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第4話

「あっつ……」  蝉の声がうるさい。西日が射し込む時間になっても、蒸されるような暑さは変わらない。  あれから三日。傘を持って公園に来てはみたけれど、男にはなかなか会えないでいた。    暑そうに息を荒げているビーを見かねて、蓮は片隅にある水飲み場へ向かった。  ボディバッグから出した小皿に水を汲んでやると、飛びつくように飲み始めたビーの背中をぼんやり眺める。    傘、どうしよう。晴れているのに毎日持ち歩くのはいい加減恥ずかしい。もう会えないのかも。それはそれで仕方ないけど。    複雑な気持ちでふと視線をあげた瞬間、公園の反対側の入り口から見覚えのある男が歩いて来るのが見えた。 「あー!!」思わず飛び出した大声に、考え事をしていた様子の男がはっと顔を上げて蓮を見る。視線がかみ合った。 「あの! ちょっといいですか!」 「あれ? もしかしてこの前の」  男は柔らかい笑みを浮かべて蓮に歩み寄ってきた。今日は黒のTシャツと色褪せたジーンズ姿だ。よかった、会えた……蓮はほっとして胸をなでおろす。 「また散歩?」 「はい。……あ、この前はありがとうございました。傘返したくて」  持っていた傘を差し出すと、男は驚いたように傘と蓮を交互に見る。 「え。これ俺に会うまでずっと持ち歩いてたの?」  こくりと頷くと、男は目を丸くした後ぶはっと盛大に吹き出した。 「はははっ! きみ、律義だな。今時めずらしい」 「そ、そっちが傘なんて貸すから! あんな雨の日に借りたら、気にするじゃないですか!」  笑われてしまったことがいたたまれなくて、蓮はついむきになって声をあげた。その顔をみた男は、再び可笑しそうに口元をゆるめる。 「ごめんな、笑いすぎた。ありがとう」 「いえ……こちらこそ。ありがとうございました」  蓮の手から傘を受け取ると、男は足元で一心不乱に水を飲んでいるビーに目を止めた。 「シーズーっていうんだっけ。何て名前?」 「えっと、ビーです。オスだけど本名はビヨンセ。姉がつけたんですけど」  本名なんて言う必要は無かったけれど、笑ってくれるかなと期待してつい口にしてしまった。案の定、男は白い歯を見せて爆笑している。 「ははっ! すげえセンス」  意外と笑い上戸なのかもしれない。笑うと目元にできる笑い皺を発見して、やっぱりこの人かっこいいなと、胸がとんと弾む。    男は向井修司(むかいしゅうじ)と名乗った。  ベンチに並んで座ると、遠くの山に西日が沈みかけているのが目に入った。 「へー、東京の大学なんだ。学部どこ?」 「文学部です。本読むの昔から好きで。国語の成績だけは良かったんです、俺」 「意外だな。今どきの若い子って感じだから、本とか読まねえんだろうなって思った」 「それ、完全におじさん世代の偏見ですよ?」 「おじさんて俺まだ二十八だけど。まあ、片桐くんから見りゃおっさんだよなー」 「あ! 発言が、です。向井さんはおじさんには見えないです」    慌てて弁解する蓮を見て、修司は楽し気に笑う。会って間もないのに自然に話が出来ていることが意外で、蓮はそんな自分に戸惑いを覚えた。 「あの、向井さんは何してる人なんですか?」 「俺? ……物書きの、はしくれ」 「え、すごい! 小説書いてるんだ」 「全っ然売れてないけどな。二年以上なにも書けてねえし」  蓮は修司の整った横顔をこっそり見つめた。形よく通った鼻筋とわずかに口角の上がった唇。何より、気だるい静けさに満ちた黒い瞳に惹きつけられる。  雰囲気からして普通のサラリーマンではなさそうだとは思ったけれど、蓮が想像する気難しそうな小説家のイメージともほど遠かった。この人の書いた小説を読んでみたいと、好奇心がむくむくと湧いてくる。 「あの。よかったら向井さんの小説、読ませてくれませんか」  修司がぎょっとしたように蓮に視線を向けた。 「本気で言ってんの? 物好きだな」 「読んでみたいです」  じっと目を合わせると、修司は降参したように息を吐いた後、にやりと笑った。 「ま、いいか。俺も片桐くんに読んでほしくなった。ちょっと家に寄ってくれるか?」

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