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第2話

「本当に心配したんですからね!」 菅野が腰に手を当て怒っている。 「ごめんってば」 比良木は椅子に腰掛け、両手を膝に揃えてしゅん、と肩を落とす。 大杉の家から自宅に戻ると、すぐに抑制剤を服用した。 それから何回も電話が掛かってきていた菅野に連絡し、昼から出勤した。 「電話ぐらいできなかったんですか?」 「…できなかったんだもん…」 上目遣いで菅野を見上げれば、呆れた溜息を吐かれた。 「あんな強い発作初めてで」 「…ったく」 呆れたように髪を掻き上げる菅野を、比良木は伺うように見上げる。 「で?今はいいんですか?」 「うん、薬が効いてる」 「とにかく、今日は早く帰ってくださいよ」 「うん」 菅野はやっと椅子に座った。 比良木もほっと息を吐く。 「珍しいですよね、そんな周期外れの強い発情って」 菅野はスマホを取り出し、なにやら操作始めた。 「うん。俺もびっくりした。で、何してんの?」 「俺の旦那にメールしてるんです。今日来るって言ってたから。来るなってね」 「なんで、いいじゃん別に」 「よくないですよ。あなた、自分の体臭気付いてないでしょ?すごいよ、それ」 言われて慌てて、くんかくんか、匂いを嗅いでみる。当然、わからない。 「でも、葉山ちゃん、平気だったろ?」 「あん時とは全然違うんですよ!俺は危険は犯さない主義なの!」 「危険て」 菅野は比良木と同じくΩで、葉山は番のαだ。 共同経営者が同種なので、お互い非常に気楽に仕事ができる。 「葉山ちゃんは平気だろ」 「だから!危険は犯したくないの!」 プンプン怒って菅野はメールを打っている。 番といっても、α本位でいつでも解消できる。 α自体には番になろうが解消しようがなんの影響もないが、Ωは違う。 Ωが番になれるのは生涯一人のαだけ。 番になった途端発情期は来なくなるが、解消された途端再び発情期はやってくる。だが二度と番にはなれず、発情を持て余すだけの存在になる。番だった相手だけを思い続けて。 番を解消された大抵のΩは自我を失い、発狂する。 例え番がいるαだとしても、発情期のΩに反応する。 それが一般的。 ただ葉山は比良木の発情が軽度のせいか、発情期に居合わせても反応しなかった前歴がある。 比良木は時々、この2人を羨ましく思う。 彼らは番になって長い。 結婚も可能だし、子供も作れる。 けれど葉山がまだ自分の社会的立場が確立されてないからと、保留にしているらしい。 自分本位なαの性質があまり発揮されていない葉山は、非常に菅野を大切にしていることは比良木にはよくわかっているし、菅野もそんな葉山を信用している。 この二人に限って言えば、番解消などあり得ない。 「で、大杉さんだったっけ?どうすんの?」 メールを打ち終わった菅野が比良木に視線を移した。 「どうするも何も…。どうも、しない」 「…それで済めばいいけど…」 菅野がPCに向かう。 比良木はそれを眺めた。 「済めば、って」 「相手はαだし。Ωをほっとくとは思えないんですよね」 「そんな、人には見えないけど」 比良木はもごもご言う。 「でも実際喰われちゃってんじゃん」 「や、でも、多分俺が誘ってるし」 覚えてないけれど、理性が飛んでる時点で、自分がΩとして本能的にαを欲しがったに違いないと思っていた。 どんなことをやらかしたのか、考えるだけでも恥ずかしいが、そんな自分を相手にして、男として、さらにαとして素通りすることはできなかっただろうと思う。 胸は痛むが。 「αて、俺、信用できない」 「葉山ちゃん以外のαて、知らないだろ」 「知らないけどさ」 「じゃ、それは勝手な思い込みだよ」 ぷうっと頬を膨らませた菅野に比良木は苦笑いした。 「とにかく!それ、さっさと終わらせて帰っちゃってよ!なんなら一週間休んでいいから」 「ひで、俺より葉山ちゃんかよ」 「当たり前でしょ」 今度は比良木が呆れて溜息を吐いた。 急ぎの書類を片付けて、スケジュールを調整する。 ブブブブブッ! ポケットの中でスマホが震えた。 取り出してみて、着信相手にギョッとした。 「…大杉さんだ…」 思わず呟いた比良木を、菅野も振り返った。 「ほら、ほっとかなかった」 「………」 そういえば仕事上、連絡先を交換したことを思い出した。 出るか、出まいか、悩んでるうちに通話が切れた。 ずきっと胸が痛んだ。 きっと腹を立てているだろう。 誘惑するだけしておいて、さっさと消えて、今度は電話にも出ない。 