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「うちの子、もうこれで九本……十本目よ」  母親同士の会話で、陽翔の母親がそう言っているところを、たまたま聞いた。傘の話だった。なくすのを含め、小学校に入学してからの三年間で九本、傘を駄目にしたらしかった。 「朝雨が降っていても、夕方やんでしまったときが最悪なの。持って帰ってきなさい、ってどれだけ強く言っても、絶対忘れてくるんだから。そしたら次の日、また新しい傘を渡さないといけないでしょう? 保護者会の帰り、私、三本持って帰ったことあるわよ。でも帰ってから見てみたら、ぜーんぶ骨が折れているの」 「男の子はそういうものよねえ。ちゃんと真っ直ぐ傘を持って歩いてる子、見たことないもの。振り回したり引きずったり……」  蓮の母親はそう同調していたが、蓮は傘を駄目にしたことなど一度もなかった。  ある雨の日陽翔は、バカでかい傘を差していた。プラスチックではなく木でできたハンドル、つややかな黒の布地。ひらくときは、ジャンプ傘のように一気にボンッとひらくのではなく、厳かな儀式のように、すうっ、とゆっくりひらいていく……。子どもながらに、高級なものであることがすぐに分かった。  どうやら陽翔はまた傘を全部どこかにやってしまって、その日はしかたなく父親の傘を借りてきたらしかった。 「すごい……大きいな」 「だろー? だから全然濡れないんだ!」  ためしに持たせてもらったが、大きすぎてバランスが取れなかった。けれど陽翔は、蓮より小柄だったのに、器用に首で支えるようにしながら片手で持ち、いつものように急に走り出したりしゃがみ込んだり、くるくる回ったりしていた。陽翔が回るたび、ぶわっ、と風が起きた。やめろよ、と言うと逆に陽翔はしつこく何回もやった。  それからしばらく陽翔はずっとその傘を使っていた。母親としてはやめてほしかっただろうけど、どういうわけか陽翔はその傘だとちゃんと持って帰ってくるし、どこかに忘れたり、乱暴に扱ったりということもない。だからいつの間にかその傘は、陽翔のものということになってしまったようだった。  陽翔は気に入っていたかもしれないが、蓮は少し、不満だった。  大きな傘を手にした陽翔はまるで、強い武器を手にして気が大きくなるのと同じで、「お前のじゃできないだろ」と誇示するように、ばっさばっさと風を起こしてみせた。  それに、狭い道だと傘同士がぶつかって、並んで歩くことができない。前からひとが、後ろから自転車が来るたびに陽翔の後ろに回って避けていると、何やってるんだ、と怪訝そうな顔をされた挙げ句、早く来いよと急かされた。こういうことに鈍感でいられる陽翔が羨ましかった。  ようやく広いところに出て、陽翔の横に並ぼうとした瞬間、陽翔が急に振り返ったせいで、危うく骨の先が目に当たりそうになった。「わあっ」と飛びすさった蓮を見て陽翔は、けらけら笑った。それでとうとう、我慢の限界が来た。

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