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第2話 -2
「南君、どうかした?」
名前を呼ばれてはっと顔を上げる。
気づけば目の前に龍崎が立っていてびくりと身体を揺らした。力の抜けた手の中からケーキの箱が滑り落ちるが、すぐに伸びた龍崎の手によって救い上げられる。
「ふう、ぎりぎりセーフ。ほら、そんなとこ立ってないでケーキ食べよう? 色んなの買って来たんだ」
ほら、とぐいと腕を引かれる。戸惑いされるがまま部屋の中に入ると晃が飛びついて来た。
「カイはー、ここ!」
今度は晃に手を引かれ晃が座っていた場所の隣に座らせられる。
ジャーンと開けられた箱の中には苺のショートケーキにチーズケーキ、フルーツタルトにチョコレートケーキにフルーツの乗ったムースと、色とりどりの華やかなケーキがきゅっと詰まっていた。
(多くね?)
きらきらと輝くケーキ達に圧倒されながら冷静に数を数える。この人甘いもの好きなんだろうかとちらりと龍崎を見ると、ぱちりと目が合った。
「どれ食べる?」
「うーん……じゃあ余ったので」
「駄目駄目、ちゃんと選んで。このタルトフルーツが美味しいよ。チョコのは甘さ控えめだし、チーズも安心定番って感じかな。ムースはミルクと抹茶」
「おれいちごのやつにするーっ」
「はいはい晃は苺ね」
ケーキ用の皿が必要だと気づいて急いで空いた皿を片付け小皿を掻き集める。形も大きさもばらばらの皿の上に一つショートケーキが取り分けられ、晃は目をきらきらさせて苺の粒をじっと見つめた。
「で、決まった?」
「……じゃあ、チョコで」
チョコね、と龍崎は満足そうに微笑む。
龍崎はチーズケーキを選び、晃の隣、カイの向かいに座る。
「それ美味しい?」
「はい。美味いです」
スポンジやチョコ、ムースが何層にも重なったそれは初めて食べる味だった。スポンジがほろ苦く色んな食感が混ざり合い、ソースの酸味に舌が刺激される。
ありがとうって言わなきゃ。口を開き掛けた時、視界にフォークが伸びて来た。
「もーらい」
ぐさりとケーキの端にフォークが突き刺さり、綺麗に切り取られたそれは龍崎の口の中へ。
「へえ、ラズベリーが効いてて良いなこれ」
美味しいね、と言う龍崎にカイは戸惑う。ああラズベリーって聞いた事はあるけどこういう味だったんだ。戸惑いながらそんな事を考えていると突然自分のフォークを奪われそれを目の前に突き付けられた。今度はチーズケーキの切れ端が刺さっている。
「お返し」
食えと、有無を言わさないその笑顔にカイはぴくりと眉を顰める。どうすれば良いんだ。まさかこのまま食らいつけとでも言うのか。
内心汗だくになりながらフォークを受け取るという妥協点を見つけ、もそりとチーズケーキを口の中に放り込む。
「美味しい?」
「……はい」
龍崎が自分でつくった訳でもないのに、良かったと龍崎は嬉しそうに微笑んだ。
おれもおれもと騒ぐ晃に龍崎はカイにしたように今度は自分のフォークで小さくチーズケーキを切り取り晃に食べさせてやる。
口の中にほろりとチーズが蕩ける。
食感は軽いのに濃厚なそれが口の中に広がって、さっきまで口の中にあった苦さや酸っぱさは殆ど消え失せていた。
「ネル」
「はい?」
残ったケーキも三人で分けて食べていると、突然龍崎が謎の言葉を発した。
何事だと龍崎に目を向け、彼の視線の先を追う。
「『ネル』だ!」
わっと興奮する龍崎にカイは面食らい、龍崎の視線の先にあるのがCDだと気づくとカイもまた嘘だろと目を見開いた。
カイの趣味はゲームだが、音楽も好きでCDラックには中学生の頃から買い集めているCDが山程詰まっている。
中でも『Knell(ネル)』というバンドに至ってはシングルからアルバムまですべて揃える程熱中しているのだが、マイナーで表立った活動もあまりしていない為音楽好きの中でも知らない人間は多い。
だから龍崎が『ネル』を知っていて驚いた。しかも好きなのだと言う。
今までは掲示板やSNSで隠れた同志と軽く語り合うだけだったが、初めて出会う生身の同志にカイは興奮した。
蓋を開けてみれば音楽の趣味自体結構似ていて、それからは『ネル』の話に留まらず互いにCDの貸し借りをしたりと龍崎との距離は少しずつ縮まっていった。
連日やって来る晃と遊ぶのも慣れたし龍崎の帰りが遅い時には代わりに夕飯をつくって晃と食べ、帰って来た龍崎にもついでだからと夕飯を出して音楽の話をし、眠った晃をおんぶして龍崎が帰っていく。
龍崎や晃に呼ばれて彼らの部屋へ行く事もあった。そういう時の食事は大概出来合いのものか外食だ。
こうした付き合いの中で気づいた事だが、龍崎はあまり料理が出来ないらしくいつもの食事はカレーやつくられているものが多いようだ。龍崎は龍崎なりに晃の 栄養を考えて選んでいるらしいが、デパ地下で売っているような高級惣菜品を躊躇いなく買い過ぎるものだから呆れる。龍崎は適量と言う言葉の意味を知らない に違いない。
人の家の食事をとやかく言う権利はないが、それでも気になってしまうものだ。たまに自分がつくろうかと恐る恐る申し出れば例えそれが不格好でいまいちな出来でも二人は喜んで食べてくれる。
そうやって音楽以外の会話も食事のレパートリーも下手なりに少しずつ増えていった。
そして毎日のように彼らと顔を合わせる事早十日。
元々子供は苦手だったし頻繁にやって来る晃に我慢ならなくなるのではと些か不安だったが、手放しの好意を向けられていると分かるから憎むに憎めない。懐かれて嬉しくない訳がないのだ。
龍崎に『カイ君』と呼ばれる事にも慣れた。僕の事も名前で呼んでと龍崎は言ったが、一回りも年上の龍崎をそんな風に呼ぶのは何だか気恥ずかしくて同じようには呼べていない。
こうして面倒だと思っていた彼らとの付き合いは、いつしか楽しいと感じられるようになっていた。
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