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ナギサの話(2)
和臣が放送部の部長だった高校3年の夏の日のことだ。
学校を抜け出して近くのコンビニで買ってきた棒アイスをこっそり放送室で食べていたら、溶けたアイスが塊のまま棒から外れ、見事に放送機材の上に落ちた。
和臣は慌てて塊を排除したが、砂糖まみれの青い液体はみるみる精密機器の中に吸い込まれて行き、専門家を呼んで修理しなければ音も出ないという悲惨な事態になってしまった。
弁償こそさせられなかったが、母親まで呼び出されてこってりと叱られた。しばらく校内放送が入らないその理由は当事者の名前入りで全校に知れ渡り、代々語られる放送部の伝説になってしまった。
ゆえに、固有名詞なのだ。
「江藤アイス事件」は。
「アイス」という単語を避けるため、とっさに「溶けて落ちちゃった事件」と名前を変えて言ったナギサの気づかいに、和臣は気づいていた。頭が悪くないのは、本当だ。
なるほど、あの事件を知っているのなら、和臣が以前からアイスにトラウマがあったわけではないことを知っている理由になる。
一学年8クラス、生徒数850人のマンモス校だ。当時からゲイと自覚していた和臣が、美形の後輩に気づいていなかった可能性もなくはない。
でも、こんな派手な顔のやつが校内にいたら、好みでなくても気づくんじゃないか? 当時は金髪じゃなくて、ピアスもなくて、肌の色ももっと普通で――
和臣は目の前のナギサの顔をまじまじと見て、高校生当時の姿を想像しようとしたが、今の個性が強烈すぎてうまくいかなかった。
「苗字は?」
突然繰り出された和臣の質問に、ナギサは「へっ?」と間抜けな声を出した。
「悪いけど、お前のことは覚えてないよ。同じ学年の奴でも半分も知らないのに、一年じゃあな。でも、苗字を聞いたら思い出すかもしれない。」
「あー、えっとぉ、片平 。」
「おい、真面目に答えろ。」
「だめ?あ、じゃあ、磯野!磯野ナギサちゃん!」
「じゃあ、じゃねえ!」
真面目に取り合うのがばかばかしくなってきた。
結局、ナギサの苗字は佐藤だということで押し切られた。全国200万人の佐藤さんには悪いが、偽名に決まっている。高校の後輩だという話も、信じるに足りない。まったくの作り話ではないにしろ、どこまで信じていいのか、和臣にはわからなかった。
本当は誰なんだ。
どこかしっくりこないのだ。何がしっくりこないのか、自分でもわからないことが一番いらいらした。
ちゃんと話がしたかったのに、ナギサが鍋の支度をするからと、話をむりやり終了させた。
食べ終わったら続きを話そうと思っていたのに、それもかなわなかった。
ナギサが、膝の上にのしかかってきたからだ。
「さぁって今夜も、サービスしちゃうよん?」
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