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第4話
待ち合わせた公園から比良木の部屋まで、歩いて10分ほど。
肩を並べて二人とも無言で。
寄り添った体の間で、手をしっかりと繋いだ。
大杉の気持ちが変わらないよう。
自分の覚悟が折れないよう。
祈りを込めて、繋いだ手に力を込めた。
玄関に入り込んで鍵を閉めると、途端に抱き締められてキスをされた。
まだ抑制剤は効いてるはずだが、Ωの体臭が大杉を煽っているのだろう。
もしかしたらずっと我慢していたのかもしれない。
(悪いことしたかな)
腕を大杉の拘束から引っ張り出して、頬に添えると熱に揺れる瞳が開いた。
その目が真摯に自分を射抜いて、比良木の頬が思わず緩んだ。
この瞳が好きだった。
大杉らしい瞳。
ゾクゾクとした感覚が背を走り下半身に降りてくるのを感じた。
薬の効果が薄れてきている。
「ふぁ、あ」
思わず漏らした喘ぎに大杉が目を見張った。
それを見て、比良木は苦笑する。
「…そんな顔、しないでください…」
ことんと落とした肩口に、比良木は頭を擦り付けた。
「…薬が切れると、どうなるか、知ってるでしょう…」
比良木自身より。
「…知ってます…。薬、飲んだ方がいいんじゃないですか」
大杉の言葉は意外なものだった。
発情期のΩが簡単に理性を失うのは、αがそれを望むからだ。
それなのに。
「どうして」
「そしたら、ちゃんと覚えててくれるんでしょう?」
耳元で囁くように言われ、比良木の体が震えた。
「はぁ、ん」
ぎゅっと大杉にしがみついた。
比良木は全身が細い糸になった気がした。
今はまだ少し撓んでいるが、大杉の指や吐息に触れられ、どんどん張り詰めていく。少しでも触れられると、揺れて、振れて、痺れのように伝わって、いつまでも振動している。
発情期独特の研ぎ澄まされていく性感。
以前とは明らかに数段上のこの鋭すぎる感覚に、比良木は身を任せる他に術を知らない。
抵抗など、無駄なことは昨日思い知った。
誰にでも、振れて、揺れて、翻弄されるだけの糸ならば、せめて自分が選ぶ相手に触れて欲しいと。
本能に理性で微かな抵抗をした。
すぐに本能に呑み込まれてしまう理性だけれど。
仕向けることは出来るはず。
「覚えてますよ、ちゃんと。それにもう、手遅れ…」
そのまま大杉の口に吸い付いて、貪るように舌を絡めた。
すぐに答えてくれた舌に口内を舐められ、比良木の体がガクガクと震え、足が力を失いどんどん沈んでいった。
舌を絡めながら比良木の脇に手を入れ支えようとした大杉の前に、比良木はぺたんと座り込んだ。
それでも大杉の唇を離そうとせず、大杉の腕を掴んで引き寄せるように伸び上がってくる。
大杉が体を起こすように離れると、軽い水音を立てて唇が離れた。
比良木は唇を舐めながら、首を目一杯後ろに倒してとろんとした目で大杉を見上げてくる。
「比良木さん、まだ飛んでない?」
大杉の問いにふわりと笑うと、唇をペロリと舐めた。
「うん、大丈夫」
指先で唇を撫でながら、その指ごと唇をまたぺろっと舐める。
比良木から視認出来そうなほどの、濃厚な色香が立ち込めていた。
(ほんとかよ)
思わず心の中で呟いた。
そのぐらい比良木の目は焦点が合っていないし、背負っている空気はエロスそのもの。
両手を大杉に向かって伸ばし、ふわりと微笑んだまま、濡れた唇で言う。
「もっと、キスしよう」
(理性は残ってないな)
それを見下ろしながらも、確実に煽られている自分に気付いた。
昨日もこのギャップにやられたことを思い出す。
初めて比良木にあった時、一瞬女性だと思った。
全身を眺めて、細いけれど男だと気付いた。
胸はないし、若干ガニ股で歩くし。
けれど自分のスタイルを自覚しているのか、短めのジャケットから覗く腰は驚くほど細く、現場で、確か躓いた比良木を支えた時に触れて、あまりの細さに驚いた。
華奢な体に可愛い顔。
時折ちらつく色香。
あっさりと大杉の心は奪われた。
ついつい庇護欲を掻き立てられ、女性にするよりもっと優しく接してしまい、女じゃないから、と笑われた。
それでも危なかっしくて、ついつい手が出た。
何しろ比良木は無頓着で、興味のあるもの以外には無関心に近かった。
二人で現場に顔を出すと、明らかに比良木を狙っていると思われる奴が近付いてきて話しかけていたのに、比良木は全く気付いておらず、一緒に歩いていても振り返ってまで見る男も女もいるのに、逆に「大杉さんはかっこいいからモテるでしょう」何て笑う。
一度「前髪を下ろした方が似合いますよ」なんて言ったら、次に会うときは前髪を下ろしてきて、「今日は大杉さんに会うから、言われた髪型にしてきましたよ」などと無邪気に笑う。
自覚のない比良木を野放しにしてはいけない、と奇妙な使命感に燃えて一緒に仕事をしていたが、一時的な契約だったため、取引が終わればあっさりと会えなくなった。
連絡先を知ってはいたものの、なんと連絡すればいいか悩んで。
ならばまた比良木の事務所と契約をすればいい、と、共同経営者である菅野の見積もりを通そうと躍起になった。比良木本人ではないけれど、事務所は同じだからまた会えるはず、と。
