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第2話 火曜日

 科学部の活動日は、月曜と水曜だけだ。しかし、僕は実質毎日、理科室に入り浸っている。一人のときは、宿題を済ませたり本を読んだり、そんな風に過ごしていることが多い。ただ、一人の場所が落ち着く。それだけだった。  一人になりたいなら、自分の部屋に早く帰ればいいじゃないか。普通はそう思うだろう。ただし、そうじゃない人種もいる。そのうちの一人が、僕だ。  今日は、苦手な英語の宿題から片付けてしまおうか。理科室の、数人用の大きなテーブル。僕は窓際のテーブルを選び、荷物を置き、ノートを広げた。移動中はあんなに忌々しい雨が、今は心地よいBGMになっている。  しばらく雨音の中で英文を書く手を進めていると、遠くで派手な物音がした。とはいっても、妙に高い、カン、という音だ。音のした方はどこだろう。思わず手を止めて、窓から外を見る。  眼下に、見覚えのある姿を捉えた。麻野だ。コンクリートの上に、昨日のあの竹箒が投げ出されている。さっきの音は、あれを投げつけた音だろうか。  イライラした様子の麻野は、気を取り直して箒を拾う。しかし、雨で濡れてどろどろになった砂は、あの箒では上手く集まってくれない。見ているこちらが焦れったくなる。はあ、と溜め息を吐き、僕は理科室を出た。  第二校舎の入り口に、たしかデッキブラシがあったはずだ。あれならまだ掃除しやすいだろう。そう思った僕は、誰かが殴ってひしゃげた掃除用具入れからそれを取り出し、彼の元へと向かった。 「これ使ったら?」  僕の声は、相も変わらず冷たかった。それもそうだろう。僕は、麻野のような人間が嫌いだ。粗野で品がない。さっきだって、物に当たっていたじゃないか。 「こっちは勉強してるんだ。君が箒を投げる音がうるさくて、集中できないよ」  僕の嫌味な言い方に、相手も敵意を露わにする。麻野は僕の手からデッキブラシを奪った。 「ああそうですか。すいませんね、優等生さんよ」  よく見れば、彼のシャツが雨でびしょびしょだ。いくらなんでも、こんなびしょ濡れになるまで掃除をさせる教師がいるだろうか。 「先生に、掃除を言いつけられたのか?」 「いや、違うけど」  麻野は平然とそう言い、泥を搔き集めては端に寄せていく。 「じゃあ何で?」 「俺がやるって言っちまったから」  先ほどまでの嫌味な空気は、自然と消えてなくなっていた。その代わり、麻野の口からは愚痴が零れ始める。 「知らねえよ、梅雨とか。こんな雨降るなんて思わねえだろ。先週まであんなに晴れてたくせによ」  麻野は、先週の金曜に担任と言い合った末に、『来週一週間、一人で掃除してやる』と言い張ってしまったのだという。 「普通知ってるよ。この時期に梅雨が来て、雨が降ることくらい」  天気予報でも言ってたじゃん。馬鹿じゃないの。そう言おうかと思ったが、文句を言っている割には真面目に掃除をしているその姿を不思議に思い、思わず口を噤んだ。腰を落とし、少し前のめりになった背に、雨でシャツが貼り付いている。 「風邪、引いちゃうんじゃないの」  僕は依然として、雨の当たらない屋根の下にいる。 「これくらいで風邪引くかよ」 「いいから、こっち来な」  麻野の腕を引く。僕のシャツも、少しだけ雨に濡れた。向かう先は、理科室だ。 「これ着て」  理科室に置いたままの僕の荷物。その中から、体育着を取り出した。体育の授業はどうせ雨で中止だろうと思ってはいたが、念のため持ってきていたものだ。 「脱いで。早く着ろって」  そう言って体育着を押し付けるとき、麻野の目を見てしまった。よく見ると、赤くなっている。 「君、泣いてるのか……?」  驚いてそう問うと、麻野は嫌そうにそっぽを向く。そそくさと着替える彼の背は、掃除をしていた先程よりも酷く小さく見えた。 「何泣いてんだよ、君おかしいぞ」  また、余計なことを。そんな風に思っても、口に出してからでは遅い。 「うるせえな、ほっとけ」  着替えを済ませた麻野は、脱いだ服を掴み取り、乱暴な足取りで理科室を出て行ってしまった。  自分のスマートフォンを落としたことにも気付かずに。

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