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月曜日の夜(5)
「俺は信じないよ。」
長い沈黙の後、和臣が、低い声でそう言った。綾人は泣きそうな顔で振り向いた。
「だって、そうだろう?」
和臣は綾人の手から携帯を受け取ると、テーブルに置いた。そして静かに綾人を抱き寄せた。
「こうして、触れられる。触れればあったかいし、話もできる。もしおまえが幽…… いや、その…… 記事が正しいなら、こんなはず、ないだろ。」
「でも、オレ…… 」
事故にあった時のことを、思い出したんだ。強い力で、全身を押し飛ばされる感覚。逆に、そこから和臣のマンションに来るまでのことは、何も思い出せない。
綾人はそれを、和臣に伝えることができなかった。口に出したら、認めたことになる。だから強く唇を噛んだまま、ただ恐ろしくて和臣の腕の中で震えていた。
「何かの間違いだ。だから絶対に…… 」
耳に届く和臣の声も、揺れていた。
「いなくなったりするな。」
強く抱き合った。震える腕に抱かれ、不安なのは和臣も同じだとわかった。ずっとこの腕の中にいれば、離れずにいられるのだろうか。
「綾人…… 」
「…… なに?」
「こんなときに、不謹慎かもしれないが…… 」
言いよどむ和臣に、綾人は顔を上げた。これ以上、不安になるようなことを言われたくない。そう思ってゴクリと唾を飲み込んだ直後、耳に響いたのは思いもよらない言葉だった。
「抱きたい。」
「ふえ…… っ!?」
思わず、変な声が出てしまった。恥ずかしい聞き間違いをしたのかと思い見上げると、和臣は熱を帯びた目で綾人を見つめていた。
「確かめたいんだ。それに、2年半もずっと、綾人を抱きたいと思ってたから…… 」
2年半。
会いたくて、愛されたくて。
身を焦がすような2年半を、綾人も経験した。
拒絶されることが怖くて、初対面の他人を装って近づいた。どんなに気をつけていても、情事の声までうまく装えるとは思えず、恥ずかしい気持ちを押し殺して煌々と明るい部屋で抱かれた。
人間の感覚が、視覚に支配されていることを知っていたからだ。
「ずっと抱きたいと思ってた」和臣はそう言ったけれど、彼は一晩に何度も、「ナギサ」を求めたではないか。
「綾人」ではない自分の身体を何度も貪られた複雑な気持ちを、彼はわかっているのだろうか。
嬉しくて、哀しくて、懐かしくて。
千々に乱れた心を、和臣はきっと、知らずに生きて行くのだろう。
自分がいなくなった後も。
それでいい、と綾人は思った。
自分は和臣が思っているようなきれいな人間じゃない。散々汚されて、自傷行為を繰り返した身体 も。醜い恨みや嫉妬にまみれた精神 も。
でも彼の記憶の中には、きれいなものとして残しておいてほしい。
そして、できれば和臣に、身体だけでもきれいにしてもらいたい……
綾人はそっと背中に腕を回すと、和臣の胸に耳をつけた。規則正しい鼓動に、愛しさと淋しさを感じる。なぜ淋しいと感じるのか、もうわかるような気がした。
「抱いて…… 2年半ぶりに、綾人 を…… 」
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