと低い声色を作って僕の耳に唇を押し当てながら古い物語を流し込んだのは清春兄さんで、奈落噺の異質さを躾けと称して叩き込まれた結果出来上がったのが怖がりな僕である。  清春兄さんは言う。「ひょっとして足掻きこだわるのは表向きで、実のところは言い伝え通り、奈落噺には常世と通じる(みち)があって、暗がりの怪物たちがその路を伝って現界に這い出るのを阻止する為の、供物となりえる獲物が自ら、…そう、いまの斑みたいに、懐に飛び込んでくるよう仕向けるための仕込みなのかも、な?」と。  当然、暗がりもそれなりに少し苦手で兄さんたちが望むような、自分から兄さんたちに引っ付く子供になった。これには清春兄さんも愉悦を浮かべて、飛び込んできた獲物に大喜びして腕に抱き上げ、毎回食事は膝のうえ、お風呂も一緒。寝る時でも離さなかったので、最後は独占し過ぎだと真顔で室生兄さんが激怒するに至り、引き剥がされて気づいた時には兄さんたちの間で当番制になっていた。両親に構われることの少ない僕はそれに順応するのも早かったように思う。今はそれなりに精神的に成長したこともあって、それほど周りの目があるところでは、べったりはしていない、…つもりだ。これを聞いた要くんや綾子さんたちは顔を顰めるかもしれないけどね。  さて。あとでわかったことだけど。奈落噺の家が普通じゃないってことを兄さん曰く、僕の成長に合わせて教育してきたのには理由があった。 『幾多の噺より選ばれし呪と成られば、汝は奈落の底を覗き視て、その一雫を飲み込みて大望を叶えん』  それは血に刻まれる一族の目指すべきモノの噺で、奈落噺の子が一定の年齢に達すると一度は通らなくてはいけない選別の儀式。いずれは室生兄さんの子供たちも一族のひとりとして本家に招かれて視ることになる。僕たちはその時、何かしらの出会いを果たし存在( あり方)を作り変えられてしまう。  だから、兄さんたちによって、ある程度の暗闇に対する備えや心構えができていても、僕は影を恐れる。  握り込んだ指を開くとカタカタと震えてしまうのは奈落噺の子の中でも受け継いだ業に弱い証左だという。自嘲するまでもなく兄さんたち以外の身内からは問題外の格下扱いなので、家業として僕に課されたお役目は、未だない。本家に侍る父母が言うには本家の子ならばもう働いているらしいよ。  占術や呪い、霊的現象を解決する一族の、本家目線では末端に近い分家筋に当たる我が家の役割分はというと室生兄さんが本業で忙しくしている分、そちら方面でも優秀であった清春兄さんが定期的に本家から降りてくる案件で飛び回っている。ダメな役立たずな僕も清春兄さんの手助けができたらいいのだけれど、それを言うと兄さんたちは変わるがわるに、この家にいてくれるだけですごく助けになっていると慰めてくれる。  いつまでもお荷物な弟でいたくないのだと、こんなにも悔しい気分になるのは、自他共に認める兄さんっ子としては当然の流れであって、今よりも少しだけ幼かった当時はちょっとだけ兄さんに抱き付いてメソメソしたと思う。…嘘です。無茶苦茶に大泣きしました。  そうして、いつもみたく慌てた兄さんに正面から膝抱っこされて硬いお腹に泣き顔を埋めたら、こしょこしょ耳のうしろを手慣れた感じで撫でられてしまい、はうぅと口から蕩けた息を溢すのであった。(昔の僕はもっとチョロかった!)  気持ち的に兄さんのよしよしが効果絶大で持ち直した感じでも、目尻からぽろぽろする雫は直ぐに止められずにいて苦慮していると何度も唇が落ちては吸い取っていく。髪の毛を優しくかき混ぜながら「新手の拷問に近いなぁ」と兄さんは何やら頭上でぶつぶつ言っていたけれど。簡単に泣くような子供に対する苦言であったのだと思うよ。  しばらくして完全に冷静になってから、たっぷりの羞恥に震えることになる僕だが、能力的な部分の身の程を知っているので、グズグズの鼻声ながらも近い将来、過労気味な清春兄さんと本家の折衝役になって兄さんのスケジュール管理くらいはできる子になると宣言するのであった。が、その直後、感激した清春兄さんと憮然とした室生兄さんの間に挟まれて困惑し、最終的には室生兄さんのお仕事の秘書も兼任することになっていた。僕はすごくすごく頑張って勉強をする必要があるみたい。  日中は熱風に囲まれたような街中と違って、日が落ちて比較的というか、だいぶと温度差を感じる敷地内はひんやりで、実は我が家の冷風機の稼働率は高くない。汗が引っ込み、むしろ肌寒いと感じるのは感情が抑制できないためかもしれないと、半分だけ冷静な僕は思う。周囲は等間隔に設置された防犯灯が影を落とし、しんと静けさに包まれて、なんだか平衡感覚がおかしくなりそうだ。