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第9話

 それから、修司のアパートに遊びに行くことが増えた。本の感想を伝えに行くことが多かったけれど、何も用事が無いときでも、修司は言葉通り嫌な顔ひとつせず迎えてくれる。  修司が仕事でパソコンに向かっているときは、蓮は部屋の片隅でひっそり本棚の本を読みふ けった。どの本も面白くて刺激的で、なにより修司の好きなものに触れていると思うとわくわくと胸が弾んだ。  日向と畳の匂いと程よい空調。机に向かう修司の広い背中。  遠くから聞こえる蝉の声と、時折キーボードを叩く乾いた音だけが響く。  世界から切り取られたように明るく静かな部屋の片隅で、蓮は心地よさに目を閉じる。  ――ずっとこうしていられたら、どんなに幸せだろう。 「蓮?」  修司の気配が近づいてきて、はっと目を開けた。本棚にもたれたまま眠ってしまったことに気付いて、慌てて目をこする。 「あ……すみません。俺、寝てました?」 「うん、寝てた。爆睡してたな。気持ちよさそうだった」  修司は蓮を見下ろすと、からかうような笑みを浮かべた。  寝てる顔、見られた。蓮は顔を赤らめる。 「う……修司さんの部屋が居心地よすぎるのが悪いです」 「はは、そりゃよかった。起こしてごめんな。まだ寝てていいよ」  布団あるし。とさらりと続いた言葉に、蓮は動揺のあまり動きを止めた。一瞬頭を破廉恥な妄想がよぎり、布団? と口の中で繰り返して違う違うと正気に戻る。  修司にしてみれば蓮を気遣って出た自然な発言で、完全に意識しすぎている自分が恥ずかしい。 「……俺、今日は帰りますね」  気恥ずかしさに耐えきれず、蓮は立ち上がった。 「もう? なんだ残念。蓮がいてくれると捗るんだよな」 「そんなこと言われたら、また来ちゃいますよ」 「いいよ。いつでも来いって言ってるだろ」  ぽんと、子供にするように頭に大きな手が置かれた。  ――俺、本当に単純だ。蓮は熱い頬を意識する。  その言葉が、優しい目が嘘じゃないって分かるから、死ぬほど嬉しい。  はい、と頷いた拍子に、本棚の一番下に置かれた一冊の本が目に留まった。修司の名前が入っているけれど、読ませてもらった記憶がない。 「あの。これ借りていってもいいですか? まだ読んだことないから」 「ああ……」  タイトルを目にすると修司の顔が曇ったように蓮には見えた。違和感を感じたけれど、それは一瞬で。修司は文庫本を抜き出し、何事か考えるように表紙を見つめた後、蓮に手渡した。 「いいよ」   ◇◇◇ 『ジムノペディ』というその小説は、青と薄紫の柔らかいデザインの表紙をしていた。  変わったタイトルが気になってインターネットで調べると、エリック・サティという作曲家によるピアノ曲らしい。  ベッドに寝転がって何気なく読み始めた蓮だったが、次第に落ち着かなくなって体を起こした。恋愛小説だった。男性と女性の両方に惹かれてしまった主人公の迷いと決断が描かれた、心を焦がすような恋の物語。時折ページをめくるのを躊躇するくらい、赤裸々な。    冷静な語り口は他の作品と変わらないけれど、何かが違うと蓮は感じた。抑えきれない感情が文字の隙間から滲み出てくるみたいだ。  読み終わった後も余韻が抜けず、くらくらしたまま蓮は天井を見つめた。  これ、あの人が書いたんだ。飄々としていて執着とか独占欲とか、そんな激しい感情を持っているなんて欠片も見せない修司が。小説なんだと、フィクションのはずだと頭ではわかっている。けれど。  こんな風に想われたら、どんなに幸せだろう。こんなにも激しくて純粋な想いで求められたら。  主人公に修司の姿を重ねると息苦しいほど胸が震えて、蓮はぼすっと枕に顔を埋めた。自分でも分かるほどの顔と身体の熱さに、戸惑いながらも確信する。  ――どうしよう。間違いなく俺、あの人に恋をしている。  

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