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第6話

「面会時間外ですよ、いいんですか?」 「本人が来いって言ったからいいんじゃない」  半分は嫌がらせ、半分はしわ寄せ残業が理由だ。精魂尽き果てていても仕事は待ってくれない。ああ無情。  報告だけなのでひとりで病院へ行くと言ったら、「二人きりの打ち上げに待ち合わせするほどでもないでしょう」と横山も着いてきた。彼にも上司にあたるので問題はなかろう。 「半分身内みたいなものだから、人使い荒いし……」  病室の扉をノックしながらぼやいて、もしや首を傾げる美丈夫は知らないのではないかと遅れて気づく。 「ウチの課長、僕の元奥さん」  佐藤課長。  互いにこの国で多くある佐藤の姓であったため、結婚も離婚も苗字は変わりない。それは仕事での関りも同じで、良くも悪くも変わりない。そもそもが違う名字であったとしても、別姓を選んでいただろう。そんなこんなで同姓が課長と補佐でいるため、部署内外では役職名で呼ばれることが多い。  固まる横山を不審に思いつつも置いて個室を進めば、病衣に身を包んだ眼鏡姿がコルセットを巻いた状態で出迎える。職場では後ろに流している髪も、今は自然にしている。 「遅かったな」 「起きていて大丈夫なの? 頑張って仕事終わらせたんだよ、これでもね」  口をとがらせれば、低くも高くもない中性的な声が楽し気に響く。 「聞いた」 「なら横山君をねぎらってよ」  彼がいなかったら、到底今の状況にはならなかったのだから。振り返った先は、普段よりも硬い表情の横山。それほど佐藤と上司が元夫婦なのが衝撃だったのか。もしくは課長が怖いのかと思いかけて、彼は上役にも臆せず対応している印象があるので打ち消す。 「悪かったな。異動したばかりでコレの子守りを押しつけて」  ひどい言い様だ。 「い、いえ……勉強になりました」  むしろこちらが勉強させてもらった方だ。そして配属早々、馬車馬のように存分に使った自覚がある。申し訳ないことをした。  珍しく歯切れの悪い期待のホープを不審にも思うが、それもそうか。男だと思っていた上司が実は元女性でした、だなんて。と思いかけ、自分が仮に横山の位置であってもそれほど重要視していないことに気づく。男であろうと女であろうと、それに当てはまらなかろうと仕事をする上では他に大切なことがある。  元妻の元女性は性同一性障害だ。それを咎める理由も憐れむ理由も佐藤には見当たらないので、現在は旧友のような括りとなっている。実際に佐藤の入社時の指導者の同期なのだから、知り合って単純計算二十年近くになる。  上司と横山のやり取りを横目で見ながら、佐藤はぼんやりと振り返る。 「――ああ、カナが話があるそうだ」 「カナコさんが? なんだろう」  粗方仕事の経緯を説明して、相手の好む飲料水を勝手知ったる冷蔵庫に入れていれば忘れていたように声を上げられる。  彼女とは番号もメールも交換してあるので、直接顔を見たいということか。元妻現上司で友人のパートナーの顔を思い浮かべる。 「僕がいない間に、横山君をいじめないでね」 「善処する」  釘を刺しつつ、横山には上司に手を焼いたら着信を入れろと言い置いて佐藤は病室を後にした。  二人で訪れた廊下を一人で進みながら、思考を巡らす。 「わざとだろうな」  この仕事の報告とやらも口実で、上司が横山と話をしたかったのではないかと勘ぐる。実際、異動して彼らは少ししか一緒に仕事をしていない。大半を自分が独り占めをしてしまった格好だ。職場のお局さまとか独身の子たちから、いじめがはじまったらどうしよう。  いずれにしろ佐藤が病室に戻るのはもう少し時間を置いた方がよかろう。困ったら横山からヘルプの連絡があるだろうし、普段の上司を知る限り無体はないだろう。でなければ、佐藤も一緒に仕事は出来ない。あの人は、尊厳について人一倍敏感で強くもあり脆くもある。  今でこそ性の不一致というものが世間に知られ始めているが、それでも風圧は強い。多数決が多くを決める国で、今まで少数派を『ないもの』として見ぬ振りをして握りつぶされてきた。男が女がと区別をつけたがるのは少なからず一定数おり、それを固持したがる輩は自ら直接関係ないことが多い。本当に住みにくい世の中だ。他人が勝手に作った世間一般とされている枠組みから、はみ出した者に対しての風当たりの強さは異常と言っていい。 「秋生(あきお)さん、こんばんは!」  ベンチでぼんやりしていたら、やわらかな澄んだ声が掛けられる。どうやら上司の言ったことはまんざら嘘でもなかったらしい。 