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第21話

 ドッドッドッドッド ドッドッドッドッ    人の心臓の音とは、こんなにも五月蠅かったか? 今、自分の頭に響いている鼓動は、覆い被さっている章良の物か、自分の物なのかも解らない。  ナイフを構えた孝史の姿が見えた後、章良が覆い被さり、その直後にドスンと鈍い音が聞こえた。あのタイミングでの鈍い音の正体を確認するのも恐ろしい。 「浄水君……返事して……おねがい……」  もし――ナイフの傷が深くて致命傷になっていたら……考えたくも無いが、恐ろしい結果だけが頭に浮かんでしまい、真琴は章良の腕の中でガクガクと震えていた。 「おい大丈夫か!?」  完全に頭を抱え込まれ、耳まで塞がれていた真琴だったが、遠くで聞き覚えのある声に気が付いた。  ――辰朗さん? そう思った瞬間、それまで暗かった視界が明るくなり店内で男達が何人もの顔なじみの漁師達に取り押さえられているのが見えた。 「マコちゃん……」 「……っ!!」  身体を起こした章良が、まだ震えている真琴の頬を撫でる。 「じょ……じょうすいく……っ」  喉が引きつり上手く言葉が出ない、それでも真琴は章良の無事を確かめる様に何度も名前を呼び、自分を見下ろし影になった章良の顔に触れると、その目に見る見る涙が溜まり、目尻から零れ落ちた。 「アキ坊! しゃーなー? 何処も怪我をしとらんか?」 「俺は大丈夫! でもマコちゃんが……」 「マコさん、何処やられた!?」 「……だ、だい、じょうぶです」  真琴が返事をしようと声を出した瞬間、喉を押さえ激しく咳き込んだ。 「今日、診療所が開くけぇ、そこで先生に診てもろうて、必要なら本土の病院へ運ぶ様に伝えとくけぇ。アキ坊はマコさんに付いとってやれ」 「解った」  島の消防団15名が、男と孝史を取り押さえており、島の駐在所勤務の警官が電話で何処かへ電話を掛けているのが見えたが、辰朗が店と座敷の間にある襖を閉めた為、章良と真琴は二人きりとなった。  まだ咳払いをしている真琴の背中を優しく摩りながら、章良が真琴の身体を抱き締めると、真琴もそれに身を委ねる。 「マコちゃん、言いにくかったら言わなくて良いけど……その、何かされた? もしレイプみたいな事をされてるのなら……」 「されてない」  章良の最後の言葉に被せる様に、真琴が否定の言葉を重ねて来た。 「……まだ……入れられる前だったんだ」 「そうか……良かった」 「それは僕の台詞だよ、君が無事で良かった……本当によかった、浄水君が刺されたんじゃないかって……怖かった……っ……」  章良にしがみつく真琴の肩が小さく震え、服に埋めた顔からは引きつる様な息と嗚咽が漏れ出し、章良は真琴が泣き止むまで静かに抱き締めながらずっと背中を撫で続けた。  やがて真琴の震えは落ち着いたが、手足に上手く力が入らない真琴に章良が手伝いながら乱れた服装を直した時、閉じられていた襖が開いて島の駐在が顔を出して、真琴から事件のあらましを聴取していく。章良が心配していたより真琴はしっかりと質問に対して答えていく。 「章良君、悪いけど、君からも事情や状況を聞く事になる思うけぇ、また連絡するが、辰朗さんの所で待機言う形で居てもろうてもええかな?」 「はい、解りました」 「この店は現場保護の為に暫く立ち入り禁止になってしまう。君達はここを出て辰朗さん宅へ行っとってくれ、わしと辰朗さん達は、本土からの引き渡しが来るまで事務所で待機しする事になる。先生は朝一の定期便で直ぐに来るけぇ、そのまま辰朗さん宅へ直行してもらう様に伝えとくよ」 「はい」  ◇◇◇    そのまま全ての男達が港にある漁業組合の事務所へと向かって行くのを横目に、章良は腰の抜けた真琴を背負いながら辰朗の家へと向かう事にした。真琴を背負うのはこれで二度目だ、以前は温泉で湯中りした時だった。あの頃は五月蠅いほど鳴いていたクマゼミやアブラゼミも、今は随分と減っている。湿度の多い夏の咽せる様な風では無く、最近は朝晩に吹く風も心なしか涼しくなって来たと感じるが、背中の重みと温もりはあの時と変わらず優しかった。 「君に背負われるのも二度目だね」  暫く無言で歩いていたが、背負われた真琴がぽつりとそう溢す。 「相変わらず軽いねマコちゃん」 「そう?」 「うん」 「…………ごめんね」 「なんで謝るの?」 