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第3話

比良木が目を覚ましたのは自分の家のベッドの上だった。 まだ鼻先に残るαの、大杉の匂いにくらくらする頭を何度も振る。 そして部屋を見渡したが、どこにも大杉の姿はない。 ハッとして自分を見下ろすと、服をちゃんと着ていた。 (なにが、どうしたんだろ) 髪をかきあげながらベッド脇をみると、スマホがチカチカ点灯していた。 見ると菅野からメールが入っていた。 《びっくりしましたよ!大杉さんから電話かかってきて、比良木さんが倒れたっていうじゃん。で、部屋に連れて行きたい、ていうからそこに入れましたよ。起きたら連絡してくださいね》 「え?」 やはりここまで運んだのは大杉。 時間を見るとまだ夜にもなってなかった。 気を失ってたのは2時間程度。 とりあえず、また心配を掛けてしまった友人に電話をした。 『比良木さん?気が付いた?』 「うん、ごめん。また心配かけた」 電話の奥の方で、比良ちゃん?気が付いたの、と葉山が騒いでるのが聞こえた。 「ごめん、葉山ちゃんにも心配かけた」 思わず比良木は苦笑いする。 『いいんですよ。それより、何があったんですか?あいつになんかされた?』 菅野の声に凄みがある。 誤解されてることに気付いて慌てて否定した。 「違うよ、大杉さんは具合の悪い俺を車で送ってくれようとしただけ。でも今の俺には、大杉さんの車の中はαの匂いがいっぱいで刺激が強すぎたみたいで、家の住所言う前に気絶したみたいだ」 『…そう?…まあ、あいつが悪いαじゃないことはわかったけどさ』 菅野が呟くように言うと、思わずどきりとした。 「そ、それで大杉さんは?」 『俺とそこで合流してから、比良木さん運び込んで、俺と一緒に出ましたよ。あとは知らない』 「そ、そうか」 また迷惑を掛けてしまった。 (ほんと、顔に似合わず優しい) 『何笑ってんの?』 菅野に咎めるように言われ、自分が笑っていたことに気付いた。 「ごめん、とにかくありがとな」 『…一週間、大人しくしててよ…』 そう釘を刺されて電話を切った。 「…大人しく、て人聞き悪いよな…」 そう言いながらスマホを眺めて、それから何かを思い立ち家中の書類をひっくり返した。 翌日、日が沈みかけた公園のベンチで比良木はぼうっと空を見上げていた。 これから自分が何をするつもりなのか、重々承知してるし、それが正しくないこともわかっていた。 けれど、今の自分の気持ちに素直に従うならこれしかない。 「比良木さん」 声をかけられて振り向くと、大杉がにっこり笑った。 比良木も笑顔で返して、まずは頭を下げた。 「昨日は何度も迷惑を掛けてすみませんでした」 「あ、いや、俺は全然迷惑じゃ…」 大杉にしては歯切れの悪い返事だった。 それでも気にせず、比良木は顔を上げて精一杯の笑顔を見せた。 「お詫びに食事にでも行きませんか?」 「え、でも、比良木さん、体調は?」 大杉の表情が少し曇った。 「平気です。薬も効いてるし。あ、大杉さんの車は勘弁してください」 そう言うと、ふっと苦笑いされた。 「すみません。俺、気付かなくて」 「いえ、普通気付かないですよ。…食事、ダメですか?」 もう一度聞くと、にっこりと笑ってくれた。 それが嬉しくて、比良木も思わず笑顔になった。 「おいしいパスタの店知ってるんです」 そう言って歩き出した比良木の後をついてくる大杉を振り返った。 「へえ、楽しみですね」 他愛ない話をしながら、ふと、気付いて比良木は足を止めた。 「大杉さん」 少し後ろを歩いている大杉を振り返る。 「何ですか」 「…どうしてそんなに離れてるんですか?…」 前に仕事で二人で歩いた時は比良木の少し前を、肩も触れ合いそうなぐらい近くで歩いていたのに、今は少し後ろを比良木が手を伸ばしても届かないぐらいのところを歩いている。 大杉は比良木の言葉にちょっと困ったように笑った。 「…俺、αの匂いがするんでしょ?今の比良木さんには毒と同じかなって思って」 言われて比良木は吹き出した。 「可愛いなあ、大杉さん」 そう言って大杉の腕を掴んで、並んで歩き出した。 「や、でも」 「大丈夫ですよ。これぐらい。ちゃんと薬も飲んでるし、平気」 困ったような顔をする大杉を比良木は上機嫌で時々見上げた。 もちろん、本当はそんなに平気ではなかったが、大杉の匂いに慣れつつあったのか自制が効いた。 それに心地よくも感じていた。 大杉の腕に触れた時には胸が鳴った。 だから離したくなくて、店までのわずかな距離を腕を引くようにして歩いた。 店に入って奥の方のテーブルに向かい合って座り、他愛ない話をしながら楽しく食事をした。 大杉の家族の話や、比良木の家族の話。それから休日には何をして過ごしているとか、体質上の理由から菅野と出会ってすぐ二人で独立したとか。やはり菅野がΩだと気付いていなかった大杉は驚いていた。 比良木の発情期が終わったら大杉オススメの映画を観に行こうとも約束した。 軽くアルコールも飲んで、気分良く店を出るとあたりは真っ暗になっていた。 待ち合わせた公園を並んで歩きながら、大杉がポツリと言った。 「俺、比良木さんに言われるまで、自分がαだって自覚したことなかったんですよ」 比良木は黙って聞いていた。 「比良木さんがΩだって気付いた時も、自分のことは自覚してなくて」 足を止めた大杉を比良木は振り返った。 「俺が比良木さんに影響を与えるなんて思ってもみなかった」 辛そうに歪められた眉に、比良木はそっと手を伸ばした。 「今は無自覚なαが多いみたいですからね。気にしなくてもいいと思いますよ」 その手をきゅっと掴まれた。 「Ωの発情期も甘く見てました」 比良木は苦笑いするよりない。 「俺、どんな痴態晒したんですか」 「そ、そういう意味じゃ」 吹き出すように笑いながら、大杉を見上げた。 「いいんですよ、本当のことだろうから」 「…覚えてないんですか…」 「…はっきりとは…。理性も意識も飛んでたので…」 まったくない、とはさすがに言えなかった。 それはあまりにも大杉に申し訳なくて。 「いつも、ああ、なんですか」 その問いには比良木は強く首を振った。 「いつもはもっと、ずうっと軽いです。それに周期外で…、なんの準備もしてませんでした」 「誰にでも?」 短い言葉に言わんとすることを察して、軽蔑されるのを覚悟した。 「…通常は…。とにかく感覚が鋭くなって、快感に弱くなるので、自我があれば抑えもききますが」 「なくなれば?」 比良木は答えなかった。 大杉も黙り込む。 「…でも、俺はまだそこまでにはなったことがないので、聞いた話ですけどね」 軽く笑い話にしたつもりだった。 けれど大杉の目が真剣で、いたたまれなくなり俯いた。 しん、と辺りが静まり返った。 大杉の視線が刺さる。 それが侮蔑なのか、呆れているのか、はたまた哀れんでいるのか見当もつかないし、確かめる勇気もない。 比良木は意を決して、顔も上げずに大杉に歩み寄った。そして大杉の胸あたりの服をギュっと掴んだ。 「…これから、うちに来ませんか」 「え」 戸惑ったような大杉の声がした。 「もうすぐ、薬が切れるんです」

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