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第1話 -2

「カイ?」  おずおずとヒカルの隣に座る。  どうしよう、何を話そう。母親の写真に触れる事自体NGなのかどうなんだ。  慎重に言葉を選び過ぎて何を言ったら良いのか分からなくなったカイはとりあえずヒカルの頭に手を置いた。 「なんだよカイ、へんなの」  ぎこちなく頭を撫でてやると、ヒカルは鈴が鳴ったみたいにからから甲高い笑い声を上げる。 (ああ、何か、懐かしい)  一瞬古い記憶が頭を過ぎった。  年下の親戚と遊んだ記憶。彼も明るくてよく笑っていたっけ。もう暫く顔を見ていない。  でも子供は怖い。何を考えているのか分からないし、遠慮も加減も知らない。平気で人を傷つける。  昔はそんな事思っていなかったかもしれない。長い間一人だったからきっと性格がねじ曲がってしまったのだ。  陰湿で、地味で、何の取柄もないつまらない人間。 「だからいらないって言われるんだ」 「だれに?」  ぽつりと無意識に零れ出た言葉。ヒカルの声にはっとして顔を上げるとえーとえーとと取り繕う言葉を探す。 「誰かな……あっ、そういえばヒカルって良い名前だな」 「うん。おれもすき。かーちゃんがつけてくれたんだ」  ヒカルは一瞬きょとんとした顔をした後、にぱりと笑みを顔いっぱいに広げた。 「お母さんが? ……その写真の人?」  言葉を選びながらそう尋ねると、ヒカルはうんと頷き写真をじっと見つめる。 「おれのみらいが、ぱーってひかりであふれますようにって。かーちゃんね、いつでもそらからおれのこと、みまもってくれてるんだって」 「そっか……」  悲しむ素振りを見せず明るく振る舞う子供の姿にカイの胸はずきりと痛んだ。  結局、日が暮れるまでカイはヒカルと一緒にいた。空腹を思い出した腹がぐうと鳴ればお菓子を分けてもらい、幼稚園での他愛もない話を聞き、アニメを見て。  疲れたのだろう、隣に座っていたヒカルは身体をカイに預けどっぷりと眠りについた。 (どうしよう)  カイは困っていた。ヒカルは寝てしまったし、鍵を掛けられないのに黙って帰る訳にもいかない。  安全面を考えると保護者が帰って来るまで待っていた方が良いのだろうが、出来れば顔を合わせずにそっと出て行きたい。  どうしたもんかと溜息を吐く。すると、着信音が鳴った。篭った音。知らないその音はカイのものではない。  どうやらその音はヒカルの鞄の中から聞こえているようだ。 「ヒカル、おい、電話鳴ってる」  ゆさゆさとヒカルを起こそうとするが、余程眠いのかカイの服に顔を埋めて起きようとしない。  一旦途絶えた着信音は再び鳴り出す。子供に掛かってくる電話だ、十中八九ヒカルの保護者――きっと父親だろう。  カイは仕方なくヒカルを自分から引き剥がしてソファの上に寝させると、鞄の中から子供用の携帯電話を見つけ出す。  勝手に出て変質者と思われはしないだろうか。けれど緊急の電話だったら大変だ。子供を心配しているのかもしれない。 『――ヒカル? 今家? びっくりしたぞもう帰ったって聞いて』  思い切って通話ボタンを押す。すると男の声が聞こえた。 「あのすみません、ミナミと言う者ですがヒカル君は今眠ってまして……あっ、ちゃんとアパートにいます」  慌ててそう付け加えると、一瞬間が開く。 『……え? えっ、どちら様?』  訝しむというよりはただ驚いた様子のその相手に一通り説明すると、三十分後サラリーマンが息せき切って帰って来た。 「ほんっとーに申し訳ない!」  深々と頭を下げる男にカイは慌てて首を横に振る。 