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第5話
一縷の望みを求めて締め切りを確認したところ、やはり横山が指摘した通りだった。時間がないことだけは動かしようのない事実で、焦る気持ちを抑えてスケジュールを組み直し、たたき台だけは作ってあった沢田に感謝する。いよいよ無理難題をふっかけたクライアントに構っている余裕はなくなった。
「この案件、問題なのは時間のなさと、プロジェクトの規模の割に周知している人間が少ないことです。いくら本社で噛んでいたと言っても、俺の知っていることにも限界があります」
「まあ、僕も沢田君と同じレベルくらいしか知らないしねぇ」
それも上から放られたのを佐藤経由で沢田に降ろしただけだ。そのため自分は以降を詳しく把握していないので、むしろ沢田よりひどいと言える。
そしていくら横山がこの件に関わったことがあるとしても、この部署の代表としてすべてを彼に丸投げするのとは違う。ここで出ていくのは、知識が乏しかろうが責任を被るのは自分である。
「現地時間では日中のはずですから資料を取り寄せます。佐藤さんは、明日こちらの人たちに連絡していただけますか。彼らは本社へ転勤や出向 経験者です」
渡されたメモには、秘書課から庶務課まで一見関係なさそうな名が連なっている。大半は佐藤の元に上司名義のまんじゅうを届けに来た者たちで、思わぬところで活躍を知って素直に嬉しくなる。
流暢な英語に耳を傾けながら、彼が来てくれていて本当によかったと思う。事態の大きな改善はないが、後退していないことは確かだ。
起動したパソコンに、佐藤は視線を走らせる。膨大な量であるが、己のわずかな知識も駆使して有効活用しなければならない。
「……コレ、使えそうだなぁ」
「どれですか」
顎に手をやりながらつぶやけば、耳元で声を拾って飛び上がる。
「よっ、横山く、ん……びっくり、した……」
まさか背後に居るとは思わず、激しく拍動する胸元を押さえつつ画面を示す。
「いやぁね、無茶を言ったっていうクライアントさんの案件と根本が似てるなって。だから、せっかく沢田くんが考えたものがあるから、コレを使ってもいいかなぁってね」
「……なるほど。おもしろそうですね」
切れ長の目はスクリーンを眺め、口角を上げる姿はなるほど整っている。
「じゃあこれも組み込んでいこう」
佐藤は再びキーボードを叩いた。
「……もぉ、なーんにも、出ないぃ……」
力なく呻いて佐藤は机に突っ伏した。社内食堂に差し込む西日が目に毒。
「お疲れさまです」
「横山君も、おつかれさまぁー」
先ほど、締め切りギリギリで本社に提出したところだ。横山も自分もよくやったと思う。
ここ半月は脳みそをフル回転させていた。沢田から引き継いだ仕事だけではなく、補佐の業務も、病欠している上司の業務もこなしたのだから三人分給料が欲しいくらいだ。まぁ、普段のんびりしているので、これでトントンかもしれないと思い直す。
コト。
目の前に湯呑を置かれるが、受け取る元気もない。出がらしの頭はスッカラカンで精根尽き果て、起き上がる気力も出ない。ここ数日の時間感覚もあやふやだ。
「ありがとー……一週間くらい旅に出よー」
「可能なんですか?」
視線の先は器用に片眉を上げた男前の姿。
仕事とはいえ同じ時間を過ごす内に、口調もだいぶ砕けた。元々仲良くしていた認識があったので、打ち解けるのは早かった。
だが年上として注意しなければいけない。先輩後輩という明確な上下関係ができているところで、彼に後輩として年下として無意識に気を使わせることがあるから。居心地がいいをイコール仲が良いとして安易に捉えてはいけないと自戒する。
「……ムリ。知っているよぅ」
よくて土日を挟んで三日だろう。なんと世知辛いのか。
この案件に関しては手を離れたが、締め切り問題に対しての原因究明されていない。
関わった者への叱責ではなく、同様の事態が起きないよう現象に関しての究明と対策だ。仮にヒューマンエラーだったとしても理由があるはず。イチ個人に向けて「お前が悪い」と言ってしまいがちになるが、それだけで終わってしまう。悪を作れば楽だからだ。免れた人間は正義としての立ち位置に酔いしれることができるが、今後も足下の掬いあいの泥仕合に発展する。組織としていただけない。
大前提として、人間は完璧ではなく時にエラーを起こすこともある。
それを頭に入れておくと、気分も楽になるし他人にもやさしくなれる。さらに対策も立てられる。ただし、エラーを防ぐための対策はできるだけ簡略化させた方が最終的に自分たちの首を絞めなくてすむ。
「早く帰ってきて課長さぁんー」
まだ通常業務も残っている。本心では体調は万全を期して欲しいが、こんな時ばかり泣き言を並べる。
「――佐藤さん」
横山の纏う空気の種類が変わった。
「んー?」
気づかないふりをして応じる自分は、なんて身勝手なのだろう。
目にかかる髪を掬われる。こんなおじさんではなく、若い子にした方が有意義だろうに。
「この時期に、なぜ俺が異動になったのか知っていますか?」
「いや?」
はじめは訝しがったが、上の意向だろうと考えをやめた覚えがある。
「無理を言って異動させてもらったんです。あなたの近くに行きたくて」
示すのは、物理的にだけではないのだろう。
「……僕は面白みのない男だよ」
疲れた現実にも便乗し瞼を閉じて、話題から目をそらす。
会社に飼われる、一介のサラリーマン。秀 でた特技もなく、大きな社会の雑踏の中で紛れてしまう。将来有望株に構ってもらうほどできた人間ではない。
「俺の中のあなたの価値は、あなたではなく俺が決めることです」
張りがないだろう頬を撫でる指は、いつぞやの記憶と重なる。
当時は海外に行ってしまったのに随分勝手だと、のどまで出かかって飲み込む。これでは未練たらたら片想いの若者のようだ。
「ずっと目標にして、隣に立ちたいと思って――」
「そんなに立派な人間じゃないんだ」
なかば奪うようにして会話を遮ったと同時、佐藤の仕事用携帯に着信が入る。
「……さとー補佐さんはお休みでぇす」
鳴り止まず渋々出た隣で、横山がギョッと目を剥く。
『馬鹿なことを言っているな』
呆れたような声で一刀両断され、電話口の上司は報告に来いとのたまった。
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