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(あー、よく寝た。今何時だ?)
壁に掛けてある時計を見上げると、祥が眠りについてから三十分以上が経っていることが分かった。
(うわ結構寝たな。園山、気ィ遣って起こさなかったのかな)
まだ寝ていたいという欲求に後ろ髪を引かれつつ体を起こす。
(あれ?)
しかしそこに彼の姿は無い。トイレにでも行ったのだろうかと思い正面に向き直ると、園山も畳の上に横になっているのが視界に入った。ちゃぶ台の影になって姿が見えなかっただけのようだ。
(なんだ、こいつも寝てたのか)
勉強を再開しようとペンを握るが、ふと園山の無防備な姿が目に映る。
その気持ちよさそうな寝顔に惹かれるように、そばへと寄った。
(ほんと、何でヘッドホン取らないんだろ)
寝ている間もそれを付けていることを疑問に思うと同時に、今ならば外せるのではないか、ともう一人の自分が囁きかけてくる。
(いや駄目だろ。これじゃ無理やり外すのと同じだ)
自分自身に反抗するが、少しなら大丈夫かもしれないという誘惑に負けてしまうのも、時間の問題だった。
そして好奇心に抗えなくなった祥は、そろそろと園山の顔に手を伸ばした。
心臓の鼓動が速まる。
ヘッドホンに手をかけ、ゆっくりと外していく。
ほんの数秒が何十倍にも感じられた。
「――――ふぅ」
やっとのことで外し終わると、詰めていた息を吐き出した。
だがヘッドホンをちゃぶ台の上に置こうとしたとき、そこに繋がっているコードが園山の顔に当たってしまう。
(うわ、あっぶね! ここで起きられたらヤバイッ)
祥は中途半端な体勢のままで動きを止めるが、幸い園山が起きることはなかった。
次に園山の服の胸ポケットへと延びるコードを引っ張り出していく。だがその先には携帯電話や音楽プレーヤーの類のものは繋がっておらず、ヘッドホンプラグがぶら下がっているだけだった。
(やっぱり音楽聴いてるんじゃなかったんだ)
今度こそヘッドホンをちゃぶ台に置き、園山の顔を覗き込む。
心臓の拍動は高鳴る一方だ。
(あ、意外とまつげ長い)
閉じられたまぶたを縁取るそれがこんなに長いとは、至近距離でないと気付かなかっただろう。
(うわ、髪さらっさらだなー)
小学生の頃から水泳をやっている祥からすれば、園山の真っ黒で滑らかな髪は少し羨ましかった。
(ちょっとだけなら、触ってもいいかな)
柔らかそうな髪に、手を触れたくなってしまう。震える指を伸ばし、そっと撫でてみた。
(おぉー! なんだこれ、すっごく良い触り心地)
自分のものと比べてみるが、自分が水泳をやっていなかったとしても、こんなにさらさらした髪にはならなかっただろう。
(肌も白いなー、こいつ絶対にインドアだもんなぁ)
学校のプールは屋内にあるためほとんど日焼けすることはなく、祥もどちらかというと色白の方だ。だが園山は黒い髪のお陰で、白い肌が余計に目立って見える。
髪の毛をいじっても起きないため、今度は顔を触ってみたくなってしまった。頬をつつこうとして、音を立てないように手を近づけていく。
もう少しで指先が触れる。その瞬間、園山の目がうっすらと開いた。
「んん……うる、さい」
「――ッ!」
驚きのあまり口から心臓が飛び出してしまうかと思ったが、なんとか大声は出さずに済んだ。祥は一言も言葉を発していないのに、『うるさい』と言われる理由が分からなかったが、焦りと動揺でそんなことを考える余裕は無かった。
寝返りを打とうとした園山は、ヘッドホンが無いことに気付いたのだろう。耳のあたりを探っている。
(ど、どうしよう、この状況……)
心の中で呟いた途端、園山がはっとしたようにこちらを向いた。
「……どこ」
「――えっ?」
「俺のヘッドホンはどこッ!? 井瀬塚!」
そう叫ぶ園山は、耳を塞いでうずくまっている。こんなに大声を出しているのは見たことが無い。
柄にもなく取り乱す姿を見て、祥もこれはただ事ではないと察する。
「こ、ここにあるけど」
ちゃぶ台の上に置いたヘッドホンを差し出すと、園山は起き上がり、祥の手から奪うようにして取り上げる。
それを耳につけた園山は、ようやく平常心を取り戻したように見えた。
「ごめん、いきなり大声出して」
「い、いや、人の物勝手にいじった俺が悪いんだから、お前が謝る必要はねーよ」
「ううん。井瀬塚は悪くないよ。俺が、いけないんだ……」
「そんな、こと……」
だんだんと語尾が小さくなり、ついには二人とも黙り込んでしまった。
気まずい空気に堪えられず、祥が先に沈黙を破る。
「あぁもう、この話は終わり! なんか知らねーけど、お前も悪いって思ってんならお互い様だ。どっちも悪いしどっちも悪くない。それで良いだろ!」
「うん。そうだね……」
このままどちらが悪いと言い合っていてもらちが明かない。
どうやら祥の言葉に園山も納得してくれたようなので、あまり深く考えこむのはやめた。
「よし、テスト勉強始めよーぜ」
「うん。そろそろ古典とかやろうか」
「そうだなー。古典も苦手だけどやらなきゃいけないし」
化学の教科書をしまい、今度は古典の教科書と単語帳を出す。園山も同じく勉強モードに入ったようだ。
さらにノートを取り出そうとした時、部屋の外から母の声が聞こえてきた。
「祥、優梨くんが来てくれたわよ。入ってもらうわね」
「えっ、優梨?」
襖を開けて入ってきたのは、紛れもない幼馴染の姿だった
優梨とは家が近所なので、互いの家を行き来することは少なくない。だが何の連絡もせずに来たのは、これが初めてだった。
「あれ、園山も来てたの?」
「お前、何しに来たんだよ」
「いやー暇でさ。祥に構ってもらおうかと思って」
「暇ってお前、テスト近いんだぞ」
「まあいいじゃん。細かいことは気にすんなって。――あー、それにしてものど乾いたなぁ」
「はいはい淹れてくるから待ってろ。園山、ごめんな」
わざとらしい台詞に図々しい奴だと思いつつも、これが優梨の通常運転なので、祥は渋々立ち上がり二人を残して部屋を出た。
(あいつは麦茶でいいか)
いつもなら客人にはちゃんと緑茶を淹れているところだが、そこまでする必要はないだろうと、冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出す。
(あれ、グラスどこだっけ)
客用のグラスが見当たらない。食器棚を漁っていると、玄関の方から物音がした。母が買い物にでも行ったのだろう。
「お、あったあった」
祥はようやくグラスを見つけ出すと、麦茶を注いで台所を離れる。
だが部屋に戻ると、そこには優梨の姿しか見当たらなかった。
「あれ、園山は?」
「なんか帰っちゃった」
「はァ? 帰った!?」
思わずグラスを落としそうになってしまう。さっき玄関から聞こえてきた物音は、園山が帰った時のものだったのだ。
「何で帰ったんだよ」
「急用ができたんだと」
「そうか……」
なぜ、祥に何も言わずに帰ってしまったのだろう。一言告げてくれてもよかったのに。
その事実が、あまりにもショックだった。
部屋の入り口で立ち尽くす祥に、優梨が声をかける。
「祥? どうしたの」
「……なんでもない」
(明日、あいつに直接聞いてみよう)
今は園山が帰った理由を突き止める方法がない。明日また学校で会えるのだから、それまで我慢することにした。
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