だが、電話に出て、何を話したらいいのか比良木にはわからなかった。 出来ればもう、会いたくない。 あんなことにならなければ喜んで電話にも出たし、会って話す約束さえしたかもしれない。 だがΩとしてしか見られないこの状況で会っても、Ωとしてしか相手にされない。 つまり性欲のはけ口にしかなれない。 所詮αにとってΩは、性奴隷でしかないのだ。 古来からそういう扱いを受けてきたと教わって、Ωは育っている。 もちろん例外はあると思う。 菅野達がそのいい例だ。 大杉がそんなαだとは思いたくないが、Ωとして誘惑して関係を持ってしまった以上、それ以外で見られる可能性は低い。 友人として、淡い恋慕を抱きながらいい関係を築きたかった。 それが本音。 握りしめたスマホがまた震えだした。 ディスプレイに映し出される名前に自然と眉が寄る。 「…出てみれば?」 菅野が声をかけてくる。 「出たいんでしょ?」 比良木はぎゅっとスマホを握りしめ、目を閉じた。 やがてスマホが大人しくなる。 「…この方が、いいんだ…」 二度と会わない。 その方が、いい。 スケジュールを一週間なんとか開けて、菅野に、あとは頼むね、と声をかけて事務所を出た。 まだ日は高い。 薬は効いているけれど、それとは別に今朝の行為の名残から全身が怠い。 出勤はタクシーだったし、事務所の椅子に座ってるぶんには良かったが、歩き出してみると体の奥が痛んだ。 駅まで辿り着いた時、とうとうベンチに座り込んだ。 「ふぅ…」 いくら発情期でその準備が出来ていたといっても、初めての行為に体が根を上げていた。 大杉の部屋で見た残骸から、一回や二回で終わってないことも確かだ。 「…いてぇはずだよな…」 足元を見ながら苦笑いして、ひとりごちる。 「痛いの?」 不意に掛けられた声に驚いて顔を上げると、眉を寄せた大杉が立っていた。 「な、なんで」 ここに? 言葉が全て声にならなかった。 「事務所まで行ったんですよ。そしたらちょうどあなたが出てくる所で。追いかけながら車置けるとこ探して、やっと追いついた。で、痛いんですか?」 大杉のちょっと不機嫌そうな顔に、比良木は俯いて首を振った。 「ちょっと、だけ。でも大丈夫です」 それから迷いながらも口にした。 「…え、っと、すみませんでした、巻き込んで…」 「そんなのどうでもいいよ。薬は?飲みました?」 どうでもよくはないんだけど、そう思いながら目だけを大杉に移す。 やはり少し機嫌が悪そうだ。 「飲み、ました。え、と、すみません」 「謝るなら、俺の前から勝手にいなくなったことと、電話に出なかったことに謝ってください」 「え、あ、すみませんでした」 「探したんですよ、必死でね。会社も休んじゃったし」 「ええ⁈す、すみません。本当に」 比良木は慌てて立ち上がると、深々と頭を下げた。 そして顔を上げた時、くらっとした。 よろけた体を大杉が受け止める。 「…やっぱり具合悪いんじゃん…」 回された腕にどきりとして、比良木は強く押し戻した。 αの体温と体臭が押さえ込んでいるはずの欲情を刺激する。 「大丈夫ですから」 けれど逆に強く腰を掴まれ、引き摺られるようにして歩き出した。 「青い顔してたから。追いかけてきてよかった。今度こそ送りますよ」 比良木はびくりとして、その体を押した。 車は、まずい。 「け、結構です。電車で帰りますから」 抑制剤を飲んでるとはいえ、あんなαの匂いが充満する所にいたらまたどうなるかわからない。 「あなたに拒否権はないです」 比良木の精一杯の抵抗にもびくともしない。 細いわりに力はあるようだ。 まあ、比良木が華奢すぎるせいでもあるけれど。 仕方ない。 Ωの身体的特徴でもある。 ほぼ無理矢理に乗せられた車の中はやはりαの匂いがした。 けれど今朝よりも冷静なのか、αの匂いの中に大杉のコロンの匂いも見つけた。 爽やかなようでどこか甘い…。 (なんて、香りなんだろう?) そんなことを考えるくらいには今回は余裕があるらしい。 けれど本能をくすぐってくる匂いには逆らえず、頭が朦朧としてきた。 運転席に乗り込んできた大杉が、シートベルトをして比良木を振り返った。 「比良木さん?大丈夫ですか?」 比良木の目が若干焦点が合わなくなってることに気付いたらしい。 大杉が眉を寄せた。 「…だ、ぃじょうぶじゃない、だからいやだったんだ…車…」 「え」 「あるふぁの匂いがする」 そう言うと、比良木がくたっと意識を失った。

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