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第19話

 高校時代に原付きバイクの免許を取得し、家出をするまで乗っていた為運転は慣れていた。章良は島の東側地区にある家と家の間の細い路地を乗り回し、玄関や電柱に貼り付けられているチラシを剥がして行く。バイクが乗り入れない細い階段も入り組んでおり、そこは走って回った。  小さな島だと言っても、一昔はこの周りの小島の中では一番人口も多かっただけあり住宅数はそれなりの数がある。その分空き家になった家も多く、その空き家にも張り紙がしてあった。  一体どれだけの人数でこれほど一気に貼る事が出来たのかは解らないが、一人では出来ない仕事なのは確かだ。複雑に入り組んだ路地の奥の裏側にある古い家までは貼られていない所を見ると、どうやら貼り付けた人物はこの島に詳しい人間では無い事だけは解った。  これをやった大元の人間は誰なのか、考えるまでも無く阿川だと確信している。 (彼は周りから人を追い詰めて行く……かつて僕がそうされてたから)  真琴のあの時の言葉が蘇って来る。周りから攻めてターゲットを孤立させ、有無を言わさず従わせる。  章良は眩暈を覚えるほどの怒りで、全身の血液が沸騰しそうになった。どれだけ真琴を苦しめたら気が済むのか……恐らく真琴がどんなに苦しんでもあの男の気持ちは満たされないのだろうと思った。  自分の手を煩わせずに他人の命を奪うにはもっとも有効な手段だからだ。真琴があの男から逃げるには自ら命を絶つか、一生あの男への忠誠を誓い食い尽くすかの二択しかないと、精神的に追い詰めて行く。 「ぜってぇ渡さねぇ!」  章良が、この島の一番高い山の公園に入り口まで上って来た時、ポケットに入れてあるスマートフォンが着信を告げた為、一旦バイクを止めてディスプレイを見ると、植田商店の信照だった。 「わりぃ! 今急いでんだ」 「解っとる、チラシじゃろ? 透也さんが店に来て今皆で回収しよるって聞いたけぇ、わしもてごしてんだ! アキは今何処におる!?」 「今、あの弁当食べた公園の入り口だ!」 「そがいな所まで貼っとるのか!?」 「解らん! 今入り口に着いたばかりで電話があったからまだ公園内は確認してねぇんだ」 「解った! 後はオレがそこから回るけぇアキは直ぐになぶらへ行け! 漁師が見知らん男数人がなぶらに入るのを見たんじゃげいうとる!」 「なぶらに!?」  信照の言葉を受け、それまで沸騰していた章良の血液が一気に頭の上から氷水を掛けられたかの様に冷えて行くのが解った。 「ああ! チラシの回収はオレ達に任せろ、辰さんも駐在さんと消防団仲間連れて直ぐなぶらへ向かう言いよるで、アキも直ぐに向かえ!」  章良は返事もせず電話を切り、バイクに跨がったまま前輪だけ持ち上げ一気に反転させアクセルを吹かせた。コンクリートで出来たガタガタの坂道や、階段になっている中央のフラットな部分を器用にバイクを乗りこなし下りて行く。  もし、真琴の身になにかあったら、相手に対して手加減する自信は無かった。 「マコちゃん! 無事でいてくれ!」  静かな島の住宅街に似つかわしく無い荒々しいエンジン音が駆け抜けて行った。  ◇◇◇ 「…………」  罰があたった――真琴は手にしたチラシを見つめながら、立ちすくんでいた。    早朝に店の外で何かの気配を感じ、中から店の入り口を見ると磨りガラスになっている部分が何かに覆われているのが解った。人の気配が無くなってからそっと扉を開けて確認した時は、一瞬何の紙だろうかと良く見ずに剥がし、きちんと内容を見て背筋が凍りついた。  それは、都会では良く見かける様なピンクチラシで、所謂、風俗営業の宣伝の様な物に近いデザインだったが、中央に大きな写真と、文章の間に散りばめられた写真は女性では無く、あられもない自分の姿だった。 「…………はっ……は……」  途端に呼吸が乱れ、手足が痺れてガクガクと震え出す。中央の大きな写真には手首をガムテープで固定され足を広げた真琴と、男の背中が写っている。男の顔は見えず確認出来ないが元働いていた店の二つ上の先輩だと言う事は一目で解った。 「……こんな……撮られてたなんて……知らな……」  周りの少し小さめの写真には、全裸のあらゆる角度で抱かれている自分だったが、最後の一枚に載っていたのは雨上がりの中、背の高い男に抱きついている真琴と、背の高い男の顔だけクローズアップされた写真だった。 「……うそ……そんな」  そこに書かれている言葉は、声に出す事も憚れるほど卑猥な単語が羅列しており、その写真の流れと文字から知らない人間が見ると、あたかも章良が真琴を蹂躙している様に読み取れる。 (罰があたったんだ……僕が、浄水君を好きになってしまった罰だ……孝史の性格を一番思い知っていたのは僕自身なのに………………)  真琴が店の周りの家を確認すると、チラシが貼り付けてあったのはこの店だけでは無い事が解る。