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第7話

でも避けては通れない。 シャワーを勧められて、着替えまで用意してあった時にはぎくりとした。 「適当に買って来ちゃったから、サイズ合わなかったらごめんね」 そう言いながら、比良木がシャワーへ向かった。 ぽつん、と部屋に残されて、着替えを済ませてベッドに腰掛けた。 急に昨日このベッドで激しく交わったことを思い出して、かあっと顔が熱くなった。 慌てて視線を逸らす。 あまり物はないけれど割と片付けられた部屋を、訳もなく見渡して、壁のハンガーに自分の背広が掛けられているのを見て、どきりとした。 なんだかそこだけ生々しい。 落ち着かなく立ち上がって、キッチンに向かう。 コップを借りて水を汲み、一気に飲み干した。 ここからどうしよう。 ヤるだけの関係で終わりたくないのに。 結局関係が途切れるのを恐れて、ここまで来てしまった。 一緒に食事をしてTV見ながら話してる間までは楽しくて、同じ空間で同じ時を比良木と過ごしている喜びに満足していたが、夜が更けて来るに従って、比良木から香って来る匂いに気付いた。 抑制剤が切れかけている。 とっさに思った。 比良木が最初に言っていた、短期間の効果しかない抑制剤。 おそらく、寝ている間には切れても平気だと調整しているのだろう。 少し比良木の頬が紅潮していたのは、アルコールのせいだと無理に言い聞かせてた。 飲み干した空のコップを見つめながら考え事をしていると、いつに間にか戻って来た比良木が横に立っていた。 Tシャツの下から覗く素足に知らず唾を飲み込む。 「あ、すいません。ちょっとコップを借りました」 慌ててコップを洗っていると、小さな「そんなの、いいのに」という呟きが聞こえた。 コップを食器入れに戻して、それでもそこから動けずに。 どうしよう、と迷いの言葉だけが浮かんで来る。 「もしかして、スるの嫌?」 小さな、小さな、消えそうな呟きだった。 振り返ると、頭からタオルを被ったままの比良木が、俯いて立っていた。 「そ、そういう訳じゃ…」 「………」 「………」 二人して黙り込んで、立ち竦む。 沈黙が流れ、焦って来る。 ここまでいい雰囲気だったのに。 俯いたままぎゅっと握り拳をすると、するりと手が絡みついて来た。 咄嗟に顔を上げると、いつの間に近付いたのか、俯いたままの比良木が大杉の手に触れていた。 そのままぎゅっと掴まれて、ベッドへ引っ張られる。 「あ、あの、比良木さん」 「…聡史…」 「え」 「昨日は呼んでくれたのに、今日はもう呼んでくれないんだ?」 「え」 大杉の手を引きながらベッドによじ登るとそのまま座り込む。 「…俺のこと、軽い、って思ってるんだろ?」 「え⁉︎違いますっ」 「発情期に男連れ込んで、ヤることしか考えてないって」 「ち、違います…」 大杉の言葉の最後の方には力がない。 これでは肯定しているようなもので、比良木はそのまま黙り込んでしまった。 大杉は慌ててベッドに乗り上げて、比良木の肩を掴んだ。 「違うんですっ!ただ、本当にこれじゃあ、発情期に一緒に過ごすだけの関係みたいだな、って思っただけで…」 「………」 大杉もそのまま黙り込んでしまう。 「…発情期って、逃げられないんだ…」 「え」 「…抑制剤使っても結局身体の芯に性欲の火種みたいなのが残り続けて。前はこんなことなかったけど、今度のは抑制剤なんて気休めでしかなくて…」 「……」 比良木が一体何を言い出したのだろう、と大杉は黙って聞き入る。 「それは多分、前は知らなかったものを俺が知ってしまったせいで」 俯いた比良木がぎゅっとシーツを握りしめるのが見えた。 「誰でも、知らないやつにでも嫌いなやつにでも発情してしまうのなら、せめて自分の決めた相手にしたいって」 もう一度更にシーツを握りしめて、比良木は顔を上げた。 「そう思うのは、いけないことなのかな?」 眉根を寄せ、心なしか水分を含む瞳がまっすぐ向けられる。 「え」 「その相手に大杉さんを選んでしまったのは、やっぱり、大杉さんには迷惑でしか、ない、のかなぁ」 後半はまた俯いてしまったため、表情は見えない。 でもだんだん小さくなっていく声が涙声に聞こえたのは気のせいではないはず。 大杉は頭を殴られたようなショックを受けて、呆然としていた。 発情期というものを自分が軽く捉えていたことに初めて気付いた。 