「浄水君を巻き込みたくは無かった……君の事は僕と無関係だって孝史には言ってたんだけど、彼はずっと君と僕の事を疑ってた……それを最後まで貫き通せなかった……君が僕を好きだと、そう言ってくれた事は本当に嬉しかったよ、でも……」 「でも……なに?」 「僕がそれを受け入れたら、君の人生を狂わしてしまう事になりそうで怖かったんだ。僕は子供の頃からずっと自分が男である事に違和感があった。何故姉と違うのだろうって……夢中になる物は全て女性的な物ばかりで、初恋の相手は男だった。僕は生まれた時からゲイなんだ……多分これは死ぬまで変わらないと思う。  でも、君は違うだろう? これまでも普通に男として疑問も無く性別を生きて来た……それが普通なんだ」 「…………普通?」 「そうだよ、それが普通。そんな君をわざわざこちらの世界へ引き込む様な事はしたくなかったんだ」 「今もそう思ってる?」 「正直解らない。孝史に本気で首を絞められて、あの瞬間もうこのまま殺されるのなら最後は自分の気持ちを残したいって思ってしまった。でも、言った後君の顔を見てとても後悔したのも事実だ……これが君を縛る舫い綱となってしまったってね。  君は自分で考えて僕に気持ちを伝えてくれた、でもそれはまだ君が引き返せる所にいるから言える事だと思う。この狭い島の中で噂は命取りだ……僕はもうこう言う生き方しか出来ないから、何を言われるのも、後ろ指さされるのも、好奇の視線に晒されるのも慣れてしまったけれど、君まで後ろ指を指されて好奇の目で見られる事は無い。まだ……引き返せるんだ……もう一度考えて。僕の〈君が好き〉だと言う気持ちも言葉も嘘では無いけれど、今ならまだ恋愛とはまた違う形としても生きられる」  黙って真琴の話を聞いていた章良が、突然歩みを止め島の氏神神社前のベンチへ真琴を座らせ、自身は向かい合う様に立ち真琴を見下ろした。 「俺はマコちゃんが好きだ」 「……浄水君」 「女とか男とか、そんな事の話をしたい訳じゃない。俺は、坂下真琴の事が本気で好きだって言ったんだ。マコちゃんが言う事も解るし、俺の為を思って言ってくれてるのも解ってる。でも、そんな難しい話じゃなく俺達の気持ちはどうなのかって事なんだ。周りは関係ない、俺は俺の人生を歩くし自分で人生の選択だってする。  マコちゃんが気になるなら、一緒に島を出る事も考えてるし日本が嫌なら海外に移住したって良い。俺が好きになったのが坂下真琴と言う男で、それがゲイだって言われるのなら俺はそれでも構わない。言わせたい奴には言わせておけば良い、一番重要な事は俺はマコちゃんと一緒に居たいし、これから先ずっとマコちゃんと生きていきたいって言う覚悟があるって事だ」 「…………っ」  夏の終わりに鳴くツクツクボウシの声が響く中、真琴が小さく息を飲む音が聞こえる。章良がそのまま真琴の膝に手を置きながらしゃがみ、今度は真琴の顔を少し見上げた。真琴はもう一度、今度はゆっくりと息を飲み込み――。   「……好き……」    静かにそう言って少し困った様な顔で微笑んだ。 「うん」 「僕は、きっと君が僕を想うより君の事が好きだ……だからきっと君を独占したいって思ってしまうし……二度と手放したくないって思ってしまう。それに、けっこう嫉妬深かったりもするし、根に持つ事もあるよ?」 「うん」 「きっと凄く面倒臭い彼女みたいになってしまうよ?」 「うん」  ボ――――ボ――――――……  遠くから大型フェリーの鳴らす霧笛が聞こえて来る。恐らく朝降った雨の為海上に霧が出ているのだろう。真琴が地面に出来た水溜まりに反射する朝日を、濡れた瞳に写しユラユラと輝かせ自分とほぼ同じ目線になった章良を見つめる、章良はそんな真琴の唇をそっと親指でなぞり、少し緊張し震える小さな声で囁いた。 「……キス……したい」 「……僕も、同じ事を考えてた」  ゆっくり静かに顔を寄せ、そっと目を閉じ、優しく唇を重ねる。  ただ唇を重ねただけの、まるで子供のキスだったが重ねた場所から愛が溢れ、全身に染み渡って行く。 「……好き……君が好き……好き」 「俺も、マコちゃんが好き」  離れた唇を惜しむ様に、お互いを見つめ合いそのまま抱き合う。氏神神社の参道から抜ける山の風がそんな二人を撫で、そのまま海へと抜けて行った。 【続】  2019/09/06 海が鳴いている21  八助のすけ  

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