「やめてください、本当に俺気にしてないんで」  むしろ今気にしているのは目の前の鉄板の上でじゅうじゅうと肉が焼かれそれを他人と三人で囲んでいるというこの現状だ。  すぐに帰るつもりだったが、礼をさせてくれと食い下がられ焼肉屋に連れて来られ今に至る。 「ささ、遠慮なく食べて。ミナミ君って言ったね? 東西南北の南?」 「あー、はい、そうです」  南君かあと男は笑う。男の物腰は柔らかく笑うと優しげで子供とも仲が良く、まさしく良い父親と言った様子だ。  男の名前は龍崎大地と言った。ヒカルは晃と書くらしい。  どうやら今日は連絡の不伝達でいつも受けている午後保育がない事を知らず、晃はバスを降りてからひとりでアパ―トまで帰ろうとしたようだ。そうして間違えてカイの部屋に来てしまったという事らしい。 「おれ、カイのとなりがいい」 「えっ、父さんの隣やだ?! 寂しい事言うなよー晃―」 「とーちゃんうざい。カイ、いっしょにくおー」  晃はそう言うとぴょんと椅子から降りてカイの隣に回る。  にこーっと笑い掛けて来る晃に毒気を抜かれ緊張が和らぐ。 「何かすみません……」 「ううん、晃ったらすっかり君に懐いたみたいだね。親離れって急に来るんだな……」 「いやそれはちょっと違うと思いますけど」  目に涙を浮かべそうな勢いで落ち込む龍崎はどんどん食べてねとカイと晃の皿に程良く焼き目のついた肉を乗せていく。  澄み渡った夜空に月がぽっかりと浮かぶ。帰る方向は必然的に同じで、カイは龍崎と並んで静かな夜道を歩いた。晃は父親の背中の上ですやすやと眠っている。 「南君は大学二年生なんだね。って言ってももう三年生か。春休み?」 「はい。晃君は幼稚園生ですか?」 「そうだよ。でも年長さんだからもうすぐ卒園なんだ。四月からは小学生」  子供の成長は早いもんだねと龍崎はからりと笑う。 (気さくだ……)  龍崎は背が高くて背中も広く、手も男らしくがっしりしているのに顔立ちは柔和で会話にも親しみやすさがあって威圧感を感じさせない。  人に好かれるタイプの人間。  カイは少し苦手だと感じた。 「はあ……」  半日も離れていなかったというのに、数日振りに帰って来たかのような懐かしの我が家。自分の部屋に戻ったカイはのろのろと靴を脱ぐと眼鏡を外し、コートを着たままベッドの上に倒れ込んだ。  今日は疲れた。春期休暇に入ってから碌に人と会話せず引き籠ってばかりいたから、使っていなかった筋肉を使って身体が休息を欲している。  もぞもぞとコートのポケットに手を突っ込み、くしゃくしゃになった紙切れを取り出す。 『これも縁だし、友達になってくれないかな。君さえ良ければまた今度晃と遊んでくれたら助かるよ』  紙切れには龍崎と晃の名前と一緒にメールアドレスと電話番号が書かれている。視力の悪いカイの目にはそれはぼやけて映るが、眼鏡を掛け直す気は今のところ起きない。  カイは眉間に皺を寄せて睨むようにそれを見つめ、暫く悩んだ後紙切れを手放して布団に顔を埋めた。  またね、そう言って去って行った彼の言葉がしこりのように頭の片隅に残り続ける。 (また、会うのかな)  近所とはいえ今まで彼らの存在に気づいた事はなかった。隣でもない限り意識していないし、興味も湧かない。けれど次からはそうもいかなくなるのかもしれない。 (……馬鹿か。あんなの社交辞令だろ。会ったら会ったで適当に頭下げるだけで良い)  本当なら今すぐ電話を掛けて食事の礼をすべきなのだろう。けれど何もかもがもう面倒で、カイはシャワーも浴びずに寝転がったままコートを脱ぎ捨て布団の中に潜り込んだ。

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