三軒両隣の家に貼り付けてあったチラシだけを剥がして、それを手にし店内へと入って入り口を閉めた。  島の朝は早い。人々は陽も上がらない早朝から動き出す為、このチラシを目にした島民は一人や二人では無いだろうと言う事は想像に容易い。絶望と言う重い緞帳がゆっくりと下がって行き、言いようのない憔悴感に襲われる。  タイミングを合わせたかの様に、店内にある振り子時計の時刻を知らせる音が鳴り響く。それは、まるで自分の人生の終わりを告げる音の様だと思った。     (…………もう……疲れた……もう、無理だ)    立ち尽くす真琴の手から、ハラリと音も無くチラシが店の床へと落ちた。  ガタガタ――大きな音と共に明らかにガラの悪そうな男が三人ほど店内に入って来た。その男達の顔は真琴の知る人物では無かったが、後から入って来たのは真琴の元彼氏である阿川本人だった。 「……孝史」 「よう、宣言した通りまた来てやったぜ」  目の前までやって来た孝史を見ているが、その真琴の瞳からは全ての光が消えたかの様に霞みがかかっており、表情もまるで蝋人形の様に表情や生気も感じられない。 「このチラシ見たか? 良く出来てるだろう、ああ? これをこの島の家や電柱に丁寧に一枚一枚貼ったんだぜ? お前の事を良く知らねぇジジイやババアに坂下真琴はこんな奴だぜって。これは事実だ、これまでお世話になった人達にちゃぁんと本当のお前を知ってもらって、サヨナラの挨拶しなきゃな。それが世間一般の礼儀っちゅうもんだ。ん? 嬉しくて声も出ねぇか?  言ったろ? お前はオレからは逃げられねぇって、態々こんな汚ねぇ島に二度も足を運ぶ事になるとはな、これで良く解ったろ……お前の居場所は何処にもねぇんだよ」 「…………」  確かに耳から声は聞こえていたが、その声が言葉として真琴の頭の中に留まる事は無く通り抜けて行く。わんわんと耳鳴りの様な音が一体何を形作るのか完全に脳が拒否をしている。  もう、どうでも良いし、何でも良い――ただ……消えてしまいたい。 「そうだ、これはお前のパスポートだ」  そう言って、隣に立っている男が持っているクラッチバッグの中から取り出したのは、青い表紙に刻印がしてあるパスポートだった。中にはちゃんと真琴の写真が貼ってあったが、名前や年齢が全くの別人になっている。 「オレと一緒に、ちょっと長いバカンスへ行こうじゃないか」  魂の抜けた様な顔をした真琴を見ていた孝史が、突然真琴の腕を掴み引き摺りながら座敷の襖を開けた。 「ほぅ! 良い具合に布団があるじゃねぇか、なんだ上で寝泊まりすんのは辞めたのか? あのアルバイト君は二階か?」 「……誰も……いない……あの子はクビにしたから……もうここには居ない」 「あっそ!」  孝史は真琴の身体を軽々と放り投げ、座敷の布団の上へ転がし、店の土間に立つ男三人へ(そこで見ていろ、良いもの見せてやる)そう言い口の端を引き上げニヤけた顔をし、土足で座敷へと上がって来た。  章良は、放り投げられた人形の様に逃げる事も、顔を向ける事も無く、ただ虚ろな目で壁を見ていた。孝史はそんな真琴を満足気に見下ろしながら、真琴のズボンをずり下げ片足だけ脱がせて、自身はベルトを外しファスナーを下ろす。 「どうした真琴、この前の威勢は何処へいっちまったんだ? あ? あの時のお前の目つき良かったぜぇ、ゾクゾクした」  足を掬う様にして思いきり左右に広げられ、土間に並ぶ男から見える位置に擦らし、真琴の固く閉じた後孔へと自身の猛ったペニスの先を当てる。 「悪いな真琴、生憎オイル持って来てねぇんだわ、ちょっと痛いかもしんねぇけどまあ裂けて血が出るくらいだ。でも、お前は痛い方が感じるんだもんな」   後孔の入り口に当てられたペニスの気配を感じたと同時に、それまで止まっていた真琴の心の一部が少し動いた。途端にポロポロと涙が溢れ出す。 「おいおい、泣くほど嬉しいってか?」  嬉々とした孝史の声が店内に響き、店内の男達もドッと笑っているが、真琴の耳には全く届いてはおらず、ただ視線の先にある丸い物を凝視している。  真琴の視線の先にあったのは、どうしても食べる事が出来ず、大切に枕元に置いてあった赤く色づいた桃だった。  大雨の中、少しも濡らさず大切に護ってくれていた桃。少しでも長く彼の愛を感じていたくて、彼の言葉の様に甘く優しい香りを感じていたくて、一つだけ食べずに残しておいた。   ――マコちゃん、大好きだよ――    ――……浄水君……ごめんね……応えてあげられなかった――    真琴は、桃を瞬きもせず見つめながら、声も無く表情も変えずにただ静かに涙を流し続けていた。   【続】  2019/08/08海が鳴いている19  ※この物語はフィクションです。実際の人物-団体・事件とは一切関リはありません。この物語は犯罪を教唆、扇動するものではありません。  八助のすけ  

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