なんだか異界に迷い込んでしまったようで、とても不気味だからこんなにも全身がゾワゾワするのだ。そういえば昔に聞かされた清春兄さんの小話でこんなのがあった。ざっくりと言うと、自分の影に住む怪物が周囲に不幸をばら撒き、最後には本人をぼりぼりと貪り尽くしてから入れ替わるという話だった。単調な感じでも、まるで見てきたかのような臨場感に僕は震え上がり…。小道を歩く足が躊躇う。もぉ、兄さん恨むよ。怖いのに影から目を逸らすことができないではないか。光以外に踏み出すのを恐れつつ、とぼとぼと俯いて歩いていると後ろから軽い足音が追いついて来た。な、な、な、何! 「ひゃっ」  それに反応して仰反るも、「お、お?」どんと足もとに絡み付いた少しちくちくして、ふわふわした温もりに正体を知って緊張が解けるのは早かった。 「わふわふ」 「きゅーぅ」  喜色を身体全体で教えるように、ぴょんぴょん飛び跳ねる彼らは、室生兄さんの柴犬、「来より(こ  )」と「去より(さ  )」。この子たちは気まぐれ属性なのか、たまにしか僕にそのかわいい姿を見せてはくれない。獰猛さのカケラは全く想像つかないないのだが兄さんが教えてくれたのは、これでも番犬としてしっかりと活躍しているらしいということ。僕としては、とにかく愛嬌ばつぐんで、コロコロ小さくかわいいとしか言いようがない。それでも、じっくりと考えてこれはと言えるのは、たまにある自室の前廊下に登場する小動物の死骸。  嫌がらせ?  いえいえ。  狩り立ての野鼠や鳩、リスの死骸には朝一から毎回ぎょっとさせられるけど、僕の添い寝するのが好きな兄さんが一緒の時に限ることを思えば、答えは自ずと頭に浮かぶ。全ては兄さんへの忠義心。貢物なのである。とても賢い。だけど、一般的な飼い犬の行動としては無益に思えてしまう殺生を叱るのが正しいのかもと、ちょっと思うのだが「うちの子たち賢い、いい子だね」と、めちゃめちゃ褒めてあげる。すると去よと来よは誇らしげに胸を反らし黒い鼻をプスプスさせて大喜び。兄さんはと言うと、僕を背中から抱き込んでのんびりとそれを眺めているのだが、こめかみに唇を押し当てた後に、ゆっくりとしゃがんで二匹と目線を合わせて何やら言い含めはじめるので、僕はその間に用意していた空き箱を急いで部屋から取ってきて、こっそり死骸を収めるのであった。あとで二匹の目のつかないように土の下に埋めるのだ。 「さよ、こよ、かわいいねぇ」  わしゃわしゃ撫で回し抱き付いて二匹に好き好きすると、来よりと去よりも全身で好き好きを返してくれる。かわいい。この分かりやすい疑いようない愛情に清春兄さんのことで悩み過ぎて、ちょっぴり…いや、だいぶ気分が沈んでいたのが癒される。 「寂しかったよ。ねぇ、もっと会いに来てくれてもいいんだよ?僕はもっと会いたいしお触りしたい」  愚痴っぽいかなぁ、とか思ったけれど、来よりと去よりからの好き好きがすごいから、ピクピクする耳に唇をつけて、ひっそりと本音を零してみた。 「…それは兄さんに言って欲しかったな。そうしたら、まーくんをたくさん甘やかしてあげるのに。それにね、気づいてないようだけど、来よと去よより、兄さんのまーくんの方が断然かわいいからね」 「はわぁっ!」  屈んだ僕に覆いかぶさる兄さん。あわあわしている間に二匹から引き剥がされて、ぎゅーぅっとされていた。来よと去よは、僕たちの周りをぐるぐるして、がるるぅっと獰猛に兄さんに向かって威嚇を試みるけど、「嫉妬しちゃうなぁ」と零す兄さんは通常運転である。 「斑くんはこの子たちが好き過ぎるから、あまり会わせたくないんだよ。今みたいに兄さんがいるのに、ほっぽって構い倒すから」  僕より体温の低い室生兄さんの大きな手に導かれ、現在成長途中の僕と見上げるほど長身の兄さんが一緒に歩く。足の長さが違うから当然ここで僕は早歩きになるところ、そんなことは一切ない訳です。なぜなら兄さんは紳士なので。優しい。大好き。  去よりと来よりがパッと前に走り出したかと思えば、サッと戻り得意げな顔をして足にぶつかってきた。その小さな力で簡単によろめくのを気配りの達人、兄さんが気づいて、さっと腰に腕を回して支えてくれる。 「大丈夫?……お前たち、斑がこけたら全身の皮を剥ぐからな」 「兄さん冗談でもダメだって、そんなこと言っちゃあ」  笑いながら見やると、予想外にも真面目な顔の兄さんがいて、二匹はというと縦てた尻尾をだらりと垂らすのだった。

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