ところが横から現れた大手企業にあっさりと持って行かれた。
しかもなぜか大杉の手柄になった。
ただ単にその企業の跡取り息子が大杉の幼馴染で、幼馴染としては大杉を助けたつもりだった。
余計なことを、と恨みもしたが、他の手を考えねばと前向きに捉えた。
あの日も比良木から以前あの辺に住んでると聞いたことがあったので、散歩がてらうろうろしてたらいつかばったり運命的に出会えるんじゃないかと期待していた。
ある意味、運命的ではあったが。
αである自分の前にΩの発情期を抱えて比良木が現れたのだから。
Ωの発情期には初めて遭遇した。
話を聞いていなかったわけではない。
が、実際に目にするのとでは雲泥の差がある。
ましてや日頃から色香がちらつく比良木だ。
見上げるようにして大杉を見る表情に、下半身は疼いた。
兎にも角にもこんなところに、こんな比良木を置いておいては危険極まりない。
嫌がる比良木を車に乗せて、さあ家に送ろうとした矢先、比良木が豹変した。
運転する大杉に絡みつくように腕を回し、首や耳にキスをしてくる。ゆったりと撫で回すように動く手は、明らかに大杉の下肢を目指していた。煽るように近付いては離れて、また近付いて、掠っては離れて。住所を聞いても返事がなく、キスしようだのセックスしようだの、どんどんエスカレートして卑猥な言葉を口走り始めた。
同時に比良木から香ってくる甘い匂いがどんどんきつくなり、やっとの思いで自宅に連れ帰った時には歯止めが効かなくなっていた。
煽られるまま、求められるままに抱いて。
後で我ながらよくゴムの存在を思い出したものだと感心した。
とにかく比良木がΩである以上妊娠の危険があることが意識に残っていた。
そしてこの状態で妊娠させても、後悔しか残らない。
意識も理性もない比良木が後で傷つくのは目に見えているし、こんな状況で責任とって番になったとしてもうまくいきっこない。比良木も大杉もお互いに負い目を持つだけで、最悪堕胎するしかない。そうすれば、比良木の心と体に傷が残る。
だからそれだけは避けたかった。
番になるにしても、ちゃんと比良木の意思がある時に。
ゴムをつけた大杉に、理性のない比良木は外せと言ったり、嫌がったりした。
それでも大杉の腕の中で淫猥によがり続け、愛撫にも敏感に反応して幾度となく果てた。
目が覚めた時に腕の中に比良木がいなかったときは肝を冷やした。
あんな状態で外に出て、誰彼構わず誘惑してるんじゃないかと。
電話には出ないし、自宅も知らない。
最後の頼みとばかりに事務所を目指して、中から出てくる比良木を見たときは驚いた。
こんな時に仕事をしていることに、だ。
けれどまたすぐに、青くなった。
足取りがおぼつかず、顔色が悪い。
まさかまた、発作じゃ。
そんな不安にかられて、比良木が駅に向かっていることに気付き、大杉は先回りし、車を駐車してから探し回った。
朝と同じようにベンチに腰掛ける姿に、ギクリとした。
声をかけて、見上げてきた瞳が普通に輝いていたことにほっとした。
とにかくうろうろして欲しくなくて、車に無理矢理押し込んで、また比良木の様子がおかしいことに気付いた。
そして比良木の言葉に、ようやく自分が原因だと気付いた。
気を失ってしまった比良木を自宅に連れ帰るわけにもいかず、菅野に連絡して比良木の部屋に入れてもらった。
菅野と一緒に部屋を出て、会社にもやっと連絡をした。
身内が昨夜から危篤状態で、病院にいたので連絡できなかったとか大嘘をついた。
そして猛烈な後悔から、そのまま実家に戻り、仕入れられるだけオメガバースの知識を仕入れてきた。
知識を仕入れるとますます自己嫌悪に陥ってしまったが、今日の昼に比良木から連絡をもらうと急浮上した。
我ながらちょろいと思いつつ、一緒に食事をして、比良木の色々な話を聞いて、やっと距離が近付いた気がした。
自分のしたことをちゃんと謝りたくて。Ωについても話が聞きたくて。
そうしてやっと、比良木の目的がわかった時には逃げられなかった。
比良木の家までの道すがらしっかり握られた手や、盗み見た瞳にはしっかりとした光が見えた。
だから、これは比良木の意思だと思っていた。
自分たちはこれから始まるんだと期待した。
玄関の鍵を閉めた瞳もしっかりと焦点が合っていたため、思わず抱きしめてキスをした。
甘いいい匂いがする、そう気付いた時には比良木の瞳が欲に濡れ、吐息が熱くなっていた。
思わず言った薬の服用を促す言葉も、あっさりと断られた。
もうすっかり虚ろになってしまった比良木の瞳にはαしか写っていない。
伸ばされた腕を取りながら、知らず目が熱くなった。
Ωはαと生殖活動をする本能に支配される。
特に発情期にはその本能が強くなり、自我も意思も関わってこない。
全て本能に支配される。
目的は一つ。
αの子供をその身に宿すこと。
実家で仕入れてきた知識だった。
悲しくて悲しくて。
大杉は掴んだ腕に力を込めた。
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