身体だけの関係になってしまうことを恐れて、変に拘って来たけれど。 Ωの比良木にしてみれば、発情期を共に過ごす相手には大きな意味があることを知った。 逃れられない、自分の意思とは無関係に始まる発情に、Ωは振り回されるしかない。 本当に貞操観念が軽い人間ならそんなこと気にせず、発情期を乗り越えるためだけに行き摩りでどんな奴とでも寝れるだろう。 でもそれが嫌な人間には苦痛でしかない。 誰とでもいい訳じゃない、そう言われてるようで。 大杉は俯いて肩を揺らしている比良木にそっと近付くと、向けられているつむじに軽く口付けた。 びくり、と比良木の体が跳ねる。 「すいません、俺、考え違いをしてたみたいです」 「………」 Ωである比良木が発情期を共に過ごす相手は特別であり、その相手に大杉が選ばれたことには特別な意味がある。 そっとシーツを握りしめたままの手に、手を重ねて優しく包み込む。 「シよ?…聡史…」 ぴくん、と比良木の肩が揺れる。 湯上りにTシャツを着込んだだけの、まだ汗ばむ首筋にそっと息を吹きかけるように唇を寄せ、舌先でするりと舐めると、比良木の身体はふるふると震え始めた。 「…だめ?」 「…したく、ないんだろ…」 優しくシーツから剥がした手を自分の股間に当てると、びく、っと大きく跳ね上がった。 とっさに逃げていく手を更に押し当てると、比良木が俯いたまま残った腕を顔に運んだ。 大杉から見える耳、首筋が赤く染まる。 「そう、思う?」 小さく首を振った。 それから腕で口元を覆うようにした比良木が恐る恐る顔を上げる。 大杉が微笑みを向けると、比良木は更に赤くなった。 「お願いがひとつ、あるんだけど」 「え、なに?」 大杉をきょとんと見上げた比良木の目が何度も瞬きをする。 「ずっと俺の名前呼んで?」 抱きたくない訳ない。 むしろその逆だった。 部屋に入った時から、Ωの匂いにも比良木の匂いにも煽られてた。 可愛く笑われるとドキドキしたし、ぱたぱた走る姿にも胸が弾んだ。 他愛ない会話に笑顔を見せられ、またひとつ、比良木のことを知った。 目前で主張するベッドが嫌が応にも昨日の熱い身体を思い出させる。 発情期だけの関係、が嫌だっただけで。 小さく細い身体を両腕で包み込んで、息が出来ないほど口付けを繰り返した。 部屋に入って、笑顔に会った瞬間からこうしたかった。 「く、るしい」 胸を押し返しながら比良木が訴えても離さなかった。 体の隅々までキスをして、どうせ一週間篭ってるならと、平気で紅い痕を残した。 所有印。 誰にも渡さない。 渡したくない。 たとえ発情期が終わっても。 大杉が与える愛撫に、抑制剤の切れた比良木は何度も身体を跳ねさせた。 とろとろになった瞳で何度も約束通り名前を呼んでくれた。 それは自我が残っている証拠で、誰が自分に何をしているのか、はっきり認識できていることに他ならない。 大杉に抱かれて、比良木はこんなにも善がり、蕩けているのだ。 誰でもいい訳じゃない。 大杉も負けじと名前を呼んだ。 大杉が呼ぶたび、比良木は泣きそうなほどに瞳を潤ませて、大杉にしがみついて来た。 熱い欲望の塊をねじ込み、身体を揺さぶり続けて。 快感に息を引きつらせながら。 それでも何度も名前を呼んで。 呼びながら、絶頂まで登りつめて弾けた。 荒い息を整えながら傍に横たわる比良木の髪を撫でる。 短いけれどさらさらと手触りがよく、ずっと触っていたい気になる。 「お願い、ちゃんと聞いたよ?」 胸元から比良木の声がした。 少し掠れているのは情事の名残。 「うん。ありがとう」 大杉が答えると、がばっと顔を上げた比良木の目がきらきらと何かを期待して輝いていた。 「次は俺の番?」 「え?何かお願いがあるの?」 「うん」 頬を緩ませながら大きく頷く姿はどこか幼い。 「なあ?明日も来る?」 「え、それがお願い?」 「違う。聞いてるだけ」 「まあ、約束だから」 「じゃあ、明日も何か作って?」 「それがお願い?」 「うん」 「いいよ、何が食べたい?」 布団の下で重なり合った素肌のままの足を擦り合わせ、お互いの素肌に掌を訳もなく這わせ。 情事の疲労に夢現で交わす、重要でもない会話。 その甘い他愛ない時間は、大杉が心配した発情期だけの関係が過ごす時間ではなく、特別で、限りなく恋人と近い関係が過ごす時間だった。

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