4 / 14
第4話
さて。
ひといきついて凝った身体を伸ばす。
定時に会社を後にした佐藤はファミレスの一角を陣取っていた。
沢田の仕事を大体把握しているつもりであったが、現在どんな内容をやっているのかをひとつずつ挙げてもらった。頭の整理ができていない段階では、残っているものを聞く方が落ちが生じやすくリスキーだ。それに妻の状態に関して衝撃があったようであるし。
進めていくうちに、沢田の顔色がどんどん悪くなった。どうやら忘れていた案件があったようす。別口のクライアントから無理難題を押し付けられていたらしいので、どちらにしろ手に負えるものではない。結果的にはバトンタッチしてよかった。むしろ今までよくやっていたものだ。
そう言って感心すれば、深く頭を下げられた。だが、コレは佐藤を含め上のミスだ。彼が気負うことではない。
早急に引き継ぎを終わらせ、田所さんと母上によろしくと沢田を帰した。
「ギリギリ……いやあ、だいぶ危ないかぁ」
この積み上げた内容が終わるのか。先方があるものなので努力はするが、難題をけしかけた方はこれからの関りを一考する余地がある。いっそ会社を休み補佐としての業務をなげうってコチラに専念すればいいかと思案しかけて、上司が病欠していたことに気づく。さすがに補佐の自分も不在では支障が生じるだろう。
「こんな所にいましたか」
どうしたものかとコーヒーに口をつけながら視線を上げれば、見知った顔を認めて目を丸くする。
「珍しい場所で会うねぇ横山君」
この男ならば安さが売りのファミレスではなく、コース料理の出る店の方が似合っている。言い方は失礼であるが。
呆然とする佐藤を差し置いて、向かいの席に着いたスーツ姿は優雅に店員に注文をする。
「変わっていませんね」
「……え?」
脈絡がなくうっかりと聞き返して、日中の反省が生かされておらずひっそりと後悔する。実はコレを見越して、あえて解りにくい会話をしているのではないかと勘ぐってしまう。
「なぜ会社で仕事しないのですか」
疑問の形を取ってはいるが、ただのポーズだ。
「……確信しているものにあえて答えても、ねぇ」
へらっと笑って流そうとするも、さすが期待のホープだまされてはくれないらしい。特別隠さなければいけないことではないので諦めて口を開く。
「僕がいつまでも職場に残っていたら、若い子たちが帰りにくいでしょ」
なんちゃってでも、仮にでも、不本意ながらでも、一応役職付きなのだから。
昔ながらの頭でっかちのタヌキは『部下は上司を差し置いて帰宅するのは無礼』という認識があるため、それを知っている後輩は退社に躊躇 する。遅くまで残って仕事をするのは正義ではない。そのため佐藤は率先して帰るし、無茶でないていどに有給を取得する。
始業に関しても『部下は上司が出社する前にディスク周りをキレイにする』などと馬鹿なことを言うので、佐藤は朝食を取りがてら一度外に出てギリギリに再出社する形をとっている。自分の気まぐれな生活に部下が合わせる理由はない。基本的に声を大にして権力を振りかざすのは一部の年寄りであり、しかも口ばかりな傾向が多く手に負えない。佐藤が手を回して指摘しても、頭が固いのでなかなか改善されない。自分も老害にならないよう、早々に見切りをつけないといけない。
彼らの教育の根底にはスパルタとスポ根があり、先人の背を見て学ぶ職人気質のスタイルだった。厳しい指導を耐えた世代は、己の成功体験から精神論に偏りがちだ。彼らが作ってくれた道筋があるので、現在の世があるのは承知している。しかし考え方を押しつけるのとは違うだろう。世は流れるのだから。
「下らないしきたりみたいなものは、どんどんなくせばいいと思うよ」
慣習の存在を知っているからこそ、自分のような立ち位置は緩衝材となり双方に気を配る必要がある。昨今の企業もあり方を大きく変えなければならない。
「佐藤さんは――」
「おまたせしましたー!」
運ばれてきた料理に佐藤が視線を向けると同時、言いかけた横山は口をつぐむ。目の保養か、皿を置きながらちらりと彼を眺めていくウエイトレス。
そういえばと、佐藤は忘れていたポテトを口に放り込む。ソース類よりも薄塩が好きだ。だがしかし、この量をひとりで平らげられるかと言われれば否。
「横山君も食べる? 食べかけだけど」
もしくは、こんなオヤジの食いかけはゴメンだと言われればそれまでであるが。
「あなたは……自覚がないのか、全く意識されていないのか」
組んだ腕を解き、ため息をつかれる。先ほどからの妙な空気は霧散して、佐藤もひっそりと詰めていた息を抜く。
「ああ、まあ、物好きだとは思っているよ。ただトゲトゲするほど神経質でもないし、若くないし」
以前の、それこそ横山が佐藤の元にまんじゅうを持って来た一連の出来事のあと、肩の荷が下りたのか表情がやわらかくなった。同じ企業内であるが畑が違うと疎遠になりがちなのに、何度か自分の元に遊びにも来てくれたし、嬉しくて可愛がった覚えもある。過去お悩み相談した職員は、心の内を晒したためか大半が佐藤と距離を取りたがる傾向が強いので余計に。
あれはいつだったか。
確か互いにほろ酔いの、どこにでもあるような居酒屋の一角。
『――佐藤さん』
『ん?』
徳利からお猪口に最後の一滴を垂らしながら、見上げた先の顔に佐藤は息を呑んだ。その、思いのほか真摯な表情に。輪郭を確かめるよう、頬を撫でる指。
『佐藤さんが、好きです』
にぎやかなはずの店内の音が消え去り、やけに大きく横山の声が響いた。
『……そっ、か』
『奥さんが居ても、好きなんです』
『……そ、う』
アルコールが入って瞼は落ちてくるし、どうせくたびれたオヤジには勃たないだろうと、安易についていったホテルでまんまといただかれてしまった。あれからすぐに海外へ転勤になったことを考えると、彼も博打的な所もあったのだろう。
底の見えたカップを眺めながら思案する。
あれから十年、目の前の男も脂ののった将来有望な中堅に成熟した。今後成長の見込めない、頭打ちの老人は早々に引き際を知るべきか。もはや、以前とは立場が逆転しているのだから。
「佐藤さん、ここ違っていますよ?」
「……あ?」
ぼんやりしていたせいか、いつの間にか横山の手には書類が握られ熟読したらしかった。素早い。同じ会社だし、同じ部署になったし見られて困るものではないのだが――。
「今、なんて言った?」
不穏な単語が耳を通り過ぎた。頼むから加齢からの幻聴だと言ってくれ。
「この書類には来年の上半期締め切りって記載してありますけど、広報部での発表がその頃のはずです」
「…………マジか」
本社に居た横山が断言するのだから間違いはないだろう。
頭を抱えながら、はじき出した答えは。
「……今月、だな」
「ええ、あと半月ないです」
呻いた佐藤に、追い打ちを掛けるように横山の美声が応じる。
「…………」
二人の間に流れる、重い沈黙。
「社に戻るわ」
この時間ならば他の社員はいないはずだ。
「横山君はゆっくり――」
脱力しつつも広げた資料をまとめて立ち上がれば、手を引かれる。
「一緒に行きます。俺もこのプロジェクトに関わっていましたから」
なんとも心強い後輩だ。
就業時間外だから付き合わなくていいと、言いそびれてしまったと先を歩く背に佐藤はぼんやり思った。
ともだちにシェアしよう!