「こんばんはカナコさん。おや、髪型変えたの? 似合うねぇ」  頬を染めながら一周くるりと回る可憐な姿。一体どうやって、こんなにかわいい子を捉まえたのか教えてもらいたいものだと考えて、出会った当初に盛大にのろけられたのを思い出す。そこから年月を重ね、互いを唯一無二とした。 「病室から追い出されてねえ」  のんびりと月を見上げ、そういえば横山に個人携帯の番号を教えていなかったと遅まきながら気づく。ここ半月は寝に自宅に戻っていただけで、ほとんど会社で詰めていたので通信機器を通す理由がなかったのだ。それだけ彼との距離が近かった。頼ってしまっている。  今までが異常だったのだ。元に戻さないと。  一抹の寂しさを覚えてしまったのは、感傷なだけだ。時々横山から醸し出される、佐藤に対して崇拝にも似た偶像を寄せられ思わぬほど近くで慕われるから、勘違いしてしまいそうになる。数年前、彼の前に現れた自分が珍しい人種だったので、未だ引きずっているのだろう。  仕事の案件のひとつが手を離れ、できた合間に気づけば横山のことを考えていけない。 「ふふふ、キレイになりましたね!」  鼻をならしながら言われた言葉の意味が解らなかった。  目を瞬きながら周囲を見回して、いつの間にか隣に座った彼女に再び視線を戻す。  キレイなのは彼女だ。澄んだ瞳の審美眼もさることながら、真っ直ぐな発言に元妻は惹かれたのだ。 「秋生さんですよ! あ、元々美人なので間違えました!」  前言撤回。 「……おじさんを捕まえてつく嘘は、もうちょっとマシな方がいいよ」  ため息をつきつつ項垂れる。 「そう、恋する乙女のように!」 「それは、きみだから」  何年も同棲している彼女たちはいつも新婚のように仲睦まじい。 「話があるって聞いたけど……?」  若干苦しくはあるが話題を変えれば素直に乗ってくれる。 「ええ」  言葉を切った彼女は、ひとつ瞬きをして佐藤を見返す。 「籍を入れることにしました」 「――そっか。おめでとう」  やっと、籍を入れることができる。  長かっただろう。  言葉にするとたった一言であるが、驚くほどの時間と労力と資金と他にも数え切れないほどのものを差し出しただろう。  同性婚が認められていないこの国では、当然女同士では認められない。徐々に浸透してきてはいるが、パートナーシップは条例なので法的な効力はない。バックについているのが国なのか自治体か、法と条例とでは雲泥の差がある。  ともすれば、結婚するためには片方が男の籍にならなければいけない。この点、元妻である人は身体は女性であるが心は男性で、恋愛対象は女性という点ではクリアしているが、戸籍の性別を変えるにはいくつかの条件がある。そのひとつに生殖機能があると受理されない。要は健康な身体にメスを入れ、不可逆的に避妊しなければならない。戸籍上男性とされる側に仮に腹に子どもができてしまった場合、同性婚になるからだ。そのために、生殖機能を排除しなければならない。そしてホルモン剤を注射する。いつぞや人とぶつかった時に顔を顰めて肩を庇っていたので、注射跡が硬くなり痛むのかもしれない。いくら部位を変えるとはいえ、場所は限られるし毎月打つ。それだけ生半可な気持ちではできない代物だ。  そもそも人の心とは、そんなにパッキリと区別つけるのは難しいだろう。 「それで秋生さんに婚姻届の承認欄にサインをいただけたらと思って」 「……え?」  驚いて目を見開けば、同じようなパチリと大きな目と出会う。 「ダメですか?」 「あ、いや、問題ない、けど……」 「けど?」  彼女は佐藤の言葉尻を捕まえて迫る。 「……僕でいいのかなぁって」  結婚して、さらに離婚した身である。仮面夫婦ではあったが。まさかそんな選択があるのだろうか。二人の共通の友人などでも問題あるまい。  しどろもどろになる佐藤をよそに、彼女は微笑んで胸を張る。 「秋生さんが支えてくれていなかったら、会えなかったですもん。これ以上の適任者はいません」  互いの利害が一致しただけなのだ。そんな高尚な精神は持ち合わせていない。横山といい、カナコといい、佐藤をいい人に仕立てるのが上手い。 「私たちがいいなら、他に文句は言わせません!」  敵わないな、と素直に思う。  戸惑いと緊張を吐息ひとつで流して、つられて苦笑する。  まるで自分の悩みが些細なことのようだ。事実なのだが。 「ありがたく署名させてもらうよ」  今度こそ佐藤は微笑んだ。

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